なんか村上春樹の中頓別をめぐって斎藤美奈子を石原千秋が批判している。あまり私は興味がないのだが、中頓別の町長は村上春樹に対して行政権力を持っていないのでこれは言論弾圧には当たらない。国会議員ならなる。それに対して村上春樹や版元がどう反応しようとそれは彼らの勝手であって、要するに大した問題ではない。
文学研究もいよいよ鳥羽伏見の戦いに敗れて徳川慶喜が大坂城へ逃げ出すあたりまで来たようだ。この場合「文学研究=武士」とする。 日本近代文学や英文学の人は、村上春樹、推理小説、アニメ、テレビドラマ、ホラーなどに手を出しておおわらわである。それをやれば本が出るというわけだが、果たしてそれらが売れるかどうかは知らない。ただ、売れるだろうという期待があるだけだ。 で、彼らは多分ある程度自己催眠を行っているわけで、村上春樹が好きかというと、「ほ〜らあなたは村上春樹が好きになる」と自分で催眠術をかけるのである。子供時代にアニメなんか観てなかった優等生出身の女性学者なんかが、アニメ昔から興味ありましたみたいな顔でアニメを論じるのである。50歳になるころまで漫画なんか読んだことのなかった田中優子・法政大総長はせっせと読んで、かろうじて学生運動時代の記憶につながる『カムイ伝』を論じられるのである。こちらはあた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8B%E5%A4%96%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E3%81%AE%E5%88%A5%E5%A7%93%E3%82%92%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E4%BC%9A
與那覇潤の『中国化する日本』は、最初のつかみのところで、2011年のことをさして、 思い出してください。誰しも記憶を辿れば、この期間によい方向にであれ悪い方向にであれ、「歴史が変わった」と感じられる瞬間が、何度もあったことを覚えているはずです。 とある。もうここでついていけなくなるのだが、たとえここを乗り越えても、違うと思ったり意味不明な記述が次々と出てきて、読解不能なのである。なんでここで「誰しも」になるのか。 ヨコタ村上も最初の本『性のプロトコル』の冒頭で、昭和四十年代に子供時代を送った人なら、誰でも『あしたのジョー』の次の場面を覚えているはずだ、と書いていて、私は、知らない、と言って批判したのだが、どうもこれは一種の病気ではないか。 私なら、まあ信長が本能寺で明智光秀に討たれたことはみな知っているだろう、くらいは書くが、こういう珍妙な「誰しも」は書かない。何かこれは、内面に不安を抱え
私の『日本売春史』に、ソープランドで働くような女は軽い知的障害があることが多い、と書いてあるのが、ある種の読者の「あっ、これは差別だ」意識を刺激するらしい。調べたのかい、などと言いだす。もちろんそんなこと、できるはずがない。売春はしていないというのが建前だし、世間でたくさん出ているセックス産業系研究書でも、日本を対象としたもので、真正売春を包括的に扱ったものはない。取材に応じるはずがないからだ。 私はソープは客として行ったことはないが、ソープへ行っていた友達はいる。ヘルスには何度か行ったが、割とみな知的だった。その昔、竹下景子が演じる「トルコ嬢(のちソープ嬢)モモコ」シリーズという、堀川とんこう演出のテレビドラマがあって、そこではモモコはちょっと頭が弱いという設定になっていた。あとAV女優はソープ嬢とは違うのだが、観ていて、あ、これは頭が弱いな、と思うことがある(特に『週刊ポスト』のグラビ
昨日(11日)は七年ぶりくらいに比較文学会へ行ってきた。千葉大の加藤隆という教授が、恋愛輸入品説の発表をするというので、要約を見たら、私が輸入説論者になっているので、メールを出して、違いますよと言ったのだが、どうも私の本をちゃんと読んでいないようだった。メールのやりとりはあちらから途切れた。 で、行って聞いてみたら、専門が神学の人なのでそっちからのアプローチはあるのだが、全体としては私が15年間言ってきたことをなぞっているだけで、先行研究を碌に知らないようなので、その旨コメントして、初対面の堀啓子さんからお菓子を貰って帰ってきた。 加藤氏は99年に千葉大在職のまま東大比較の博士課程へ入ったのだが、何をしていたのか分からない。2002年には駒場で恋愛研究シンポジウムがあったのだが、訊いたらそれも出ていないらしい。どうも比較文学会というのは先行研究に関して甘いところがあって、結構安易によそから
橋本治が、山崎豊子を擁護した論というのがある。批評家は、山崎の描く人物が類型的だと言うが、人間は類型なのである、というものだ。 どうもこれは違うのじゃないかと前から思っているのだが、たとえば事実に近いことを書いた小説を「類型的」と言う人はいまい。あるいは、類型的だと批判して、作者から、これは事実だ、という反論があることもあるだろう。 だから、フィクションである場合が問題になるのだが、間違った類型というのがあって、これはもちろん良くないのである。つまり世間の思いこみから作り上げた類型で、私はその典型を、新藤兼人の「絞殺」にみる。これは1979年のもので、受験勉強で歪んだ高校生を描いているつもりなのだろうが、当時実際に歪んだ高校にいた私から見ると、類型的に間違っているのである。その後、進学校から来た連中もずいぶん見たが、だいたい二流の進学校の私立の男子高のほうが歪んでいて、国立高校はさほどでも
赤川次郎の父・赤川孝一は、戦後東映でアニメ映画の製作などしていたが、戦時中は満州国で甘粕正彦の側近だったという。1934年東京帝国大学文学部哲学科卒だから、1910年ころの生まれで、次郎は次男だが39歳ころの子ということになる。満洲国文教部社会教育課にいたという(多田茂治『満洲・重い鎖 牛島春子の昭和史』) - http://1000ya.isis.ne.jp/0506.html 『暮らしの手帖』でなく『暮しの手帖』な。 とくに西鶴の『日本永代蔵』に凝っていて、それをいくつもの現代文にしてアーカイブしていたようだ。 そういうのを「アーカイブ」と言うのか。よく知らない外来語を使わないこと。 なお杉浦明平は「民平」でもいいようだ。 http://1000ya.isis.ne.jp/1145.html なるほど、活字になったほうではいろいろ直っているということか。確認してみよう。(図書館で『雪国
堀啓子さんの新著(初の単著)『日本ミステリー小説史』(中公新書)をいただいた。アマゾンでたちまち一点レビューがついた。私も、必ずしも出来のいい本だとは思っていない。既に伊藤秀雄『明治の探偵小説』があり、特にそれを超えていない気がするし、文章がところどころ歯切れが悪い。しかし、アマゾンレビューは匿名だからその点でいかんとして、内容的にもいかん。 まず、そもそも、この著者は記述の対象としている作家の作品をまともに読んでいるのか大いに疑問です。記述のあちこちに「孫引き」ではないかと思われる作家や作品の評価が散見されます。なかには、作家の言いたい趣旨とは逆ではないかと突っ込みを入れたくなるような評価が幾つかありました。他の評者が書いている評論を参考に(著者自身は対象作品自体を深く読まないで)誤解したまま記述してある個所が少なくないように感じます。(これが私の誤解だったら謝ります。が、こう断言する自
澤地久枝(1930- )が元中央公論社の優秀な編集者で、三枝佐枝子のあとの『婦人公論』編集長と目されていながら、作家・有馬頼義(1918-80)とのダブル不倫がもとで退職したことは知られている。 有馬の妻は元芸者で、親の反対を押し切って結婚したが、そのことは長編小説『夕映えの中にいた』に描かれている。ここでは妻が主人公で、夕子とされており、周囲の男たちは「雲」「雨」「露」「火」などの名で書かれている。これは『とはずがたり』をまねしたものだろう。そして「露」が有馬である。だがこれには続編があり、「中年の彷徨」として、『文學界』1971年1月から1972年5月まで連載され、未完で中断している。これは単行本になっておらず、そこに、有馬と澤地が使った連絡用ノートの内容が書かれている。これだと、その部分の著作権が澤地にあることになる。なおここでは、有馬は睡眠薬に頼らなければ小説が書けない作家として描
昔、筒井康隆の本の挿絵だったと思うのだが、山藤章二が、自分が激怒している絵を描いて、時おり、自分の写真を同封して似顔絵を描いてくださいと言ってくる人がいる、商品をくれと言っていることに気づいてないのだ、とあった。 しかしそうなると、作家や文筆家にファンが手紙を書いて、返事を求めるのも同じだということになる。芸能人なら別に文筆が仕事ではないからいいのだが。 で先日私に手紙をよこした人がいて、私の小説の悪口が書いてあったのだが、私はその人が住む福祉施設(生活保護を受けている人の施設らしい)へ電話をして(呼び出し)話をしたら恐縮していて、その人は昔同人誌で小説を書いていた人らしいのだが(60代)、そのあとまた長い手紙と、さらに長い小説らしき自伝ようのものを送ってきた。これは無視していたら、また手紙が来て、また私の小説の悪口が書いてあったからまた電話したら、「長電話は困るので」と言うから、もう手紙
ゴジラが成功したために、ガメラとかモスラとか、動物名にラをつけると怪獣の名前になるという一般則が日本語において成立した。これがガッパだったらそうはいかないだろう。怪獣は突然変異でない限り二匹以上いるはずなので普通名詞である。 東宝映画では、モスラ、モゲラ、ドゴラ、キングギドラ、ミニラ、ガバラ、ゲゾラ、ヘドラ、がおり、大映ではガメラ、ジグラ、松竹にギララがいる。「ウルトラQ」ではリトラ、ペギラ、トドラ、「ウルトラマン」では、ベムラーという「ラー」型が最初で、モングラーというのもいたがここでは別とする。あとはゲスラ、グビラ、ゴモラ、ガボラ、ガマクジラ、バニラ、ヒドラ、キーラである。うちモゲラは、モグラではそのままなのでちょっと変えたか。ガバラはカバラだと別の意味になるからか。リトラはリトルからか。ペギラはペンギンだというのだが外見が全然ペンギンに見えない。のちチャンドラーに変わるが、英語圏では
『大波小波』(小田切進編)の第三巻で、匿名を卑怯だとする大江健三郎への反駁文(1959年)が載っている。「アヴェルティセール」(角笛、サイレン)の名で、大江を痛罵し、「怒れ、おこれ。しかし文学が怒りから生まれたためしはないはないことを思うべきである」とある。そうか? 多くの文学が怒りから生まれていると思うのだが、匿名の上にこんな頓珍漢なことを書いたのは林房雄か。「必要とあればいつでも覆面をぬぐ覚悟でいる」などと書いているが、そりゃ何の必要か。警察に逮捕されたら白状するのか。幸い民主国家では匿名批評で逮捕はされないから、必要はない、したがって覆面は脱がない、で終りじゃないか。つまらんやつである。
柴田翔の『されどわれらが日々ー』を原作とする映画『別れの詩(うた)』は、観たいと思っていたのだが、ヴィデオが高値がついていて手が出ずにいた。すると、見知らぬ人からディスクを送ってくれた。そこで観たのだが、「はて、これは」と思ったのは、原作とだいぶ違っているようだったからで、主人公カップルの山口崇と小川知子は遠い親戚ということになっており、原作ではイトコだが、原作では主人公は東大英文科の院生だが、映画では官僚。女のほうが学生運動をしていたのは原作通りだが、原作は六全協のあとで、こちらは1971年だから68年の話のようで、だいたい筋はここに書いてある。 http://home.f05.itscom.net/kota2/jmov/1999_02/990234.html 別に面白い映画ではなく、妙に淡々としている。しかし、高橋長英が琵琶湖の隣の余呉湖という、小川知子との思い出の場所で自殺したという
私はどうも松任谷由実が嫌いである。「瞳を閉じて」は、中学生のころ「みんなのうた」で流れて、歌っていたのはユーミンではなかったから好きだが、ほかの歌はちっとも感心しない。といっても、はやっていたころから全然聴いていなかったので、その後ぼちぼち耳に入っただけの感触である。「恋人がサンタクロース」なんて、なんちゅうアホな歌かと思う。 中島みゆきは好きである。あざとくなってからも好きである。いわばユーミンが村上春樹なら、中島みゆきは大江健三郎という感じである。 私は紅白歌合戦は見ないはずなのだが、2011年のそれは、ふと観てしまった。するとユーミンが、実家が呉服屋だとかで和服姿で出てきて「春よ、来い」を歌ったのだが、ほとんどテレビ画面の前で唖然とするくらい出来が悪かった。週刊誌では、楽屋へ帰って号泣したと書かれていた。 その時の映像がユーチューブにないかと思って探したが、削除されたらしく、ない。ウ
謎なのはこの写真である。 なぜ治療が済んだあとの写真なのに、犬の服に血の跡みたいなのがついているのか。しかもこの色、血の色ではない、ピンク色である。 また、盲人の名は出てこないが、友人で動物愛護団体のNPO法人「アニマルグリーンアップル」の佐藤徳寿(なりひさ、43)というのが代理人みたいにして登場しているが、 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014082802000248.html ここでは「東京都千代田区」となっている。だが「アニマルグリーンアップル」の登録先は、杉並区下井草であり、その住所には下井草診療所がある。アニマルグリーンアップルの代表は福與正弘となっているが、この人物は不明。 さらにフェイスブックで「どうぶつチャンネル」が、「いいね!」を押した人の情報を収集していたという神田敏晶の指摘もある。神田はあくまで、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く