タグ

ブックマーク / kamiyakenkyujo.hatenablog.com (10)

  • 映画・マンガ「かがみの孤城」 - 紙屋研究所

    映画「かがみの孤城」を観て、そのあとに同名マンガを読む。原作小説はまだ読んでいない。(以下、ちょいネタバレあります) かがみの孤城 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) 作者:辻村深月,武富智 集英社 Amazon マンガでは、集まった7人の事情、初めは距離を置いていた7人が次第に打ち解けていくプロセスなども丁寧に描かれている。 これに対して、映画は時間が足りないせいだろうが、そのあたりはずいぶんざっくりとしてしまっている。 しかしそうした一人ひとりの事情に代わりに、ぼくが映画で強く印象に残ったのは、「孤城」での居心地の良さである。 www.youtube.com 現実は自分を苛む様々な攻撃に満ち溢れている。つらい現実から防御された皮膜の中。その皮膜の中は安心できる人間関係だけがある。その人間関係は確かに何がしかのトラブルや軋轢を経て得られたものなんだけど、観ているぼくとしては、

    映画・マンガ「かがみの孤城」 - 紙屋研究所
    jimusiosaka
    jimusiosaka 2023/02/12
    映画『かがみの孤城』は、何とも不思議な吸引力のある作品で、劇場で5回も観てしまいました。その吸引力の原因として、「孤城での居心地の良さ」と、ヒロインの「ギャップ萌え」があるのは、間違いないでしょう。
  • マンガの表現について共産党は2022年参院選でどういう政策を打ち出したか - 紙屋研究所

    2021年の総選挙で共産党のマンガ・アニメの表現に関する政策が話題になった。 その際に、ぼくも記事を書いた。 kamiyakenkyujo.hatenablog.com ぼくは「カジを切っていない」とは結論づけた。しかし叙述が乱暴すぎる、と批判した。 この記事を書いた他に、共産党の中央に意見も出した。 総選挙が終わってしばらくしてから、共産党のある街頭演説をぼんやり聞いていたとき、演説を終えた、にひ そうへい元参議院議員がぼくのところにやってきて、「紙屋さん、あなたの意見を読みましたよ! 中央の担当部署でも共有しています」と笑顔で話しかけられた。演説後の非常に短時間ではあったが、「ぜひ今度話しましょう!」と、にひ元議員から言われた「あ、読まれてるんだ」と思った。 さらに、田村智子政策委員長が講師を務めるジェンダー問題の学習会があり、質問・意見を募集していたので、遠慮なく書いて出した。 上記

    マンガの表現について共産党は2022年参院選でどういう政策を打ち出したか - 紙屋研究所
  • 「暴力革命」宣伝のスジの悪さ - 紙屋研究所

    “日共産党は現在も暴力革命を方針とする政党である”という宣伝は、現代では珍しいほどかけらも真実がない純然たるデマである。なんの根も葉もない。大昔は共産党はどうだったとか、何があったとか、そういうことを百歩譲って認めるとしても、今現在共産党がそんななんのメリットもない意味不明の方針を1グラムもとっていないことはあまりにも明瞭だからである。 もし当に暴力革命をやるつもりでいるなら「最近どこかで武装訓練をしているのをみた」とか「あそこに大量の武器が隠してある」とか、そんな情報が、全国で100や200あっても良さそうなものだが、まるで聞こえてこない。当たり前である。そんな方針も活動も何もないからである。 だから公安調査庁が60年もかかって日共産党を「調べて」いるのに、いまだに破防法を適用できない。何も出てこないからである。3年成果が出なければ情け容赦なく事業が終了する世知辛いこの公務渡世で、

    「暴力革命」宣伝のスジの悪さ - 紙屋研究所
    jimusiosaka
    jimusiosaka 2021/09/18
    わかりたくない人はどうしようもないという点で、歴史修正主義者との議論と似通った話。
  • 加藤聖文「日本にとって満洲支配とは何だったのか」 - 紙屋研究所

    「前衛」2021年10月号に載った加藤聖文へのインタビュー「日にとって満洲*1支配とは何だったのか」が実に分かりやすかった。 前衛 2021年 10 月号 [雑誌] 日共産党中央委員会 Amazon ぼくは、満洲に日から次々移民が送り出されたことは知っていたが、その理由は、「国内の農民が貧しく、それを反動的に打開するために満洲へ送り出し、開拓はもとより現地人の土地を奪った」ほどの理解であった。そして、「満洲は日帝国主義による朝鮮支配の後の、中国侵略のための第一歩である」というくらいの解像度の認識であった。 満洲支配が持っていた矛盾 加藤は、満洲支配がもともと持っていた矛盾を、おおむね次のように説明している。 ――そもそも日人が昔からいた土地でもなく、縁も薄いのに、日露戦争でさまざまな利権をロシアから奪い取ってしまい、経済活動が始まった。 日にとって、必然性のないところを取ってし

    加藤聖文「日本にとって満洲支配とは何だったのか」 - 紙屋研究所
  • 「ブラック校則」の「合理的理由」をしつこく問い詰める - 紙屋研究所

    福岡市の中学校の人権侵害の校則、いわゆる「ブラック校則」が話題になっている。 news.livedoor.com 「学校まかせ」では人権侵害がいつまでも解決しない ぼくは市内の中学校に娘を通わせる一人の親として強い関心を持ってきた。 ぼくがずっと感じている不満は、「校則は学校ごとの問題。学校ごとに決めればいい」という扱いをされることだ。結果的にいつまでたっても問題が解決しないのである。 学校という単位になると、一人の保護者が言えることは実に限られている。担任や校長に話したこともある。それで変わるかどうかはわからない。というか、悪意にとらえれば、「3年間、のらりくらりとかわしていれば、このモンペは子どもが卒業してしまうのでおさらばだ」と思われているのだろう。 PTAを通じた改革の可能性と難しさ PTAはどうか。福岡市でもPTAを通じて改革したケースはある。 news.yahoo.co.jp

    「ブラック校則」の「合理的理由」をしつこく問い詰める - 紙屋研究所
    jimusiosaka
    jimusiosaka 2021/04/06
    このような活動こそ、民主主義のために必要不可欠な営為だと思います。イギリス児童文学の名作『この湖にボート禁止』(ジェフリー=トリーズ作)を思い出しました。
  • 大きな枠組みに目を向けさせないようにする - 紙屋研究所

    なぜ「自分のできること」の範囲に限定するのか 娘(中1)が「環境新聞」というのを学校の宿題で作っていて、横から眺めていた。 温暖化について書いている。 「結論は自分ができることを書かないといけないんだ」と言って、ムダな電気を消すとかそういうことを書いていた。 その後授業参観で、クラスの壁に貼られた、クラスの生徒たちがそれぞれつくった「新聞」を見る機会があったが、温暖化だけでなく、ごみの減量とか、プラスチックごみの縮減とか、さまざまな環境問題についてまさに「自分ができること」で締めくくられていた。例外なく全て。徹底した指示・指導なのであろう。 なぜ「自分のできること」の範囲に限定するのだろうか。どうして「2030年に8%という低すぎる福岡市の再生可能エネルギー普及率の戦略を引き上げる」とか「プラスチック全般に拡大生産者責任を徹底する」とか、そういう「大きな話」を書いてはいけないのだろうか。*

    大きな枠組みに目を向けさせないようにする - 紙屋研究所
    jimusiosaka
    jimusiosaka 2020/11/13
    「この界隈はもう、その社会主義志向を隠す気すらない」というブコメがあって大爆笑。ブログ主氏はプロフィールでコミュニストだと書いておられるのですから、コミュニストが社会主義を志向するのは当然でしょう。
  • 「コナン」と70年代的な教育・文化運動の子ども観 - 紙屋研究所

    「未来少年コナン」の第3回目を見る。 未来少年コナン Blu-rayボックス 発売日: 2013/07/26 メディア: Blu-ray コナンがジムシーと出会う回で、「はじめての仲間」というタイトルが付いている。 自然の中にいる子ども。自然と触れ合う子ども。 見知らぬ相手と遭遇して喧嘩や競争を経て得られる相手への敬意。 逸脱を通じて仲間になる儀式。 観ながらずっと感じていることだけど、ここで展開されている子ども観は、1970年代の教育文化運動にある子ども観で(1970年代のアニメだから当たり前だが)、そのころを一つの隆盛期として記憶に持っている教育文化運動の中で、今日でも依然として引き継がれているものでもある。 娘が小学校の6年間を通じてかかわっていた少年団的な団体(今年卒業し退団した)で親のぼくが「学習」をしたり、「講座」のようなものを受けたり、議論したりする際に、そうした子ども観

    「コナン」と70年代的な教育・文化運動の子ども観 - 紙屋研究所
    jimusiosaka
    jimusiosaka 2020/05/19
    宮崎駿監督は、アニメーションは「時代の子」である、という発言をしばしばされていましたので、こういう分析は非常に興味深いです。
  • GWに「未来少年コナン」を観た - 紙屋研究所

    NHK総合で「未来少年コナン」の第一話を観た。 つれあいと2人で、まるで昔、楽しみなテレビ番組が始まるのを待っていそいそと「ブラウン管」の前に座っていた子どものように。wktk。 つれあいはリアルタイムで観ていて、「アニメ=漫画」のようなものはふだんは見せてもらえない「教育者」の家庭で育ったものの「NHKのアニメは観てよい」との家庭方針のもと、その時間を圧倒的に楽しみにしていたという。*1*2 ぼくの家はそんなことはまったくなく「見放題」だったのだが、小さかったぼくはつれあいとは対照的にNHKのアニメ(「ニルスのふしぎな旅」「スプーンおばさん」など)や子ども向けドラマ(「大草原の小さな家」)は「つまらない」と思っていたので当時ほとんど関心を寄せていないかった。 観る機会があったのは、学生の終わり頃にレンタルビデオでいろんな名画やアニメを集中的に観ていた時期があって、そのときに初めて「未来少

    GWに「未来少年コナン」を観た - 紙屋研究所
    jimusiosaka
    jimusiosaka 2020/05/06
    紙屋氏が、現在の視点からこの作品をどう捉えられるか興味深く思いますので、この後も折に触れて感想を書いて頂けると嬉しいです。
  • ケン・ローチ監督「家族を想うとき」(映画) - 紙屋研究所

    何の救いもない映画 エンドロールが出てきたとき、「あっ、ここで終わるのかよ…」という絶望感を隠せなかった。 ケン・ローチ監督の映画「家族を想うとき」は、すばらしく何の救いもない映画である。 longride.jp 個人事業主という形で配達の仕事を請け負うことになった主人公・リッキーとその家族を描いた作品である。クソ高いレンタル料を選ぶか、長期のリスクを背負うローンでの買取かという博打のような選択で自家用の配達車を買い、分単位で管理される過酷な配達ノルマをこなす。 「アントレプレナーシップ」と「ソサエティ5.0」の当の姿 そういえば、2006年、今から13年も前に、ぼくは「30年後の日」を予想する企画を自分のホームページでやったことがある。あの時、野村総研の『2010年の日』を紹介したけど、かの財界シンクタンクはそので「雇用社会から起業社会へ」と題した最終章を用意していた。 「自分が

    ケン・ローチ監督「家族を想うとき」(映画) - 紙屋研究所
  • 『この世界の片隅に』の原作とアニメの距離――もしくは戦争についての創作はどう描くのが「成功」なのか - 紙屋研究所

    書いていたら長くなった。 先に要旨をまとめておく。 マンガ『この世界の片隅に』は前半が戦前・戦時の日常の描写、後半が主人公の心象であり「記憶」と「想像力」をめぐる物語である。他方、アニメ「この世界の片隅に」は、戦前・戦時の日常をそのまま再現・保存することにしぼられた作品であり、原作のもつ後半部分は後景に退いている。両者は別々の作品(別個の価値をもつ作品)である。 戦争小説戦争をめぐる創作(マンガ・アニメ・映画・ドラマ・演劇…)は手法と題材を選ぶことで、何かを強調し、何かを切り捨てるので、どんな作品であっても批判は呼び起こされる。多様な書き手が多様に描くことでしかこのジレンマは解決されないのではないか。 以下は、映画・原作のネタバレが含まれている。 「暗い」「つらいから読みたくない」と「楽しくて何度も読み返したくなる」 「女性のひろば」という雑誌(共産党発行)の2017年1月号に「『この世

    『この世界の片隅に』の原作とアニメの距離――もしくは戦争についての創作はどう描くのが「成功」なのか - 紙屋研究所
    jimusiosaka
    jimusiosaka 2016/12/27
    漫画原作とアニメーション映画の関係性についての優れた分析
  • 1