『空あり』という看板が駐車場の入り口に貼りだしてある。当然、それは“あきあり”と読むのが通例だがその日、僕の目には般若心経の真髄(しんずい)である“空(くう)”と見えた。 空とは、仏教で実体のないものの意味。それを駐車場は“あり”というんだから、これは相当深い哲学が説かれているはずだと思った。それ以来、街を歩くと“空あり”がやたら目について、近寄っては写真に収める作業を続けてきた。中には『空なし』というものもある。実体のないものがないということはどういうことなのか? 僕の浅い知識では到底、その真意を解くことなど出来(でき)やしない。看板の下には電話番号が書かれている場合があるが、かけてもきっと教えてはくれないだろう。 それから数年が経(た)ち、僕は有馬温泉の宿で夜、夢を見た。金色に輝く聖人が現れ、「あなたは何故(なぜ)、般若心経の全ての文字を集めないの?」(声は何故か井上陽水さんで)-そう
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