1973年度の名人戦の挑戦者になった。名人戦は1937年に創設されている。以後、棋士の生活が安定し将棋界は発展を遂げてきた。 共同通信社も早くから「日本一杯争奪戦」 「最強者戦」などを主催し、棋界の発展に貢献してきた。1975年にはタイトル戦の「棋王戦」を創設して、今期で40期を迎えている。 1973年度の名人戦七番勝負は、同年4月から開始された。中原誠名人に私が挑戦した。中原名人は前年、不敗を誇った大山名人に大接戦の末に勝って名人となった。中原さんが名人となった翌日、主催者の朝日新聞社の業務局に中原名人が挨拶に訪れたが、先導したのが私であった。私は名人戦の速報解説を社のそばの大盤解説場で担当した。その故であった。この日、私は翌年の名人戦に出るとは全く思ってもみなかった。1973年4月に始まった名人戦は私の4連敗で終わった。当時、対中原戦は1勝19敗であったので、ある意味4連敗は…[続きを