勝栄二郎。知る人ぞ知る財務省の事務次官である。野田総理が戦った民主党代表選の「影の選対本部長」とも、組閣時の人事にも口を出したとも言われる。 野田氏が財務副大臣、財務大臣と務めるうちに、財政とは何たるものかを、手とり足とり指南もしたという。野田内閣がメディアで「勝栄二郎内閣」と言われるゆえんだ。 ちなみに、彼と私は因縁の仲である。海部・宮沢内閣の時、彼が大蔵省文書課の補佐として大蔵省の国会窓口、私が内閣副参事官(今の内閣総務官室)として官邸の国会窓口という関係で知り合った。 当時、あまりに大蔵官僚が夕方から深夜まで接待に明け暮れ、総理の国会答弁の作成が未明になるので、私から彼に口頭で厳重注意したこともある。当時の大蔵省は、自分たちに答弁の協議を求めながら、平気で他省庁の官僚を待機させ、飲み食い、芸者遊びに興じていたのだ。このツケは後に、「○○しゃぶしゃぶ事件」に象徴される、一大過剰接待、大