今からちょうど10年前、2021年3月11日14時46分に三陸沖で発生した東日本大震災。東北、関東地方の4県で震度6強の揺れが観測されたほか、津波、原発事故などの被害もあり、今でも記憶に焼きついている方は多いことでしょう。 ねとらぼ編集部では、特に大きな被害があった地域の1つとされる宮城県(自宅は仙台市中心部)で被災したという方の体験談を伺いました。なるべくそのまま全文掲載します。 ※修正は見出しの挿入、誤字訂正など軽微なものに留めました。編集部による補足情報は、このように注釈の形で追記しています 地震発生時の状況 父は岩沼(津波が襲った地域です)、兄は栗原(揺れがとても強かった地域です)に仕事に行っており(※1)、自宅は私と姉と障がいのある母、それと猫1匹でした。 当時私は2Fの自室で昼寝をしており、姉と母と猫は1F居間にいました。 地震発生の前日か前々日に緊急地震速報を伴う震度5程度の
東日本大震災。 東日本全体で21000人もの人が命を失い、または行方不明となりました。私も被災し岩手県陸前高田市米崎小学校の体育館で二ヶ月間にわたり避難所生活をしながら避難所運営を経験しました。 多くの人に助けられ過ごした時間です。この場をお借りして、日本中の人に御礼を述べさせていただきます。 本来であれば、避難所運営の一例として記録と御礼だけに留めるべきことですが、次の万が一の時のために避難所運営の改善点とご支援をいただいた際に気になった点を記させていただきます。 両親と妻と一男二女の7人暮らしをしていました。両親とも同じ米崎町生まれで、昭和35年のチリ地震津波の被害も経験しています。妻は同じ岩手県内でも内陸の一関市生まれなので、結婚するまで津波に対する防災教育を受けずに育ちました。 震災時、子どもは小学校一年の長女と保育園年長組の次女は学校と保育園へ。1歳6ヶ月の長男は自宅で妻と一緒で
【4月5日】七ヶ浜・奥松島 http://togetter.com/li/284523 【4月12日】山元町・気仙沼 階上 http://togetter.com/li/287437 【石巻市河北町長面地区】忘れられた被災地 http://togetter.com/li/292786 【5月22日】牡鹿半島 http://togetter.com/li/308508 【5月23日】石巻・女川 http://togetter.com/li/308753 【6月15日】陸前高田・気仙沼 http://togetter.com/li/322935 まとめ 宮城県沿岸部の様子 Bolt69さんが宮城県沿岸部(仙台港以南)の被災地の写真をアップしてくださっていたのでまとめました。 東日本大震災からもうすぐ1年4ヶ月ですね。 ※坂元駅等、被災した常磐線の駅・路線は震災前の場所より山側に移転させる計画が
農家こうめのワイン 農家による農家のための・・・・なんだ?しがないイチ百姓による農業ネタ&農業ニュース評論。ワインと日本酒の飲んだ感想や日々の雑記つき。 台風や大雨が来るたびに、けっこうな確率で「田んぼや用水路の様子を見に行って怪我する・亡くなる」方の報道があります。 1人の稲作専業農家として、そういう災害時に田んぼの様子を見に行くの気持ちは全く理解できないのですが、「なぜ農家が田んぼの様子を見に行くのか」というまとめがあり、それを読んで「農業って大変だなあ」と感想を持つ人もいるみたいで、驚きです。 農家が「ちょっと田んぼ見に行ってくる」理由 -NAVERまとめ http://matome.naver.jp/odai/2134207976414114901 ここに書いてあることは、例えば水量調節が大事など正しいといえば正しいのですが、大きく2点で「甘い」です。 まず第一に、突然予想だにしな
この映画かドラマの感動的ラストシーンのようなニュースが日本で報じられたのが4月16日だが、その9日前の4月7日にトス大佐は横田基地のウェブサイトに、仙台空港復旧支援に関するコメンタリー (実況解説) を寄稿していて、砂浜の「ARIGATO」を発見した事にも触れている。[>>5] Photos 4月3日に仙台空港の第27滑走路から1/2マイルの砂の上に、大きな松の木で出来た日本語の「thank you」の文字が発見された。同空港は3月11日の地震と津波の被害を受けたが、嘉手納基地の第353特殊作戦群の支援で3月16日に仮復旧し、人道支援のハブとなった。 (Photo courtesy of Col. Rob Toth) コメンタリー: 「礼には及ばぬ」 米軍が仙台空港再開を支援 Posted 2011年4月7日 Updated 4月8日 横田空軍基地 ロバート・P・トス大佐 統合軍特殊部隊
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/05(月) 11:38:28.32 ID:Kgta+MvM0 先週、電車とレンタカーで 釜石、気仙沼、南三陸町、女川、石巻、仙台沿岸部 にいってきた 3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/05(月) 11:41:30.54 ID:uVgV8A580 観光?ボランティア? 6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/05(月) 11:44:12.23 ID:Kgta+MvM0 >>3 個人で調査、自分の大学での専門が防災学だから 5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/05(月) 11:43:22.00 ID:Kgta+MvM0 釜石、鹿折唐桑駅 地区の幹線道路 駅前 9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09
東日本大震災における仮設住宅の建設が遅れている事は上記を見れば一目瞭然です。 最近ではテレビでの報道も少なくなってきましたが、 実際に被災地の避難所では仮設住宅の完成を待ち望んでいる方が多数いらっしゃるのです。 震災後、数ヶ月経過した現在も体育館や公民館などで、プライバシーも何も無い生活を送られているのです。 他人事ではなく、自分だったらどうか? 想像してください! 【では、何故 仮設住宅の建設が遅いのか本当の理由を暴露していきます。】 阪神 :資材が無い。流通が悪い。 東日本:資材が無い。流通が悪い。 (同じ条件です。) 阪神 :範囲が東日本大震災に比べて狭い。 東日本:範囲が阪神大震災に比べて広い。 (上記の写真から見ると、関係がない。) 阪神 :まだ、景気は良かった。 東日本:景気は悪くなっていた。 阪神 :関西の勢いあるノリがある。 東日本:のんびりしている地域。(東北) 阪神 :
茨城県大洗町を拠点に活動していた暴走族の解散式が17日、水戸署で行われた。今後、津波で大きな被害を受けた同町の復興のため、がれきの後かたづけや浜辺の清掃などを行うボランティアチームとして再出発する。 解散したのは、同町の高校生など15人で構成された「全日本狂走連盟愚連隊大洗連合ミスティー」。メンバーが入れ替わりながら約30年間、同町や水戸市などで、集団でバイクを乗り回し、爆音を響かせてきた。 解散のきっかけは東日本大震災。避難所などで「敵」と思い込んできた近所の大人や警察官から「飲む水はあるのか」などと気遣われ、「暴走なんかしている場合じゃない」という気持ちが強くなったという。泥まみれになった町役場の清掃に参加するメンバーも現れた。 解散式では、暴走族の少年総長(16)が「今まで地域の人に迷惑をかけた。今後、暴走行為は行わない」などと宣誓書を読み上げた。「族旗」も水戸署大洗交番所長に手渡し
人はなぜ「自分は大丈夫」と思うのか,防災研究家の片田群馬大学教授に聞く(前編) 群馬大学工学部教授 片田 敏孝氏 人は,何らかの被害が予想される状況でも「自分は大丈夫」と思ってしまいがちだ。一般ユーザーの「セキュリティ対策をしなくても,自分は大丈夫」と思う意識に,悩んでいるセキュリティ専門家は多いだろう。防災研究家で群馬大学工学部教授の片田敏孝氏は,人のこのような心のあり方を「正常化の偏見(normalcy bias)」と呼ぶ。 「正常化の偏見」とは,「自分にとって都合の悪い情報を無視したり,過小評価したりしてしまう人の特性」のことを言う。片田教授によれば,津波の危険地域に住んでいても,しばらく津波がなかったり,「津波警報」が出ても実際に津波が来なかったりすると,人は次に津波警報が出ても「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」と思って,避難しなくなってしまうという。 それでも片田教授は,津波や土砂
ツイッターの「東北関東大震災に関するデマまとめ」(jishin_dema)」さんが中心となって、主にツイッター上を流れるデマ情報とそれに対する分析の収集・告知が精力的に行なわれており、多くの人が情報提供や検証に加わっている。震災発生直後から1週間程度がデマのピークではあったが、現在も新たなデマは生まれつつあり、また過去に否定されたデマが生き続けているものもある。 そのツイートをもとに@omiya_fctokyoさんがTogetter - 「「東北関東大震災に関するデマまとめ」のまとめ」を作成され、わたしも気がついたら編集に参加している。 今回、この「デマまとめのまとめ」をもとに、震災発生後約1カ月間のデマ80件をピックアップ、パターン別にまとめてみた。 ※この記事は震災後1か月足らずの時点でのまとめです。同年6月に発行した冊子『東日本大震災でわたしも考えた』では震災後のデマ100件の分類整
東日本大震災の大津波で、世界一深い防波堤としてギネスブックにも認定されている岩手県・釜石港の防波堤が破壊されたのは、コンクリートブロックのすきまに発生した強い水流で基礎部分が削られたのが引き金になったことが、港湾空港技術研究所の分析で明らかになった。 ブロックの倒壊は徐々に進んだため、防波堤がない場合と比べると、市街地への浸水を6分間遅らせる効果があったという。 2009年に完成した湾口防波堤は全長約2キロ。防波堤としては世界最深63メートルの海底に基礎の石材が置かれ、その上に幅30メートルのブロックが並ぶ。ブロックは海面から約6メートル出ており、高さ5・6メートルの津波から街を守るよう想定されていた。 同研究所では、沖合20キロの波浪計で観測した津波波形をもとにコンピューター解析し、現地調査の結果とともに破壊過程を推定した。最初に到達した高さ10・8メートルの津波は、防波堤の内側では高さ
原発廃止派に、原発を全部いきなり止めてそれで必要だった電力はどうするの?と聞いても、「再生可能エネルギーがー」といった具合に、"新エネルギーがいきなり原子力を置き換える"と思ってる人がいます。 新エネルギーを役立てるには必要な前提がいくつかあります。なぜ必要なのかを理解するためには、知らなければいけないことがいくつかあるので、それをまとめてみました。 曖昧な表現や間違っている部分がある可能性や、将来の展開について個人的な想像が含まれていることをお断りしておきます。 (それは違うだろ、という点があればトラックバックで補足してもらえればと思います) 電気はそのままでは貯められない現在、実用レベルで電気を貯められるのは水力だけ。 水力は電気が余って捨てられている夜間に水をくみ上げて位置エネルギーに変換し、昼間のピークに放出している。水力が他の発電と比べて優れているのがこの"位置エネルギーに変換し
野尻美保子(高エネルギー加速器研究機構/東京大学IPMU) 久世正弘(東京工業大学理工学研究科) 前野昌弘(琉球大学理学部) 衛藤稔・石井貴昭・橋本幸士(理化学研究所仁科加速器研究センター) 翻訳の許可をオリジナル作成者よりいただいています。 素粒子原子核分野の研究者/院生の皆さん 今回の震災に起因した福島原発の事故について国民の不安が高まっています。チェルノブイリのようになってしまうと思っている人も多いです。 放射線を学び、利用し、国のお金で物理を研究させてもらっている我々が、持っている知識を周りの人々に伝えるべき時です。 アメリカのBen Monreal教授が非常に良い解説を作ってくれました。もちろん個人的な見解ですが、我々ツイッター物理クラスタの有志はこれに賛同し、このスライドの日本語訳を作りました。能力不足から至らない点もありますが、皆さん、これを利用して自分の周り(
3月17日午前0時40分。今、この原稿を東京の自宅で書いている。3月11日金曜日午後2時46分(東日本大震災発生)以来、この国がもう後戻りのできない別の時代に入ってしまったことを刻一刻感じている。 マグニチュード9.0の巨大地震。大津波。原子力発電所事故。どれ1つとっても「国難」級のクライシスが3つ、束になってやって来たのだ。これ以上深刻な危機は「戦争」か「大規模テロ」ぐらいしか思い浮かばない。 今後の日本の歴史は「3.11以前」と「3.11以降」に分類されるだろう。そういう意味で「2011年」は、「1868年」(明治維新)「1945年」(敗戦)に続く日本の現代史の分岐点になるだろう。 私は新幹線に乗って関西に逃げるべきなのか? 日本のマスメディアや報道を観察している私にとっては、これは歴史的な好機である。新聞、テレビ、インターネットなどマスメディアを「最も過酷な条件にさらした場合の実績デ
昨日家に帰って日曜日に録画しておいた NHK「阪神・淡路大震災15年 特集ドラマ〜その街のこども〜」 を観た。 放送日時が微妙だったのでそれほど多くの人に観られていないドラマかもしれないが これが素晴らしい出来だった。 とかく悲劇や感動で語りがちな題材だし、実際今年は区切りの良い(区切りもなにも あったものではないが)あれから15年ということもあってか 例年より色んなメディアで阪神淡路大震災のことが語られたりドラマになったりしたがやはりどれもステレオタイプな悲劇・感動エピソードで括られたものが多かったと思う。 そんな中、このドラマはおそらく主役・森山未来君の実体験に基づいていると 思うのだが「そら傷ついたり死んだり生きる希望をなくした人たちはたくさんいたけれども、実際の現場はそればっかりではなかったよ、むしろ俺、楽しんでたもん、楽しんでたって言うとみんな不謹慎に思うかもしれないけどほんとそ
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