観光農園江和ランドよりお知らせです。 2021年4月1日よりウエブサイトを変更しました。 価格表記やメニューなど一部内容を更新しております。 是非ご覧ください。 新サイトはこちら
8月16日(金)、故郷の豊岡市で小学校のクラスの同窓会をするというので、昼から車ででかけた。舞鶴自動車道を下りて、福知山城公園に行った。 駐車場に車を止めて、大きな太鼓橋を渡った。お城の入り口に福知山市立佐藤太清美術館がある。福知山出身で、日展理事長、文化勲章を受章した佐藤太清の絵を収容している。ところが、現在、生誕100周年の記念展覧会が全国を巡業中で、元々20点程度の収蔵なのが、10点程しかなかった。仕事場を再現してあった。 佐藤太清の絵は、4 年前に奈良の万葉文化館で見て魅了された。田中一村の絵を見に行って同時に開催されていたのをみたが、「雪つばき」に感動した。「雪椿」は日本芸術院の所蔵で、係の人の話に寄ると、当館に寄贈されるのが、手違いで日本芸術院に行ってしまったという。年末から京都文化博物館で展覧会があるのを見に行くことにしたい。 坂を上がって行くと、天守閣がある。中に入ると、福
かやぶき美術館を再開しています。 4月より休館していました かやぶき美術館について、 7月1日より再開していますが、 以下のような運営を変更して行うことになりました。 1.常時開設型の美術館からレンタル・ギャラリーとしての美術館運営へ これまでは年4〜6回の企画常設展を開催し、運営スタッフが、常時開設として来訪者の対応を行っていましたが、7月以降については、レンタル・ギャラリースペースとしての運営とします。 2.美術館および資料館の見学を希望する場合は、予約制(10名以上の団体)を基本に運営します。 また、週末などにオープン日を設けてその日は、人数に限らず入館いただけるようにします。 利用料金は以下のとおりです。 かやぶき美術館の利用料金
「美山かやぶき由良里街道」(府道京都広河原美山線他、南丹市美山町)は、平成20年12月11日に開催された近畿風景街道協議会(委員長:宗田京都府立大学准教授)において日本風景街道に登録されました。ここでは、「美山かやぶき由良里街道」の魅力をご紹介します。 1.「美山かやぶき由良里街道」って何? 「美山かやぶき由良里街道」は、南丹市美山町にある大野ダムから日本の原風景「かやぶきの里」を経由して、自然豊かな芦生へと至る由良川(美山川)沿いのルートです。 府道綾部宮島線や府道和泉宮脇線、府道園部平屋線、国道162号、府道京都広河原美山線の5つの路線、約36キロメートルが登録され、かやぶきの里や田畑など日本の原風景とも言える農村風景や美しい由良川(美山川)の河川風景など風光明媚な景観を沿道から眺めることができます。 平成20年12月11日に府内で3番目の日本風景街道として登録されました。 美山かやぶ
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "松花堂昭乗" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2015年5月) 松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう、天正10年(1582年) - 寛永16年9月18日(1639年10月14日))は、江戸時代初期の真言宗の僧侶、文化人。姓は喜多川、幼名は辰之助、通称は滝本坊、別号に惺々翁・南山隠士など。俗名は中沼式部。堺の出身。 書道、絵画、茶道に堪能で、特に能書家として高名であり、書を近衛前久に学び、大師流や定家流も学び,独自の松花堂流(滝本流ともいう)という書風を編み出した。近衛信尹、本阿弥光悦とともに「三筆」と称せられた[1]。
すっかりお久しぶりのブログとなってしまいました今日から10月…本当にあっという間に時間が経ってしまいますね。。 さて、新型コロナウイルスの影響により、今年度のお茶会はすべて中止となってしまいました。感染拡大防止の観点からすれば仕方のないこととはいえ、なんとも残念な気持ちでいっぱいです。 松花堂主催のお茶会はなくなってしまいましたが、本日、八幡市内のとある高校の茶道体験教室が開催されました こちらは茶道部の皆さん…ではなく、高校内で募った茶道体験希望者に手を上げてくれた皆さんです。十分に距離をとり、道具も共有せず、入念に感染防止対策をしたうえで、先生方のお話に耳を傾けながら、お茶を点てたり、飲んだりされていました。 お茶を飲むときに「左手を揃えて、その上にお茶碗を置いて」と言われたり、点てるときに「茶筅は上下に動かして」と言われたりするたびに、ちょっとドキドキした面持ちで、友だちの様子を伺い
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "松花堂弁当" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2014年3月) 松花堂弁当(しょうかどうべんとう)は、中に十字形の仕切りがあり、縁の高いかぶせ蓋のある弁当箱を用いた弁当。 仕切りのそれぞれに刺身、焼き物、煮物、飯などを見栄え良く配置する。盛り分様式としては、ごはんと数種類のおかずを組み合わせたものであり、幕の内弁当に似ているとも言え、しばしば混同もみられる。 「松花堂」の名は、江戸時代初期の石清水八幡宮(京都府八幡市)の社僧であった松花堂昭乗(1584年(天正12年) - 1639年(寛永16年))に因むものである。昭乗
Copyright© 2005 Omotesenke Fushin'an Foundation. All Rights Reserved.
いい建物、いい物を見よう! 社内の有志が呼びかけ、申し込みをしなければ見られない建物を見る会が計画されました。第1回目は「表千家不審菴」です。 現在、当社でお茶室のある住宅を2軒工事させていただいていることもあり、今特に担当スタッフが茶室建築に関心が高いこともあります。 表千家を訪れて、まず目にする表門。小川通に面するこの武家屋敷風の門は、千利休没後、その子息が紀州徳川家に使え、紀州徳川家から200年ほど前に拝領された門だそうです。 門を入ればすぐ右手に「供待(ともまち)」があります。脇には井戸があり、その昔道中の汚れを落としたそうです。 見学者はここで用意された草履に履き替えます。 正面左に進むと右側に「本玄関」その左隣に「内玄関」があります。表玄関の屋根の腰屋根は杮葺き(こけらぶき)で、式台には竹が張られていました。 往事、本玄関から迎えたのは紀州公だけであったそうです。現在、来客や稽
四条で友人Aと待ち合わせてまず向かった先は、祇園にある大好きな美術館、「何必館」です。 最初むずかしくて名前が読めませんでしたが、「かひつかん」といいます。 こちらは現代美術の美術館で、今の時期は「魯山人を使う展」をやっています。 タテに細長いビルのなかの小さな展示室で、魯山人が生き生きとわたしたちの前によみがえります。 いつもはほとんど人がいない静かな美術館なのですが、 さすが魯山人、この日はお客さんが多めでした。 ※つばき鉢の写真は、何必館HPよりお借りしました。 美術館の入口からすぐの場所に展示されていたこのつばき鉢を見て、 これってこんなに大きかったんだ!と驚く友人A。 写真で見るのと印象ちがうね、すごい迫力だよねーと、うなずきあいます。 わたしは昔から、くるん、と筆をまわして描くこの椿の絵が好きで、 自分のお茶碗もこういう柄のものを使っています。もちろん安いお茶碗ですが。。^^;
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く