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ブックマーク / hituzinosanpo.hatenablog.com (12)

  • おそろしい施設―学校(熱中症について)。 - hituziのブログじゃがー

    9月になっても あつい。気温は30度を こえているどころか、40度に ちかい。あぶない。 熱中症の予防に必要なのは、あついところから すずしいところへ移動すること(冷房をつけること)。水分を補給すること。その ふたつでしょう。 水分補給といっても、たんに 水を のめば いいというものではありません。汗を かくと、体内の水分と塩分が からだから でていくことになります。それなら、水分と いっしょに塩分も補給しないといけません。 よく、水分補給にはスポーツドリンクが おすすめされています。なぜでしょうか。スポーツドリンクには塩分(ナトリウム)が ふくまれているからです。 スポーツドリンク - ウィキペディア うえのリンクには、とても たいせつなことが かいてあるので、きちんと よんでください。 塩分を とらずに水分だけを のみすぎると、血中のナトリウムの濃度が さがりすぎてしまいます。すると、

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    islecape
    islecape 2010/09/09
  • 国籍差別/民族差別を なくすための読書案内。 - hituziのブログじゃがー

    わたしが問題にしたいのは、「「日人(ヤマト人/和人)」であること」ではない。問題は、属性にあるのではない。どのように行動するのかが とわれるべきだ。 日社会において「民族的な多数派」に「属しているだけ」で批判されるべきではない。だが、この社会に民族差別を のこしているなら、その制度を なおさないといけない。差別制度によって、自分が結果的に得をしているなら、なにを しているわけでもなくても、差別制度に よいしょされた生活をしている。差別を 再生産していると いっても いい。その状況で、「わたしは なにを するのか」ということ。どのように ふるまうのか、ということ。 たとえば天皇制は、戸籍制度とセットになって日社会で生活している ひとたちを しばっている。『非婚の親と婚外子』というで問題にされているのは、婚外子への制度上の差別だ。 戸籍制度は、性別二元論と異性愛主義によって性的少数派を

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  • 日本語表記と共存について(結論だけでなく、プロセスも たいせつ)。 - hituziのブログじゃがー

    かながきの ぶんしょうは なぜ 「よみにくい」と いわれるのか? - やねごんの にっき やねごんさんの問題提起を うけて。わたしなりに。 『月刊ノーマライゼーション』という雑誌がある。いちど、翻訳を のせたことがある。ウェブに公開されている。 文学にみる障害者像-映画化された『マラソン』 わたしの卒業論文 「現代日における「識字」のイデオロギーと漢字不可欠論」で、『月刊ノーマライゼーション』に 掲載された いくつかの文章を とりあげた。つぎのようなことだ。 『月刊ノーマライゼーション』2000年12月号に、「外国人」(日語学習者)による日語の文章が のっている(63-67ページ)。 韓国人の文章:漢字まじり。わかちがき。 マレーシア人の文章:漢字まじり。べたがき(わかちがきでない)。 モンゴル人/タイ人の文章:ひらがな、カタカナ表記(漢字なし)。わかちがき。 わたしは「ノーマライゼ

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  • 「セクシュアルマイノリティ傾向」ですって? - hituziのブログじゃがー

    1ヶ月まえのことですが、障害学会第6回大会(障害学会・2009)に いきました。いろいろと かんがえることはあったのですが、ひとつ「ええー」と感じたことについて。 杉崎 敬「知的障害当事者の<生き様>から見える多様なセクシュアリティの形――知的障害と共に生きる<彼ら/彼女らなり>の<リアリティ>とは何か」 うえの報告原稿にも でてきますが、「セクシュアルマイノリティ傾向」という表現に とまどいました。おかしな表現だと感じました。引用します。 2.“男が好き、男性と女性をはき違えている”(Bさん:男性・60歳) セクシュアルマイノリティ傾向があるBさん。同じGH内に好意を抱くUさん(30代男性)と担当職員Iさん(30代男性)がいる。Bさんの自室には、Uさんの写真が数多く貼られており、その思いの強さがうかがえる。15歳から施設へ入所、その後35年間施設で育った。32歳の時に、友達(男性)との性

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  • できるだけ たくさんのひとが社会的排除を 批判する。 - hituziのブログじゃがー

    ひとりずもうを します。 たいせつなのは、みんなが社会的排除を 批判することだと おもう。 さまざまな社会問題がある。それを 問題化するときに、構図を みたてる。被害者と加害者というように。けれども、そういう構図は現実そのものであるとは かぎらない。現実は、ふくざつ。境界線は、ひけない。連続している。つながっている。 なにか問題提起するときに、構図が必要になることがある。その構図では不十分だったり、不適切だったりするという問題提起もできる。それも必要な視点。 女性差別を 問題化しよう。でも、「女性」って なあに?という視点も わすれずにいたい。それを 両方 みすえることが たいせつ。 日社会や日政府を 批判すると、「日人ではないはず」と みなされることが よくある。たとえば わたしの議論を みて、「在日朝鮮人なのだろう」とか、「韓国籍なんだろう」と かんがえる ひとが いる。うんざり

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  • 集団に あまえて 罪悪感を ごまかすな。 - hituziのブログじゃがー

    集団は、こわい。 わたしも、あなたも なんらかの集団に属している。ある視点に たてば、こんな集団に。自分で はいった このグループに。あるいは、なになにという属性に属すという意味で。 人間は、ひとりなようでいて、そうでもない。集団で 活動している。集団に ささえられている。集団に同化している。そして同時に、ある集団から距離をとっている。ひとりであろうとすることもある。 めに みえるかたちで、集団で うごいているとき、自分の意思や行動というものは、その集団に同意し、同化しているかぎりは、めだたないものです。自分の やることなすことは、ちいさなものに感じられます。 集団との葛藤(かっとう)が すくなければ、感覚も よわくなります。さまざまな感覚が。 「赤信号、みんなで わたれば、こわくない。」 集団にも、いろいろあります。なにかに ささえられている集団。数のうえで圧倒的な集団。権力が支配的な集

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  • たくさんの不平等な関係。たくさんの わたしの立場。 - hituziのブログじゃがー

    この社会は、平等ではない。不平等だ。それを ただしたい。平等を もとめたい。単純にいえば、それだけのことです。 多数派には名前がない(ヤマト人=和人として、その責任を ひきうける)。 - hituziのブログじゃがー じつは、うえの記事は、ほとんどの部分を ファミレスで かきあげました。あるとき を いくつか もってファミレスで のんびりを よんでいたのですが、そのなかにユン・コンチャ(尹健次)さんの『「在日」を考える』平凡社ライブラリーがありました。序論が刺激的だったのです。一部だけ紹介します。 …「日人」とか「日国民」という実体は存在していないといって、それらをすべて虚構として放り出してしまっていいというわけではない。現に在日朝鮮人が被差別の存在であるとするなら、その在日はいかなる集団なのか、また在日を差別しているマジョリティはいかなる集団なのか。それを具体的になんと表現すれば

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  • 多数派には名前がない(ヤマト人=和人として、その責任を ひきうける)。 - hituziのブログじゃがー

    ヤマト人は にげる。「民族は つくられた概念で、実体は ない」と相対化する。おきなわ人に「ヤマト人」と よばれても、アイヌ人に「和人」と よばれても、そんな実感はないし、民族意識など もっていないと いえてしまう。 国家において、「民族」を 意識させられるのは、いつもマイノリティである。差別制度が、日常的な差別が、マイノリティに「民族」を 意識させるのだ。 それを 指摘し、多数派日人に「ヤマト人」や「和人」という名前を つけてみても、「名前のない多数派」は にげてしまう。「民族意識など、幻想にすぎず、そして わたしは「ナショナリズムに反対する」」のだと。そんな態度が良心的だと、なぜ おもえてしまうのか。 多数派は、名前を つける側である。そして、多数派は名前を もたない。多数派は、名前を つけられるのを いやがる。自分たちは、だれかにたいして、くりかえし やっていることなのにだ。 民族は

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  • 不平等な関係が「本名と通名」のジレンマを うみだす。 - hituziのブログじゃがー

    名? |liangのブログ まず、うえの記事を ごらんください。 いろいろな論点があるわけですが、ひとつ たいせつな点が論じられていないように感じました。それは、日社会において、多数派である日人は「名と通名」のジレンマを かかえていない。それにたいして、少数派である朝鮮系の住民だけが「名と通名」のジレンマに なやまされている。その非対称性が問題だということです。関係が不平等だということです。 少数派には通名がある。多数派には通名がない。 その不平等な関係に問題があるのですから、 そもそも「名」という名辞そのものがいかがわしくないか。当の自分どうように。というのは、もっとも「いかがわしい」ものを 放置してしまっているように感じます。もっとも、liangさんには とっくのむかしから わかっていることなのだと おもいますが。この記事で liangさんが とりたてて かいておられない

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    islecape
    islecape 2009/03/26
    id:munyuu それを「日本人が罪をなすりつけられた」と思うのはちょっと感覚が変じゃないですか。そもそもの歴史的経緯とかいう以前の問題として。
  • 責任を ひきうける。 - hituziのブログじゃがー

    いくつかのはなし。「悪意ある責任論」の問題、いわゆる「たち位置(ポジショナリティ)」について、「おまえだって」という批判について。 差別について。 - hituziのブログじゃがー たとえば、わたしは知的障害者の施設で しごとをしてます(「あたえることには 意識的。うばいとることには 無自覚。」)。わたしの職場はグループホームも いくつも運営しているのですが、わたしの部署は入所施設です。社会の都合で、制限された空間を いきているひとがいます。そこで しごとを している わたしは、毎日の業務で なにを どうしようとも、正義などではありえないのです。これは社会全体の問題ですから、社会をつくりなおさないかぎりは、胸をはれる日など、おとずれはしないのです。それまで わたしは、差別者でありつづけるのです。 でもだからといって、わたしが自己批判をつづけて絶望して、無気力になって、死んでしまえば正義にな

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    islecape
    islecape 2009/03/24
    「お前だって」と言う人にもその言葉は向けられますからね。そうなると相対化合戦になってしまう。
  • 差別について。 - hituziのブログじゃがー

    差別。「差別はいけません」。「なくそう差別」。 うーーん。どうなんでしょうね。ちょっと、小山エミ(こやま・えみ、macska)さんの解説を みてみましょう。 macska dot org 差別についての、ごく基的な考え まず、一番大事なこと。わたしは「差別」という言葉で社会の諸制度や、それを含んだ社会システムのことを指す用法を取り、一般に「差別」と呼ばれる個別の行為や発言などは「差別的」と呼んで区別している。つまり、特定の人々に対して「不利益・不平等な扱いをすること」という行為のレベルではなく、特定の人々が「不利益・不平等な扱い」を受けるような社会のありかたを「差別」と呼び、個々の不平等な扱いは「差別的」もしくは「差別行為」として区別している。それは、「差別」とは主に社会のありかたの問題であり、個々の行為や発言などのことではないと考えているから。 いやあ、すばらしい。そのとおりですよね。

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  • 朝鮮人差別について。 - hituziのブログじゃがー

    三浦耕吉郎(みうら・こうきちろう)編『構造的差別のソシオグラフィ』世界思想社 「私たちがある種の関係性のなかにおかれると、個々人のなかの偏見や差別意識の有無とは無関係に、差別に荷担させられたり、差別を引き起こしてしまうことがある」(みうら「序章 〈構造的差別〉のソシオグラフィにむけて」3ページ) マイノリティについて - hituziのブログじゃがー マイノリティは、ただマイノリティなのではない。マジョリティ(多数派)との関係において、マイノリティであるのだ。 日国籍を 一方的に おしつけ、うばいとる。 さて、かんたんに歴史的事実から。在日コリアン弁護士協会 LAZAK編著『裁判の中の在日コリアン』現代人文社より。 1910年のいわゆる日韓併合によって、朝鮮は日の領土とされ、朝鮮人は一律に日国籍を取得しました。その後、日による朝鮮半島の植民地支配が行われていた間、日国籍を有し、日

    朝鮮人差別について。 - hituziのブログじゃがー
    islecape
    islecape 2009/03/12
    差別者の強みは、彼らの弱味にしかない。つまり彼ら個々人の弱さゆえに群れている、ということを背景にした幻想の強さである。そして彼らは、人が群れることによってさらに個として弱くなるということに気づかない。
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