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万博に関するjosch_so36のブックマーク (1)

  • 学問のアルケオロジー

    万国博覧会と列品される「日」 文久2(1862)年、危機のなかで存続の道を探っていた徳川幕府は、江戸、大坂、兵庫、新潟の開市・開港の延期をヨーロッパ諸国に認めさせるため、竹内下野守保徳を正使とする総勢38人の使節団をヨーロッパに派遣した。福沢諭吉、松木弘安、福地源一郎などを含むこのいわゆる竹内遣欧使節団が、品川沖に停泊していたイギリス軍艦オージン号に乗り込んだのは1862年1月のことである。船は、香港、シンガポール、セイロン島、紅海、マルタ島を経由して4月初めにはマルセイユに上陸した。そして一行は、しばらくパリに滞在した後、4月30日、ドーバー海峡を渡ってロンドンに到着する[1]。 ところが、まさにこの翌日の5月1日から2回目のロンドン万博が華々しく開幕するのである。さっそく一行は開会式に臨席するが、これがロンドン市民の大変な注目を集めることになる。3日の『ロンドン画報』は、この開

    josch_so36
    josch_so36 2009/04/19
    オリエンタリズムと万博出品の記述
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