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これはひどいと戦争に関するjiaoziのブックマーク (4)

  • 麻薬戦争と麻薬ビジネスの戦慄すべき実態を物語る衝撃的な写真集 - GIGAZINE

    「麻薬」は巨大なビジネスであり、巨大なビジネスであるということは巨額の金が動き、激しい競争がそこには存在しています。通常のビジネスではよい商品を生み出したり良いブランドイメージを構築して信頼を勝ち得ることが「競争」の中身ですが、麻薬ビジネスの場合はライバルを殺すことで市場から排除することが「競争」の中身になります。 メキシコの麻薬ビジネスではこの手の殺人が非常に多く、今年も何千人もの人々が麻薬戦争に巻き込まれて命を落としました。特にメキシコのCiudad Juarezという街は戦場と化し、麻薬が存在し続ける限り、死と破壊と富もまた存在し続けるのです。 そういう恐るべき実態を赤裸々に撮影した写真集は以下から。 注意:遺体写真なども含まれているので、ここから下は自己責任で閲覧して下さい! Drug Wars >> TotallyCoolPix http://totallycoolpix.com

    麻薬戦争と麻薬ビジネスの戦慄すべき実態を物語る衝撃的な写真集 - GIGAZINE
    jiaozi
    jiaozi 2010/11/03
    んなところにキティちゃんを使うんじゃねぇ。▼メキシコは行ってみたい遺跡がたくさんあるし、お酒もおいしいけれど、怖くて当分行けない(´・ω・`)▼消費国の方からも、資金の流入を止める努力が必要だと思う。
  • 既存メディアの限界なのか | Newsweek斜め読み | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

    連日多数の人が殺され、それを報道する新聞記者たちも、次々に消されていく。たまりかねた新聞社は、遂に報道の自由を放棄。麻薬密売組織のことを報道しなくなってしまった。 こんなことが、報道の自由を謳歌しているアメリカの隣の大国で起きているのに、日の国内では、大きな扱いにはならない。これに歯がゆい思いをしていたのですが、誌日版10月20日号は、ようやくこの問題を取り上げました。「麻薬戦争に現われた『救世主』ブログ」というタイトルの記事です。麻薬戦争が繰り広げられているのは、アメリカの南隣のメキシコなのです。 この記事には、麻薬カルテルによって殺されたと見られる死体が吊るされているショッキングな写真が添えられています。極めて衝撃的なシーンを撮影した写真ですが、極力グロテスクにはならないように配慮されてもいます。残虐な事件は、写真によって迫真的になるけれど、目を背けたくなってしまう。こんなジレン

    既存メディアの限界なのか | Newsweek斜め読み | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
    jiaozi
    jiaozi 2010/10/16
    メキシコの麻薬戦争は刑務所もまるで機能してないレベル(id:entry:23580452)。仮に政府が負けたらどういう国になるやら、情報も少なくて予想もつかない。▼id:daruyanagiさん、崔杼ですね。勉強になります。
  • アフガン人を殺し、死体から指を収集していた米兵を訴追 「指でネックレスを作るつもりだった」 : 【2ch】コピペ情報局

    2010年10月01日16:00 痛いニュース コメント( 35 ) アフガン人を殺し、死体から指を収集していた米兵を訴追 「指でネックレスを作るつもりだった」 1: 講談師(岐阜県):2010/10/01(金) 14:39:40.80 ID:oZLU9S/Y0 遺体の指を収集=殺人・麻薬、著しいモラル低下-アフガン米兵 【ワシントン時事】今年1月から5月にかけてアフガニスタンで市民3人を殺害した容疑で訴追された 米陸軍の2等軍曹(25)が、アフガン人の遺体から指を切り取り、収集していたことが1日分かった。 ワシントン・ポスト紙やCNNテレビが報じた。 軍曹が所属した第5ストライカー旅団では、殺人の共犯や麻薬使用などの容疑で12人が訴追されており、 戦争長期化による士気の低下とともに、アフガン前線基地のモラルの低さが指摘されている。 陸軍の調査によると、軍曹は殺害したアフガン人の指を切り取

    jiaozi
    jiaozi 2010/10/02
    もう二度としない、と指きりげんまんで約束させられる…程度で終わるわけないな。
  • 「解放戦争」の現実 白旗に猛爆撃 サハリン残留日本人 泣いて断ち切った帰国の思い (1/3ページ) - MSN産経ニュース

    ロシアの“対日戦勝記念日”を大々的に祝ったサハリン(樺太)は戦前、その南部(北緯50度以南)が日領で、約40万人が住んでいた。ここには今も、65年前の8月にソ連の苛烈(かれつ)な侵略を経験し、戦後、さまざまな事情で帰国を断念した同胞がいる。ロシアが「解放戦争だった」と主張する対日戦によって、南サハリンの地に暮らしていた住民たちの命運は翻弄(ほんろう)された。(ユジノサハリンスク 遠藤良介) 「どの家の屋根にも大きな白旗が掲げられていたのに、ソ連の航空機はどんどん爆撃した。駅前広場はおびただしい血で、私たちは横たわる死者・負傷者をまたいで山の神社に隠れたのです」 日が降伏した8月15日以降、地方郵便局に勤めていた根ミヨさん(84)=ドリンスク(旧名・落合)在住=が、避難先のユジノサハリンスク(豊原)で体験したことだ。「コルサコフ(大泊)から出るはずだった郵便船も爆撃されていた」

    jiaozi
    jiaozi 2010/09/03
    無防備マンさえいれば…!
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