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ブックマーク / lichtung.hateblo.jp (7)

  • マルチエンティティーズ人類学:存在論的混淆種としての人類 - Lichtung Criticism

    マルチスピーシーズ人類学から発展して、複数の存在論的地位にある対象についての人類学を論じることができる。 それがマルチエンティティーズ人類学(multi-entities anthlopology)だ。 それは虚構的対象、フィクション、物語、ロボット、死者、幽霊、数的対象、概念などといったさまざまな存在論的地位を持つ存在者たちとわたしたち、わたしたち以外、わたしたちとわたしたち以外のあいまが複合体となって、それらがどのように生を営むのか、どのようなふるまいをするのか、どんな価値を見出すのかを明らかにしようとする学問だ。 マルチスピーシーズ人類学が、狭義に存在する動物たちと人間を扱うのなら、マルチエンティティーズ人類学は、実在する、という特性を超えて、非実在や虚構と呼ばれうる存在論的に多様なスピーシーズ=マルチエンティティーズと人間の関わりを主題化しようとする。 たとえば、綾波レイやアスカラ

    マルチエンティティーズ人類学:存在論的混淆種としての人類 - Lichtung Criticism
  • 表現と行為:表現行為論、芸術と政治、芸術倫理学 - Lichtung Criticism

    はじめに 表現を用いて行為を行うとはどういうことか。稿では、J・L・オースティンの『言語と行為』における言語行為論を拡張した「表現行為論」のスケッチを行う。表現行為論は、「発表行為」「発表内行為」「発表媒介行為」の三つの概念を軸に、芸術作品や表現一般を用いた行為を分析する。稿では、表現行為論の素描ののち、芸術作品や表現一般がいかにうすくとも持ちうる行為としての側面に注目することで、それらがある種の政治とは切り離し難いものであることを指摘する。そして、表現行為論から、芸術表現の倫理を問う「芸術倫理学」の思考可能性を議論し、さいごに、表現行為論に代表される哲学、美学における概念が実践にどのような寄与をなしうるのかについてふれる。 はじめに 1. 言語行為から表現行為へ*1 2. 表現行為論––––発表行為、発表内行為、発表媒介行為 3. 芸術と政治の切り離せなさ 4. 芸術倫理学の試み 5

    表現と行為:表現行為論、芸術と政治、芸術倫理学 - Lichtung Criticism
  • 作画崩壊の美学 - Lichtung Criticism

    はじめに DIESKEによる「作画崩壊の形式的な分析に向けたノート」は、「「作画崩壊」概念の実相を描きだすこと」を目指し、前半では、作画崩壊をめぐる言説を整理し、この概念がある作画を作画崩壊かあるいはそうでないかを分類するための「分類概念」としては定式化困難であることを示し、後半では、ヴァルター・ベンヤミン の「理念」という概念を手がかりに、この概念を捉える作業を行なっている(DIESKE 2019)。 この作業は、しばしばアニメーション鑑賞者のあいだで議論の的になるような「作画崩壊」という概念を分析的に明らかにする試みとして、さらに、作画崩壊を精神分析的に捉え直そうとする試みとして、美学的にひじょうに興味深いものである。わたし自身、これまで作画崩壊を哲学的に考察したことがなかったが、触発され、いくつかのアイデアが浮かんだ。 稿では、DIESKE(以下著者とする)の主張を参照しつつ、著者

    作画崩壊の美学 - Lichtung Criticism
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2019/02/25
    音楽のミスは面白がれる範囲が狭いような気がして,それもまた不思議
  • 浦上・ケビン・ファミリー『芸術と治療』注意と分散 - Lichtung Criticism

    はじめに 浦上・ケビン・ファミリーは、作曲、編曲、演奏、エフェクト、歌唱まですべてをこなすソロユニットである。浦上の編曲はこれまでYouTube上にアップロードされており、その高度やリハーモナイズの才と音色の豊かさから一部のあいだで高い評価を得ていたが、彼の最初のオリジナル曲『芸術と治療』が先日(2019年1月20日)公開され、その類まれなる才能と音楽的豊かさに多くのひとが気づきはじめた。 稿では、浦上の曲を、これまで聴いたことのなかったひとにも聴いて頂き、また聴いたひとのなかで、しっくりこなかったひとにもあらためてそのよさに気づいて頂き、さらに、もちろん、よさに気づいたひとにはいっそう深くその価値を味わってもらえるよう、「注意と分散」をキーワードに『芸術と治療』の聴取を分析し、そのおもしろさを明らかにする。 はじめに 経験を分析する 注意と分散の美学 批評の不可能性? おわりに 参考文

    浦上・ケビン・ファミリー『芸術と治療』注意と分散 - Lichtung Criticism
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2019/02/03
    アテンションの向き方は特に音楽では大事そう
  • 質感旅行スケッチ - Lichtung Criticism

    はじめに 「質感旅行」という言葉は急に目立って現れた。稿はその概念を公式の質感旅行的鑑賞と非公式の質感旅行的鑑賞に区別し、聖地巡礼という行為との関係を整理する。 はじめに 経緯 公式/非公式の質感旅行 覚書 経緯 聖地巡礼と質感旅行についての言説が急に目立って現れる。起源は不明だが、目立つようになった理由は『ガールズ ラジオ デイズ』という作品の流行によると言えそうだ*1 自分の直近の体験で言うと、作中にハッキリと描かれていたゾンビィハウスを訪れて写真を撮るまでは聖地巡礼で、そのゾンビィハウスの近くを歩いていたら見つけたほっともっとで紺野純子が日常的に弁当買いに行かされているイメージを膨らませるのは質感旅行概念だと思う— ふら_お (@fura_o) 2019年1月22日 整理をしてみた。 「聖地巡礼」は作品における虚構世界ですでに表象された対象の現実世界の対応物を鑑賞する行為(「ここで

    質感旅行スケッチ - Lichtung Criticism
  • バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン・ペルソナ・キャラクタ - Lichtung Criticism

    はじめに 2017年の終わりごろ、にわかに人々の耳目を驚かし、少しづつ人口に膾炙しはじめたバーチャルユーチューバ(VTuber)というものたちがいる。動画では、3Dあるいは2Dモデルのキャラクタが動き、企画やトークを行なっている。それらは、あらかじめ決められた演技を行うような3Dアニメーションとはあるていど異なっている。というのも、それらのキャラクタの動きは、演者の意図した動きから、不随意な動きまでもトラッキングすることで生成され、たとえば、ライブ放送においては、演者とキャラクタの動きのリアルタイムな同期が行われているからだ。それらはアニメーションにおけるフィクショナルキャラクタのようでもあり、また、Twitterやライブ放送でのオーディエンスと双方向的なコミュニケーションを行う様子からすると実在の人物のようでもある。 バーチャルということばにこと寄せて、実在しないが実質的に存在するような

    バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン・ペルソナ・キャラクタ - Lichtung Criticism
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/05/22
    コミュニケーション研究のパートは難しかったけど全体として興味深く読んだ。「ペルソナとして/キャラクタとして」をパラメーターと考えると,アイマスライブとVtuberの差異なんかもその度合の違いとして説明できそう
  • 『鳩羽つぐ』の不明なカテゴリ:不明性の生成と系譜 - Lichtung Criticism

    概要 『鳩羽つぐ』という作品のうちのさまざまな表象の意味の考察にとどまらず、その作者の意図やその作品を取り巻く言説をも考察の対象とし、それらを分析美学の道具立てを用いて批評することで、この作品の特殊性を明らかにする。 上記の作業を通じて、『鳩羽つぐ』は、「鑑賞者にその仮のカテゴリ的意図を推測させることをその作品の意図のなかに含みもつようなカテゴリ」としての「不明なカテゴリ」のもとで鑑賞しうる作品であることが明らかにされる。 そのことによって、『鳩羽つぐ』はわたしたちに「不明なカテゴリ」と関係するさまざまな作品の特殊性に関する気づきを与えるということを指摘する。 概要 『鳩羽つぐ』の不明なカテゴリ カテゴリへのアクセス カテゴリとジャンル カテゴリと鑑賞 カテゴリ的意図 不明なカテゴリと生成されるカテゴリ 意図の不明性 不明性の系譜 『鳩羽つぐ』の不明なカテゴリ 鳩羽つぐ。Youtuber。

    『鳩羽つぐ』の不明なカテゴリ:不明性の生成と系譜 - Lichtung Criticism
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/03/25
    不明なカテゴリーというカテゴリー、遡及的に発見される系譜。面白い
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