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ブックマーク / sniper.jp (10)

  • 『一〇年代文化論』の書評を書かなくてはいけないが『一〇年代文化論』の書評を書く気が起きないから/『一〇年代文化論』 著者=さやわか(星海社新書) 文=ばるぼら - WEBスナイパー

    広大な領域に及ぶ二〇一〇年代の若者文化と社会について、「残念」という言葉の意味の変化を軸に読み解いてゆく、さやわか氏の手になる「希望のポップカルチャー論!」。『僕たちのゲーム史』(講談社)『AKB商法とは何だったのか』(大洋図書)の記憶も新しい著者の最新刊をめぐり、ばるぼら氏に論じていただきます。 ■『一〇年代文化論』の書評を書かなくてはいけないが『一〇年代文化論』の書評を書く気が起きないから これはWEBスナイパー編集部から与えられた『一〇年代文化論』の書評をするためのスペースなのだが、『一〇年代文化論』の書評を書く気が起きないのは、について書こうとするとすぐ別のことを考えはじめてしまうからで、だがそれを放っておこうとするといつまで経っても原稿が進まないものだから、もう別のことをまず書いてしまうことにした。それはなぜさやわかという著者は歴史ばかり書くのかということだ。 『僕たちのゲ

    『一〇年代文化論』の書評を書かなくてはいけないが『一〇年代文化論』の書評を書く気が起きないから/『一〇年代文化論』 著者=さやわか(星海社新書) 文=ばるぼら - WEBスナイパー
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/09/09
    いろんな領域にコミットしながらも全然炎上しないのですごいなと思っていたけど、「書くことに自覚的」で「反応を先取り」して「物語」を構成しているから、なのか
  • さやわか × 村上裕一 対談:『僕たちのゲーム史(星海社新書)』をめぐって【前編】 - WEBスナイパー

    昨年、星海社新書より上梓された『僕たちのゲーム史』。膨大な史料と明快な論旨からゲーム歴史を読み解く書をめぐり、著者であるさやわかさんと批評家の村上裕一さんによって行なわれた対談を前後編でお届けいたします。執筆にあたり著者として臨んだ態度、ゲーム史におけるパチンコの位置づけ、拡大していくゲームの枠組みなど話題は多岐にわたります。大変ボリュームのある対談となっていますので、どうぞゆっくりお楽しみください。 さ 星海社新書から出させていただきました『僕たちのゲーム史』は、実はかなりいろんな意図を込めて書いたところがあります。その一つは、やはり普通のゲーム史、もしくはゲームの議論と、東浩紀さんが2007年に提示した「ゲーム的リアリズム」という概念をスムーズに接続することでした。それによって、おそらく今日のポップカルチャー批評の俎上に上がる他ジャンルとゲームを、同じ視点から語ることができるように

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2013/01/13
    「ゲーム的リアリズム」への意識、(ゲームは必ずしも物語でないにもかかわらず)人が物語というものにどうしてもこだわってしまうことへの注目、か。
  • 美少女ゲームの哲学 - WEBスナイパー

    第八章 美少女ゲーム音楽的テキスト【7】 様々なメディアミックスによってコンテンツが生まれている昨今、改めて注目されている作品たちがある。美少女ゲーム。識者によってすでに臨界点さえ指摘された、かつて可能性に満ちていた旧態のメディア作品。だがそうした認識は変わらないままなのか。傍流による結実がなければ光は当たらないのか。そもそも我々は美少女ゲームをどれほど理解しているのか――。巨大な風景の歴史と可能性をいま一度検証する、村上裕一氏の批評シリーズ連載。

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2012/07/21
    村上裕一による連載。
  • 鼎談:泉信行 x さやわか x 村上裕一 2010年代の批評に向けて 第一回 - WEBスナイパー

    『GUNSLINGER GIRL (1) 』 著者=相田裕 出版社=メディアワークス 発売=2002年 『魔人探偵 脳噛ネウロ 1 』DVD 発売=2007年12月21日 発売元=「魔人探偵脳噛ネウロ」製作委員会 販売元=バップ 定価=3,990円(税込) 泉:今日のために、村上さんが夏コミで参加されていたヱヴァ破のコピー誌を読んできたんですけど、佐藤心さんとの対談、面白かったですね。なんか佐藤さんは、キャラのシチュエーション妄想をする妙な才能があって(笑)。マリに関しても、一見トラウマなんかと無縁そうなキャラなわけですが、それは改造手術か何かで記憶を消去されてるんじゃないかと深読みした上で、「マリが死ぬ間際にKey作品 のオルゴール曲みたいなのが流れて、消去されたはずの記憶が甦ってきたらしっくりきそう」って妄想していて、それはなるほど、絵面は浮かぶよねと。佐藤さんはガンスリの義体に喩えて

  • 連載「現場から遠く離れて」第四章 事件は現場で起こっているのか 【5】 - WEBスナイパー

    第四章 事件は現場で起こっているのか 【5】 ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に質的な問いを突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代とジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載。 『THE MOVIE3』はまず、前作までの「現場」と上層部の対立というわかりやすい二項対立が大きく後退して、そこにサーバントリーダーを名乗る鳥飼誠一補佐官が現われる。鳥飼は「現場」と上層部のそれぞれが立場を損なわないようにするための調整役を買って出て、両者の対立を収めたり、判断に迷う室井に最適な選択肢を与えたりする。室井は鳥飼が

  • 連載「現場から遠く離れて」四章 事件は現場で起こっているのか 【3】 - WEBスナイパー

    第四章 事件は現場で起こっているのか 【3】 ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に質的な問いを突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代とジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載。 かくして押井守が『パトレイバー』の中で混濁する虚構と現実に日繁栄の虚実を重ね合わせてみせたような含意は『踊る大捜査線』において削除され、「サラリーマン刑事」が大企業のような縦割り組織の中で経験する上層部と末端の卑近な対立構造だけがクローズアップされることになった。『パトレイバー』に比して特に「日」や「戦争」などの政治的テーマ

  • 連載「現場から遠く離れて」第四章 事件は現場で起こっているのか 【1】 - WEBスナイパー

    第四章 事件は現場で起こっているのか 【1】 ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に質的な問いを突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代とジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載。 『踊る大捜査線』は1997年の初頭から放映された刑事もののテレビドラマだ。放送開始時はさほどに注目されていた作品ではなかったが、口コミを通じて、とりわけ稿の興味としてはインターネットにおいて人々の間で話題となり、最終話は20%を越える視聴率を記録する。その後97年から98年の間に1時間半以上のスペシャル版を三度にわたって放映し

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2011/06/28
    政府と東電批判に引き合いに出されてる、日本軍の兵站軽視・前線の兵士賞賛とも通底するのかもな
  • 新連載「美少女ゲームの哲学」第一章 恋愛というシステム【1】 - WEBスナイパー

    Criticism series by Murakami Yuichi;Philosophy of "bishojo" game 第一章 恋愛というシステム【1】 様々なメディアミックスによってコンテンツが生まれている昨今、改めて注目されている作品たちがある。美少女ゲーム。識者によってすでに臨界点さえ指摘された、かつて可能性に満ちていた旧態のメディア作品。だがそうした認識は変わらないままなのか。傍流による結実がなければ光は当たらないのか。そもそも我々は美少女ゲームをどれほど理解しているのか――。巨大な風景の歴史と可能性をいま一度検証する、村上裕一氏の批評シリーズ連載。 †美少女ゲームという「風景」 美少女ゲームについて、もう一度考えてみようと思う。 「もう一度」。こういう問いは、一定の蓄積=歴史を持つあらゆるジャンルにおいて、しばしば繰り返されるものである。実際、つい最近――と言っても僕に

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2011/06/25
    さやわかさんのと並んでこちらも面白そう
  • 連載「現場から遠く離れて」第三章 旧オタク的リアリズムと「状況」 【3】 - WEBスナイパー

    第三章 旧オタク的リアリズムと「状況」 【3】 ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に質的な問いを突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代とジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載。 この物語は全体として、映像やレーダーサイト、軍事ネットワークなどに偽の敵機情報を流すことによって敵の存在を誤認させ、疑心暗鬼にとらわれ追い詰められた日政府や自衛隊によって物の戦争が引き起こされようとするという事件を描いている。 物語の筋に沿って説明しよう。事件の発端となるのは爆撃戦闘機による東京湾ベイブリッジの爆破である。

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2011/06/19
    “この「踊る大捜査線・パト2的」体制批判の一種として表れている「現場」の称揚こそは、第一章でイアン・コンドリーの例から順に紹介した音楽シーンにおける「現場」至上主義と同根のもの”
  • 連載「現場から遠く離れて」第三章 旧オタク的リアリズムと「状況」 【4】 - WEBスナイパー

    第三章 旧オタク的リアリズムと「状況」 【4】 ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に質的な問いを突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代とジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載。 これについては若干の補足を加えたい。参照すべきなのは大塚英志と大澤信亮の共著『ジャパニメーションはなぜ敗れるか』(角川ONEテーマ21、2005年)だ。共著ではあるが大部分が大塚の他の著作でもよく見られる議論に沿って書かれており、実質的に書の主旨は大塚によるものと考えて差し支えない。 大塚英志とはどういう人物か。彼は第一章の

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