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ブックマーク / gigir.hatenablog.com (6)

  • ゲームにおけるミミクリの役割 - 未来私考

    前回の記事でゲームにおける競争の遊び(アゴン)と偶然の遊び(アレア)の役割について論じたのに引き続き、今回は模倣の遊び(ミミクリ)の役割について考察してみたい。 カイヨワの4分類と「ゲームの正体」 アゴンとアレア - 未来私考 「見立て」と「なりきり」 一口に「模倣の遊び」と言っても、その適用範囲というのはなかなか掴みづらいものがある。そこで模倣の持つ機能を「見立て」と「なりきり」の2種類に分離してみたい。 ミミクリの代表例といえるままごと遊びを想像してみると分かりやすいのだが、ままごと遊びを行うものはまず目の前の小道具、例えば泥団子や木の葉を料理や皿に「見立て」、また友達をお父さんや子供に「見立て」ることで、演者はお母さんに「なりきる」ことが出来る。まず最初に能動的に2つの事柄を同じものとして見立てることによって、自分自身があたかも何物かになりかわったように感じることが出来る、というのが

    ゲームにおけるミミクリの役割 - 未来私考
  • カイヨワの4分類と「ゲームの正体」 アゴンとアレア - 未来私考

    ずいぶん長いこと間が空いてしまいましたが、年が明けないうちに論に手をつけておこうと思います。 序論:ゲームとは何か コスティキャンのゲーム論を越えて - 未来私考 ゲームの魅力を支える「娯楽の核」 - 未来私考 序論において、娯楽の核はカイヨワの遊びの概念に還元できるといった旨のことを書きましたが、カイヨワの4分類(競争、偶然、模倣、眩暈)がそれぞれどのように娯楽の核と結びついているのかについて明らかにしてみようと思います。 偶然の遊びは予測の遊び カイヨワの4分類のうち、特にゲームと結びつけて考えられている偶然(アレア)の遊び。その代表例としてサイコロ遊びやじゃんけんといったものが持ち出されるが、実のところただサイコロを振るだけ、じゃんけんをするだけでは「遊び」は発生しない。例えば組み分けや便宜的な順番付けのためだけにじゃんけんを用いた場合、そこに遊びの要素はない。しかし、例えば組み分

    カイヨワの4分類と「ゲームの正体」 アゴンとアレア - 未来私考
  • ゲームの魅力を支える「娯楽の核」 - 未来私考

    さて、前回のエントリでゲームとは何かということについて論考をしました。 序論:ゲームとは何か コスティキャンのゲーム論を越えて - 未来私考 これをもう少しキャッチーな感じで要約すると、次のように言うことが出来るかと思います。 ゲームとは、「娯楽の核」を用いて「解決可能な課題」を「持続的に供給」する装置である もし娯楽の核となる部分が、十分な魅力を備えていなければ、プレイは苦痛を極めます。いわゆるプレイアビリティの低い、などと形容されるゲームはこの部分が足りてないんですね。 供給される課題が解決困難であったり解決不能であったりした場合は、激ムズのクソゲーと貶められるし、あるいは一見して課題の解決が自明なゲームは、簡単すぎて退屈だと言われ、すぐ飽きられる。良いゲームというのは、プレイヤーがこれは解決できるかもしれないと思える課題を途切れることなく供給できているんですね。 スーパーマリオブラザ

    ゲームの魅力を支える「娯楽の核」 - 未来私考
  • Pixivと株式会社インパクトの共同企画が許されるべきではない理由 - 未来私考

    ソーシャルゲーム「HARLEM HEART」イラストコンテストの応募要項へのツッコミ - Togetter こちらの件。正直、初見では簡単に善悪の付く問題ではないかもしれないな、と思った。Pixivでオリジナルイラストを集めてそれでカードゲームを作るという企画自体は上手くすれば面白いものになるかも?とも思うし、確かに応募要項は怪しげだが、こういった要項に過剰防衛的なお約束文言が入るのは、まあ良くないこととは言え良くあることでもある。実際に額面通りに運用されるようなことはまずないし…とも思ったのだが、同社が2011年の8月に同様の企画を立ち上げており、その顛末を調べるにつれ、これは許されざる邪悪な行為だと確信したので、あえてブログ記事にすることとした。 最低限の約束すら守っていない まず外堀を埋めておこう。2011年8月に開催されたアルティメットセブンイラストコンテストの応募要項に次のような

    Pixivと株式会社インパクトの共同企画が許されるべきではない理由 - 未来私考
  • ソーシャルゲームと従来型ゲームは何が違うのか - 未来私考

    このところ、ソーシャルゲームとはなんなのか、ソーシャルゲームはこれからどうなっていくのかといった記事が相次いで話題になっています。どれもなかなか興味深くはあるのですが、一読して「あれ?これって別にソーシャルゲームに限らないんじゃ?」という感想を抱いた人も多いんじゃないかと思います。「射幸心」「承認欲求「自己達成感」…言われてみればどれもなんとなく納得してしまいそうですが、だからといって「それ」がヒットしている最大の要因だと言われると首を捻ってしまいますよね。実際、これらはゲームそのものがもともと持っている面白さの一要素であって、ソーシャルゲームが特別何か新しいアプローチをしているわけでもないんです。 ソーシャルゲームとキャバクラの違い - よそ行きの妄想 ソーシャルゲームはそのうち飽きられバブル崩壊するのか? - teruyastarはかく語りき 任天堂はなぜソーシャルゲームをやらないのか

  • 眩暈の遊びについて改めて考える - 未来私考

    過去2回にわけてカイヨワの言う遊びの4分類のうち、競争、運、模倣の3つについて検討してきました。残すところはあと一つ。眩暈(インクリス)の遊びです。 カイヨワの4分類と「ゲームの正体」 アゴンとアレア - 未来私考 ゲームにおけるミミクリの役割 - 未来私考 メリーゴーランドによる陶酔、ジェットコースターによる混乱や恐怖、そういったものをカイヨワは眩暈の遊びと定義している。どうもこの眩暈の遊びに関してカイヨワは否定されうるべきもの、排斥すべきものというニュアンスを言外に含んでいるようにも思うが、とりあえずここではそういった立場は取らない。ともあれ、これらの遊びに共通する特徴は、遊戯者が無心、あるいは自失といった思考停止状態におかれているという点であるといえる。 ところでメリーゴーランドによるそれと、ジェットコースターによるそれは果たして同質のものなのかといわれれば少々疑問符がつく。メリーゴ

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