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2021年12月17日のブックマーク (2件)

  • 怒りの哲学 正しい「怒り」は存在するか/アグネス・カラードほか|ryo_tsukakoshi

    『on anger』(2020 MIT Press)の邦訳。 ある人たちは某シンガーが倒れた友人を思い救急車を蹴りあげた時称賛し(注1)、またある人たちは変革を求める怒りに対し「怒ってばかりじゃ伝わらないよ。理性的に議論しよう」などと言う。怒りについて。 シカゴ大学の哲学者アグネス・カラードの問題提起(第一部)に基づき、複数の書き手が応答し(第二部)、またインタビューや論考を寄せている(第三部)。 邦訳の内容紹介では「当代随一の哲学者たちが議論を戦わせた記録」とあり、実際書き手(一部インタビュー)17人のメインは哲学者なのであるが、一部古典研究者や、ポール・ブルームのような心理学者もいたりして。 トピックはアリストテレスやストア派から最近のtwitterやFACEBOOKのアカウント停止、キャンセルカルチャーや美徳シグナリングまでカバー。 なんというかOxford University P

    怒りの哲学 正しい「怒り」は存在するか/アグネス・カラードほか|ryo_tsukakoshi
  • 第27回:衣服の記号論 - はぐらかし・やり過ごし・じゃれ合い的生活のすすめ

    3.記号とブリコラージュ――あるいはモノの単独性について 3-1.制服という記号 鷲田さんのこの(『ちぐはぐな身体』)は、衣服やファッションを「記号」として扱っただということができます。つまり、衣服の記号論ともいえます。ただし、衣服を記号だというとき、それは衣服が着る人の地位や職業や性別や年齢やキャラ(つまり同一性)を示す記号だということだけではありません。同一性を表す記号としての衣服の典型が「制服」ですが、鷲田さんは、このの中で、制服についていろいろ考察して、制服が制度的な同一性に人を従順に縛り付けておくものといった、一筋縄の単純な「記号」ではないことを論じています。たとえば、鷲田さんは、制服を着崩すことが抵抗の表現になるだけではなく、制服の「裏の顔」として、「制服へのいわば裏返されたまなざし」、すなわち、コスチューム・プレイや着せ替え、異性装、セーラー服願望など、制服への執拗なフ

    第27回:衣服の記号論 - はぐらかし・やり過ごし・じゃれ合い的生活のすすめ