印刷する メールで送る テキスト HTML 電子書籍 PDF ダウンロード テキスト 電子書籍 PDF クリップした記事をMyページから読むことができます 富士通の元社長、野副州旦氏が社長辞任の取り消しを求める文書を同社に送付していたことがわかった。朝日新聞社のニュースサイト「asahi.com」が3月5日午前3時に報じ、朝日新聞も5日付の朝刊1面で報じた。同社広報IR室もZDNet Japanの電話取材に対し、文書の存在と送付された事実を認めた。対応については「検討中」という。 野副氏は社長在任中の2009年7月23日、新中期経営計画の記者会見で経営改革に強い意欲を見せていたが、2カ月後の9月25日に突然辞任した。富士通は「病気療養」のために辞任すると説明。当時の代表取締役会長、間塚道義氏は会見で病名はプライバシーにかかわるとして最後まで明かすことはなかった。 野副氏は辞任後、富士通の相
最初、印刷は筆写を加速したものに過ぎなかったけど、たくさんの印刷物が行き交うようになると、それが公共圏となり最終的に国民国家を生んだ。国民国家の中核には言論によって維持される「民族」という幻想があって、それは言論のプラットフォームが無いと維持できないものだ。 機械は、最初、その時存在するリアルを加速する為だけに使われるが、それが一般化して自律的に動きはじめると、それが今までとは別の形のリアルを生み出す。 コンピュータネットワークは、これまで、それ以前に存在したリアルを加速する為に使われてきたが、そろそろ、これまで存在しなかった別のリアルを生み出すフェーズに来ているのではないだろうか。 メールは文書による伝達を加速しただけのものだったから、「宛先」とか「送信元」とか「タイトルと本文」とか「添付」とか「配信(配達)」とか、アナロジーで説明できたけど、twitterはそうではない。twitter
書籍データの破棄求める意見書=グーグル訴訟和解案にペンクラブ 書籍データの破棄求める意見書=グーグル訴訟和解案にペンクラブ 米グーグル社の書籍検索サービスの書籍無断複製は著作権を侵害するとして、米出版社協会などが起こした訴訟の修正和解案について、日本ペンクラブは26日、同社が保有する日本の書籍データの破棄などを求める意見書をニューヨーク南地区連邦地裁に提出すると発表した。 修正和解案では、ネット上で全文検索できるサービスの対象から日本の書籍は除外された。しかし、意見書は(1)これまで日本の書籍を無断でデジタル複写してきたことへの謝罪と同データの削除(2)今後は複製しないことの確約(3)国内の著作権者がこの問題への対応に要した経費の補償−などを求めている。(2010/01/26-21:01)
総務省の「利用者視点を踏まえたICTサービスに係る諸問題に関する研究会」は2009年6月22日,違法音楽配信対策について,「携帯端末に違法音楽ファイルを識別する機能を備えるべき」という方向性を示した。これは,研究会の下に設けられた違法音楽配信対策ワーキンググループ(主査:慶應義塾大学准教授 菊池尚人氏)において検討されたものである。レコード会社をはじめとする音楽配信事業者の事業に影響を与えるだけでなく,出会い系サイトなど有害サイトの入り口になっているとの指摘があるため,根本的な解決策が求められていると違法音楽配信サイトを位置づける。 違法音楽ファイルの識別機能は具体的に,2段階の処理から成り立つ。まずフィンガープリントといった音源識別技術を用いて,CDなどの正規音源から作成された音楽ファイルか個人が作成した音楽ファイルかを判断する。次に音楽ファイルが,携帯電話事業者から提供されたエンコーダ
思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
田中萬年氏が、同氏のホームページの「VT雑感」(VTとはヴォケーショナルトレーニングですもちろん)で、「ようやく出た『わたしのしごと館』の”意義”」というエッセイを書かれています。 http://www.geocities.jp/t11943nen/VTzakkan.html 満身の意を込めて同感ですので、そのまま引用しますね。 >「無駄」の象徴のようにマスコミからもたたかれた、「私のしごと館」の意義について、 2009年5月25日『京都新聞』が次のように紹介している。 ご周知のように、「私のしごと館」の廃止は既に決定しているが、その「私のしごと館」の活用策を探る市民フォーラムが24日に地元で開催されたという。 そのなかで、木津川市の元中学校長井上総さんは次のように発言したという。 「職業教育の必要性が高まる中、廃止は時代に逆行している。職業体験の機能を残すべき」。 「私のしごと館」の問題
レイプレイ事件について 2009年5月10日 水も滴る美しい処女。その色気を嗅いだ甥は欲情の炎に燃やされ、今にも気が狂いそうであった。 そこでその甥は邪な自分の欲望を成就させるべく策略を練った。仮病を使い、美しい姪を呼び出し、自分のために料理を作らせてこう言ったのだった。 「料理をこちらの部屋に持って来てくれ。お前の手から食べたいのだ。」 美しい処女であり姪であるタマルは、甥アムノンのいる部屋に入り、手ずから食べさせようと近づくと、アムノンは突如タマルに襲いかかった。 タマルは言った。「いけません、兄上。わたしを辱めないでください。愚かなことをなさらないでください。」 しかしアムノンは彼女の言うことを聞こうとせず、力ずくでタマルを辱めた。こうして彼女は強姦によって、処女を失った。 アムノンは事が終わると、一転激しい憎しみを彼女に覚えた。アムノンは彼女に向かって「立て。出て行け。」と言った。
「物と心」より。 こうして如何なる解釈をとろうと、確率論は帰納の意味を明確にはしたが、帰納の問題に解決を与えることができなかった。むしろ確率論の経験への適応可能性が帰納の正当化に依存するのである。 正当化が論理的に不可能だ、ということも全く正しい。理由は簡単で、ヒュームの言う通り、過去が未来を些かでも規定するという補償が些かもないからである。しかも、何の正当性もなくわれわれは現に無数の帰納を行っている。それが定義上「合理的」だからである、と言うことは念入りな冗談という以外はない。 実はその意味で科学にはなんら合理性はなく、念入りな冗談に過ぎない。 合理性ではなく、それは賭に過ぎないと大森は言う。 この、未来と過去の類似、過去世界の世界像の未来への外挿はこれまで何の根拠もない独断的仮定として非難されてきた。しかし、これは仮定ではなく賭なのである。そして、何の根拠もない賭けなのである。 いかに
OpenPGPを使っていて、問題が発生するものの一つに挙げられるのは様々な原因で秘密鍵を紛失してしまう場合ですが、バックアップとして最近開発されたのがpaperkeyというものです。 これを使用するとOpenPGP鍵の秘密鍵の部分を手入力であっても現実的な程度の文字数である形式に変更した上で、印刷するのに適した形式にすることができます。 これにより、一般的にも長期保存に適し、また、目視により読み取れる形で秘密鍵のバックアップを取っておくことができます。今回、このテストのために、新たに鍵ペアを作成しました。 以下のコマンドにより、公開鍵、及びそれに対応する秘密鍵が生成されていることがわかります。> gpg --list-key 51A00A8E pub 1024D/51A00A8E 2009-01-23 [expires: 2009-01-26] uid Nanoha Takamachi s
「一太郎」で知られるジャストシステムがキーエンスの傘下に入ったというニュースは、今や昔といったところでしょうか。 先日の知的財産研究会で、「一太郎」特許事件においてジャストシステム側の代理人を務めた弁護士さんがレポーターとして研究発表をされていたのですが、官公庁を大口の顧客とする製品に関して、なぜしなくともよい冒険に敢えて踏み切ったのか(この事件で問題とされたところって、パッチを当ててプログラム本体から削除しても、特段の問題もなくプログラムを使える程度の些末的なところだったわけではないですか。)、「予防法務」という観点からは不思議でたまりません。このような技術が特許として認められていることが許せないというのであれば、特許無効審判を申し立てた上で、それが認められた段階で、次期バージョンからその技術を利用すればよかったはずであり、当時の一太郎のシェアからいえば、それで何の問題もなかったはずです
ソニー全社をあげて(この辺脚色してます)探していただいたB-CASカードが、本日無事返送されて参りましたー。いえー。 で、さっそくテレビに突っ込んでみたところ、問題なく映りましたー。ええー? 個人的には、映らなくなっているというのが本来の意味からすると正解のような気がしていたのだけど、どうもただの紛失の場合は、カードの再発行はされても元カード情報はそのままスルーのようである。 いやしかしこれ、実際にカードを個別にリモートで停止できるシステムになっているのだろうか、という疑問も湧く。もし停止できるとしたら、BSの放送波にカード個別の停止信号を乗せるしかない。ネットを使うという手もないこともないが、中にはモデム接続だったり、あるいはそもそもネットワークに接続していないテレビもあるだろうから、それは無理だろう。 ただの紛失にはいちいち対応しないということは考えられるが、もし盗難など緊急性の高い場
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
CDやレコードがファングッズにすぎないのであれば、そうした媒体に(デジタルであれ、アナログであれ)データが収まっている必要はないはずだ。 でも、我々がCDを、レコードを今でも欲しいと思うのは単なるファングッズを超える何かがそこにあるような気がしないでもない。 極端な話だが、今あるCDやレコードの代わりに、「データ」と「データの入っていない銀の円盤/ビニール」をもらえるとして、これまで通りの価値を見いだせるだろうか*1。どうも私には後者が抜けがらのように思えてならない。たとえ、データへのアクセスが一生保証されているとしても、CDやレコードに感じる魅力とは別のものと感じてしまう。 私には、CDやレコードという媒体にデータが入っていてこそ、価値があるように思える。CDやレコードというメディアを介して音楽を聞いていた世代のノスタルジーなんだろうか。CDやレコードのメディアとしての機能を、様式美とし
いや、別にヒートアップした論争に加わろうなどという気はありません。ただ、法政策として見たときに教訓になることがあるように思われるので、その点だけ。 言うまでもなく、靖国神社は戦前は陸海軍管下の別格官幣社で、内務省管下の一般の神社とは異なり事実上軍の組織の一環でした。敗戦後、GHQの神道指令で、国の機関たる神社は国から引き離されて宗教法人になったわけですが、このとき靖国神社は神社であることを止めて国の機関として残ることもあり得たのですが、結局そうならなかったわけです。これが第一のボタンの掛け違えですね。このとき陸海軍の機関として残って居れば、第一復員省、第二復員省を経て、厚生省援護局の機関となり、恐らく今頃は厚生労働省社会・援護局所管の独立行政法人靖国慰霊堂という風になっていたと思われますが、その道を選ばなかった。 次は独立後の50年代、このころ靖国神社を国の機関にしようという動きがあり、自
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く