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ブックマーク / kaoriha.org (14)

  • 中里一日記: いつ携帯電話を捨てるべきか

    今日、終末期のガン患者を見舞った。突然の再発と悪化で、入院から10日と経っていない。そのため、患者の周囲の人は、まだ容態どころか、入院しているとも知らないことが多いようだった。  私が患者と最後の会話をしていると、患者の携帯電話が鳴った。私がかわりに取ったら、人が出ると言ったので、渡した。患者は最後の気力を振り絞り、数時間とも数分ともしれない残り時間を費やし、無意味で無価値な話をした。    人は最後まで、「もうすぐ死ぬのに、世間のことなんか知るか」とは決断できない。回復を見込んでいるからでも、優柔不断だからでもない。ただ単に、新しいこと――「世間のことなんか知るか」と無視すること――を始める気力がないからだ。  携帯電話でなければ、こんな問題は起こらない。もし電話を病院にかけてくるなら、入院中だと知っている。携帯電話は、人生の最後の数分間にも、一切の容赦なく「世間」の風を吹き付けてく

    jingi469
    jingi469 2016/11/07
  • 中里一日記: ラッキースケベの世界観は2種類ある

    ラッキースケベの世界観は2種類ある まとめ:「ラッキースケベとは物語中にパンチラやセミヌードの絵を出すことである」とする世界観(西島克彦的)と、「ラッキースケベとは登場人物の感性・感情・関係とその動きである」とする世界観(高橋留美子的)がある。多くの人々はこの2つの世界観を同時に生きている。 事の起こりは、某百合まんが誌で最近始まった某連載である。ラッキースケベと思しき展開がふんだんに盛り込まれている。「百合でラッキースケベ」という組み合わせの意図や成否はさておき、この組み合わせから生じる異化効果には目を見張るものがある。 最初は、この異化効果について考えていた。すると私の頭のなかで、「ラッキースケベとは何か」が溶けてゆき、2つに分離して固まった。 この2つは、支持層の違いではない。多くの場合、同じひとりの人間が2つを同時に持っている。たとえ小説がラッキースケベを描き切ったとしても、おそら

  • 中里一日記: 映画『思い出のマーニー』の謎を解く

    映画『思い出のマーニー』の謎を解く (脚の)謎はすべて解けた! ……とはいっても、答え合わせ(=BDを見て弱点を探す)はしていないので、致命的な弱点が見つかる可能性は高い。なお当然ながら以下ネタバレとなる。 脚の違和感その1:なぜ久子は、人間マーニーの生涯のさまざまな局面について、『幸せ』や『不幸』と乱暴にも断じたのか。人が、身近な人の生にそんな判定を下すとは、どういうことか。 その2:なぜ久子は、人間マーニーと娘の不仲について、「全寮制の学校にやったのだけが原因」という説明をしたのか。説得力に欠ける。「マーニーにもいろいろ問題があったのかもしれない」という含みを持たせるのが大人ではないか。 その3:それまで如才なく友情に厚いように見えたマーニーが、パーティーで杏奈を粗略に扱ったのはなぜか。 その4:『私を許してくれるって言って』と問い交わすときの「許し」には、マーニーが杏奈を育てられ

  • 中里一日記: 『思い出のマーニー』

    『思い出のマーニー』 ネタバレ感想。 結論:マーニーを筆頭に、みんなよくできた人すぎる。 予告編を見て、「マーニーはきっとどうしようもない困ったちゃんだけれど杏奈への愛は深くて、杏奈は振り回されつつも惹かれていくにちがいない!」と予想(妄想)を繰り広げた皆様こんにちは。ワシもじゃ、ワシもじゃみんな!! が、マーニーはよくできた人だった。 落ち着かない話だ。ネグレクトされているはずのマーニーがあれでは、杏奈の立つ瀬がない。杏奈ひとりが出来損ないのように見えてしまう。 マーニーがよくできた人のせいで、緊張感がない。たとえば、マーニーがボートの舳先に立って一人で『タイタニック』ごっこをするシーンだ。もしマーニーが滅茶苦茶な人なら、「このボートはひっくり返るのでは?」というサスペンスが生じる。それが実際には、「マーニーが自信ありげにやっているのだから問題ないのだろう」となり、綺麗なだけのシーンにな

  • 中里一日記: 百合だからコラム百本 第12回 三種の「好き」

    百合だからコラム百 第12回 三種の「好き」 今風の恋愛は愛着とは相いれず、そのため正面切った恋愛物はフェティシズムを扱えない――と論を立ててみたのが前回までのあらすじですが、実は、「正面切った」という限定こそ、この論の核心です。 コメディという器は、今風の恋愛とフェティシズムを両立させます。 たとえば『Candy boy』。「かなちゃんの乳ー!」というセリフを可能にするのは、コメディという器です。『百合姫』『ひらり』等々の掲載作品のうちいったい何作が、このセリフを取り込めるでしょうか。アニメ版『ストロベリー・パニック』はかなりコメディ寄りの作品ですが、いささか厳しいと感じます。 賢明なる読者諸氏のなかにはきっと、アニメ版『とある科学の超電磁砲』の黒子のようなキャラを連想されたかたがおられるでしょう。筋が百合とは無関係な作品に登場する、お笑い担当のレズキャラは、近年よく見かけるものです

  • 中里一日記: 百合だからコラム百本 第8回 融け合うような皮膚感覚

    百合だからコラム百 第8回 融け合うような皮膚感覚 どこの誰の言葉だったか、あいにく忘れてしまったのですが、百合作品における恋愛関係の魅力を、こう表現した文章を読んだことがあります――「融け合うような皮膚感覚」。ジェンダーという障壁のない世界でふたり融け合う、というイメージは、確かに百合の大きな魅力です。 この魅力を強く打ち出している作品として、慎結『バラ色の人魚』(『ROSE MEETS ROSE』所収)を挙げたいと思います。文字どおり皮膚の上に模様として二人の恋愛感情が現れる、という作品です。水泳というモチーフとあわせて、まさに「融け合うような」イメージが表現されています。作者はこの作品に限らず、「融け合うような皮膚感覚」をしばしば描いています。 少し話が飛びますが、『ROSE MEETS ROSE』の表紙をご覧ください。この二人は、収録作品の登場人物ではありません。前髪の長さ、瞳の

  • 中里一日記: 百合だからコラム百本 第4回 姉妹こそ人類の理想

    百合だからコラム百 第4回 姉妹こそ人類の理想 姉妹という関係は、人類の理想を託すのに最適――そんな思想が、この世にはあるようです。 この思想は、特に20世紀前半に盛んだったようです。たとえば、小杉天外『魔風恋風』。主人公の初野(女学生)は軽薄な陰謀家で、ほとんど誠実さを感じさせませんが、唯一、妹に対してだけは深い情愛を見せます。また、吉屋信子の家庭小説。姉妹の仲がいい、を通り越して、天国にしかありえないような理想的な人間関係として描かれている作品を散見します。 戦前の女学校における「エス」関係では、しばしば年上の相手を「お姉様」と呼んだとされます。事実がどうだかは知るよしもありませんが、呼んだと「される」のには、それなりの理由があるはずです。 姉妹という関係は、批判的な検討を免れる特権的な関係であり、姉と妹はまるで天使のような汚れのない無条件の愛を互いに抱く――そんな思想が、この世には

    jingi469
    jingi469 2013/01/29
    実のところ理解はできていないが熱量は感じる。
  • 中里一日記: 百合だからコラム百本 第1回 はじめに

    百合だからコラム百 第1回 はじめに 百合が流行ったり廃れたりする今日このごろ、読者諸氏はいかがお過ごしでしょうか。ずっと廃れっぱなしの日々が長かった身としては、流行り廃りも悪くないものです。 私は最近、きらら系四コマの隆盛を追いかけるべく、きらら系まんが誌を全部読むという挑戦をしています。挑戦です。「間違ってさえいない」というのは疑似科学に対する批判ですが、この伝で言えば、「駄作でさえない」作品があまりにも多いように思えます。私が根的にわかっていないのではないかという恐れが強いので、こまごまとした感想などはまだ言えません。 そんな私が今日から始めるのが、この連載コラムです。『百合だからコラム百』。毎週日曜日、百合のあれこれについて考察します。二年ほどかけて百書く予定ですが、ネタ切れの際にはなにとぞご容赦ください。 社会性。 「そういう感情は一過性のもので大人になれば」というあのお

  • 中里一日記: コミケに出ます(土曜日東Q02a)

    コミケに出ます(土曜日東Q02a) コミケに出ます。土曜日東Q02aで皆様のお越しをお待ち申し上げております。

  • 中里一日記: 無名作家の電子書籍小説でも一万くらいは売れる(ただし単位は円)

    無名作家の電子書籍小説でも一万くらいは売れる(ただし単位は円) 死屍累々の電子書籍端末市場に世紀末救世主が現れたと評判の昨今、読者諸氏はいかがお過ごしでしょうか。 アミバ級の企業 なら野心を抱くのは当然だし、ハート様程度 でも気持ちはわかる。が、登場から10コマ以内に「ひでぶ」するのが明白なザコ でさえこの市場に乗り出してきて爆死するのは、いったいどういうわけなのか。 それはさておき、無名作家の電子書籍小説でも一万くらいは売れる(ただし単位は円)。 まずは私の無名ぶりについて。 上の画像はこのサイトのGoogle Analytics。ご覧のとおり、訪問者数は1日当たり200人程度。 Twitterのフォロワーは210人。 まんが・随筆・イラスト・評論その他、つまり電子書籍を出せる人すべてを含めれば、いったい日に何千人いるのかというレベルである。 どうして「何千」であり「何万」ではないのか

  • 中里一日記: 映画『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編]始まりの物語』

    映画『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編]始まりの物語』 まずはTV版の『まどマギ』について。 私は放送をリアルタイムで見た。最終回以外はゲタゲタ笑って楽しんだ。ゲタゲタ笑って楽しむ、という以上のものではないし、以下でもない。ためつすがめつして眺め回したり、唖然としたり、「あれがああだったら、これがこうだったら」と益体もない妄想にふけったり、といった楽しみを引き出せる作品ではない(最終回以外は)。ただ、ゲタゲタ笑えることは間違いない。 ゲタゲタ笑えるとは、どういうことか。一発ネタ、というのに近い。さらに言い換えれば、「お前それは無理すぎるだろ!」と突っ込んだら負け、というのに近い。「お前それは無理すぎるだろ!」と思っても突っ込むのは野暮、「どんだけ無理だよ!」とゲタゲタ笑って続きを楽しむ、というスタンスを視聴者に求める作品が『まどマギ』である。 『まどマギ』における無理は、もっとも端

  • 中里一日記: 公営ギャンブルは持続可能か

    公営ギャンブルは持続可能か 私の実家の近くには競輪場がある。控えめに言っても小汚い、有り体に言えば大汚い老人が電車に乗ってきて、競輪場の最寄り駅で降りる光景をよく見かけた。私の子供時代にはまだ競輪場は人の集まるところで、「こんなにカモを集めたらさぞ儲かるだろうな。いつか競輪を開催して儲けたい」と子供心に思っていた。 子供心に――まったく子供らしい話だ。現在の競輪はといえば、マイナス成長を続けて20年、開催自治体の多くを赤字で苦しめている。この世に永遠のものはない。幼い私にはそんな簡単なこともわからなかった。 幼い私には難しすぎた事実は、ほかにもいくつかある。 ひとつは、あの大汚い老人たちは、カモであると同時に恐ろしく賢い、ということだ。 金を損しに集まる人々が恐ろしく賢い、などということがどうしてありうるのか。「賢い」を「高性能」と言い換えれば、わかりやすいかもしれない。あの大汚い老人たち

  • 中里一日記: キャラの性別はどんな根拠があれば確定するのか

    キャラの性別はどんな根拠があれば確定するのか TVアニメの『ギルティクラウン』を毎週楽しく見ている。 このアニメのいいところはなんといっても、「これは来なら百合であるべきだ」と憤らずに済むところだ。 最近では少なくなったが昔は、「誰がどう考えてもこれは百合展開になるに決まってんだろうが! それがなんでこんな超展開になるんだよこの糞ヘテロセクシスト!」と怒鳴りつけながら監督の首を絞め上げてやりたいような、ひどい作品が多かった(たとえばこれはアニメではなく原作の問題だが、『ラブひな』の瀬田先輩は誰がどう考えても女であるべきだった)。今でもその危険を感じると身構えてしまう。そういう気苦労なしに見られるのは嬉しい。 また百合に限らず、「これは来なら××であるべきだ」と憤ることがほとんどない。今週のいのりの殺しっぷりや、嘘界の「処世術だ」には痺れた。そう、フィクションはこうでなくては。 「これは

  • 中里一日記: 新作のご案内

    新作のご案内 何年か前、エロゲーのシステムの仕事をしていたときのことです。私はプロデューサーに尋ねました。 私:「世の中には名作といわれるエロゲーがたくさんある。名作だからといって必ずしも中古はプレミア価格ではなく、安く売られていることも多い。同人で流行った作品をやれば二次創作も楽しめる。新作を買う人はみな、そういう過去の名作をあらかたやり尽くしたうえで、さらに新作を買っているのだろうか?」 プロデューサー:「いや、そんなことはないだろう」 私:「安くて確実に楽しめるはずの過去の名作をやらずに、我々のような三流ブランドが出す海のものとも山のものともつかない新作を、税込9240円で買う人がこの世に何千人もいるのは、いったいどういうわけだろう?」 プロデューサー:「さっぱりわからんね」 私の読者の皆様にも、やはりお尋ねしたいところです。『新ナポレオン奇譚』、『兵士シュヴェイクの冒険』、『レスト

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