「家の中を劇的に片づけると、 考え方、生き方、そして人生までが劇的に変わる。 片づけをすると、仕事も家庭も、人生全般がうまくいきはじめる」 とは「人生がときめく片づけの魔法」(近藤麻理恵著)。 私はこれを読んで抜本的に家の中を片づけないとダメだと思うようになった。 断捨離にはまっていると、かさこマガジン2に書いた。 愛読書のグインサーガ全巻(約150巻)を捨てたのをはじめ、 かなりいろいろなものを捨てた。 それでもまだまだ物があり、私の家の机周りは物だらけ。 ちょくちょく物を捨てているつもりだが、 ちょっと油断すると、仕事の書類だとか、 本だとかもまた新たに増えてくるので、 物であふれかえってしまう。 「人生がときめく片づけの魔法」が言う通り、 片づけとは過去に片をつけることであり、 古いものを捨てていかないと、 新しいものが入ってきにくくなり、 人生そのものが“目詰まり”を起こしてしまう
依然として、自閉症の著書に収録するサヴァン症候群の各章を書いているのですが、その部分が肥大しすぎたため(全部で7,8章になるため)、『周辺から見た自閉症』と『新たな視点から見たサヴァン症候群』(いずれも仮題)のふたつに分けて出版することにしました。参考文献も大量(現時点で500件ほど)で、しかもいちいち原典に当たっているので、遅々として進みませんが、順番としてはサヴァン症候群のほうが先で、来年の5月頃の出版を目指しています。予定が1年ほどのびてしまいました。 お知らせが遅れましたが、『小坂英世著作集』全4巻、『小坂療法とは何か』その他、心の研究室で刊行した著書や編著書を、今年の春先にまとめて国会図書館に寄贈しました。国会図書館のサイトで検索すれば表示されます。これで永久保存されるので、ひと安心です。 (9/29/23) 精神科医で精神病理学者の野田正彰先生が、昨年に出した『小坂療法とは何か
平尾剛さんの『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)を読んでいます。 この本の序章に 「運動」は緊張しながら行うものではないし、評価の目に晒されながら行うものでもない。幼きころのようにただ純粋な好奇心のもとに行うのが理想的だ と書かれています。 私は初めて評価される目を感じて運動した日のことをよく覚えています。 もともと運動が好きで中学・高校とハンドボールをしていた私は、体育学科のある大学を受験しました。二次試験は実技。他の受験者をビビらせなければいけないと思い、大阪府の代表として海外遠征したときにいただいたOSAKAと日の丸のついたエナメルバッグを持参。 (このエナメルバッグの話は『近くて遠いこの身体』にも出てきて、えっ!日本代表選手とこんなところに共通点が!!とうれしくなったため、書いてみました。私はこれ以外に自慢できるネタなし) 試験の日は「うまく見えるように」と意識して、ステップ、フェイ
夏の高校野球のシーズンもずーっと前に終わって、高校野球チームを支えた女子マネジャーたちの話題もすっかり忘れられたころだと思います。 日本の高校野球部の女子マネジャーが2万個のおにぎりを作り、8月にそれが美談風に報道されたことがきっかけで、性別にかかわらず何かをする機会が平等に与えられていないのではないか、などということがネット上で議論されました。 この文章も議論のきっかけのひとつとなりました。 https://note.mu/lingualina/n/n42ec2cba77d2 文章全体で、女性であることによって選手になる機会を制限されていなかったか、男性であることによっておにぎりを握るマネジャーをする機会を制限されていなかったか、と問いかけていらっしゃいます。 私もアメリカで「運動部 マネジャー募集。女子マネに限る」と応募したら法に訴えることができると考えています。 この文中に「アメリカ
9月に入ってから、 7年生の長男が通う中学校と、5年生の二男が通う小学校のカリキュラム説明会に行きました。 体育の授業の説明もありました。 中学校は全員が持ち点100から始まるそうです。忘れ物をしたり、遅刻したりするとその持ち点から減点されて、成績に反映されるとのこと。 忘れ物をせず、遅刻をせず、体育にふさわしい服装をして、規則を守って授業に参加していれば、100点がもらえるそうです。 運動能力そのものは成績には入りません。説明を聞いた限りでは、絶対評価でも、相対評価でもなく、運動能力そのものは評価の対象外のようです。(うちの子たち、体育くらいしかいい成績が…というのもちょっと頭をよぎりましたが) 小学校のときは授業態度とともに、運動能力や体力テストのようなものの結果が評価対象になっていました。 このブログでも何度も書いていますが、体育というのは、結果が同じ授業に出席している友人に丸わかり
もう17年ほど前のことで、記憶があやふやな部分もありますが、 思い出話を書きたいと思います。 たしか1998年のことだったと思います。 長谷川滋利さんがエンゼルスでプレーされていたころの話です。 長谷川さんはご自身には通訳をつけず、できる限りチームに溶け込むように努力されていました。努力というよりも、英語でコミュニケーションをとり、自然とチームになじまれていたようにも思います。 そして、アメリカに来たからにはアメリカのやり方を取り入れようとされているようにも見えました。当時はまだ、日本からメジャーに挑戦していた選手の数も少なく、前例や日本人の先輩もいないなかで、選手もまわりも手探りのことが多かったのです。 ある日、次の日がお休みだったか、どんな日だったか忘れたのですが、「野球から離れる」という話をしていたと思います。 長谷川さんは当時の現役トップだったマダックス投手を引き合いにだし、「マダ
私は反原発の急先鋒といっても過言ではないが、 福島原発事故による福島の放射能汚染被害を描いた、 自称ドキュメンタリーと称している映画「A2-B-C」の上映委員会が、 突如、解散することになり、 やれ検閲だの、甲状腺問題はタブーなのか、といった声が出ているが、 私から見ればこのクソ映画はドキュメンタリーでも何でもなく、 反原発派の私でさえ、目を覆いたくなるような恥ずかしい映画で、 むしろこんなクソみたいな映画を作っちゃうから、 原発推進派や原発容認派に反原発がバカにされ、 どんどん原発再稼働が推進される結果になっていると思う。 そのような意味で、反原発派の私としても、 このようなただ恐怖を煽るだけで、 事実が少ない中身のない映画が、 上映中止になった方が反原発を進める上でプラスだと思う。 先日たまたま見たけど、まあひどい。 こんなんで「ドキュメンタリー映画」なんて言わないでほしい。 何がひど
『21世紀ドストエフスキーがやってくる』(集英社、2007)には、大江健三郎と沼野充義の対談「ドストエフスキーが21世紀に残したもの」が載っている。これは収録が2006年10月23日、山の上ホテルにて、となっている。一方『すばる』2007年4月号には、同じ二人の対談「ドストエフスキーの"新しい読み"の可能性--ロシア・東欧文学をめぐって」が載っている。そして、載っている三点の写真は同じ。だが内容は違う。つまりこの時に二回分話したわけであろう。どちらも最後は、これで終わりとします、ありがとうございます、とあるのが面白い。 - 小林敏明編『哲学者廣松渉の告白的回想録』(河出、2006)を見ていたら、檀一雄の『猿飛佐助』と廣松が言っているのに対して注で、檀に同名の作品は見当たらない、織田作之助の『猿飛佐助』と混同したか、とあるのだが、『少年猿飛佐助』というのはあって、2006年なら国会OPACも
島根県の奥出雲を経由して鳥取砂丘に足を運んだ。鳥取砂丘をゴールに、一応、これで日本全国47都道府県すべてに足を運んだことになる。「だから何だ」と言われたらその通りだけれど、一年前から「家を持たない生活(移動する生活)」をはじめてから、私の中で移動は「非日常」から「日常」になった。元来旅行が好きでもなかった自分が全国制覇(?)したことに対して、軽い違和感も覚えている。 行く先々で頻繁に聞かれる10の質問があるので、簡単にまとめます。 【参考記事】【目標達成型より瞬間燃焼型】最近聞かれる10の質問。ー 「幸せになるために生きている」という意識が日本は希薄だ。 - いばや通信 1・基本的な荷物には何が入っているのですか?今までは生活に必要な荷物をバックパックに入れて運んでいたのですが、よくよく考えてみると「こんなにいるか?」と思うようになり、実験的に革製のトートバックに荷物を入れ替えてみたところ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く