7月27日、「大戸屋ごはん処」の創業家関係者が山梨市に集まった。この日は大戸屋ホールディングスの実質創業者で、1年前に57歳で亡くなった三森久実の命日だ。久実の生家近くに設けられた墓には、創業家や苦楽をともにしてきたフランチャイズ(FC)オーナーなど20人弱が訪れた。 墓前で、妻の三枝子は「病気になっても弱気な姿は見せず、次は仏パリ(に出店する)と言っていた。魂は今でも世界を駆け回っているのではないか」と、亡くなる直前まで海外出張をしていた亡夫をしのんだ。 息子である智仁も「父は、トヨタ自動車やソニーを引き合いに出し、日本の食文化を世界に発信したい、大戸屋はそれができるとよく言っていた」と語った。 だが、この日。現経営陣は最後まで墓参りには現れなかった。 「定食屋のモスバーガー」を目指した大戸屋 大戸屋の歴史はやや複雑だ。もともとは久実の叔父、三森栄一が1958年に「大戸屋食堂」として池袋
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