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ブックマーク / tororoduki.blog92.fc2.com (4)

  • 安芸の夜長の暇語り 毛利家文書289号「郡山合戦報告書の注進について」

    読んだや安芸の歴史など気の向くままに書き綴るサイト。 今のところ中世、毛利元就とその周辺の国人達が主。 四国を考える前にちょいと気になるものを見つけたので。 毛利家文書 書き下し文 「去る2月14日御状、委細拝見申し候 尼子陣退散の由御注進よりて則披露申し候 それにつき、毛利右馬頭方働き比類無き由 それ隠れ無き候。木左かたへ懇ろに注進候 其趣披露仕り候の所、御書成られ候 長政かた、巨細申されるべく はたまた貴所今度御忠節比類無し旨、まずもって珍重候 この表事も、赤松殿仰せ合われ、近日其働き有るべく候 大内殿よりも、御懇使僧以て御申す儀に候 則御返事申され候、次爰元に相之御用の儀承る 疎意あるべからず候、猶委曲御同名甲斐守方申されるべく候 巨細あたわず候、恐々謹言 卯月21日   宍戸安芸守殿 御返報」 私訳 「2月14日の手紙ですが、つぶさに拝見しました。 尼子方が退散した報告をすぐに披

  • 安芸の夜長の暇語り 小早川隆景物語第2回の感想「元就父さんは養子反対派です。」

    読んだや安芸の歴史など気の向くままに書き綴るサイト。 今のところ中世、毛利元就とその周辺の国人達が主。 先週の日曜日に三原のリージョンプラザで三原市の主催する 三原城築城450年に関する講座、 『小早川隆景物語』の第二回目がありました。 毎回50名分の当日申し込みを用意しているようなので 当日申し込み可能の様です。 ・・・知らんかった。 んで、今回は県立大学の秋山先生の御講義でした。 県立大学は、私が大学生の頃に3つの大学が合併したため 県内至るところにキャンパスがあり、三原にもあります。 何でも、後期から一般教養で三原の町を巡りながら 史跡の勉強をする講義があるようで、学生さんがぶち羨ましいです。 ・・・聴講したいなあ。 そんな、貴方に朗報! とばかりに広島市の市民講座の案内がありました。 ・・・別口ですでに学芸員さんから頂いてはいたのですが、 毎度毎度、火曜の18時設定はほんまに社会

  • 安芸の夜長の暇語り 隆景の伊予統治~四国平定以前~

    読んだや安芸の歴史など気の向くままに書き綴るサイト。 今のところ中世、毛利元就とその周辺の国人達が主。 安芸の歴史のはずなのに、最近伊予ばっかりですみません。 あ、でも今回は隆景なので許してつかあさい。 いや、この毛利氏の伊予統治ってのは元より興味がありまして、 毛利元就の最大領土に伊予を含めるか含めないかって大きいのです。 まあ、元就の場合、統治というよりも 影響力のあった範囲と考えた方がよいので その点では伊予も讃岐も勢力圏内になるので 往来考えられていた中国地方だけでなく 北四国も含められるわけで、 そうすれば多分領土拡大率では信長を抜くんじゃないかと思うのです。 というのも元就が安芸を完全統一できたのは1555年の厳島合戦からで それから亡くなる1571までのわずか16年(実際は14・5年)で 8カ国(安芸・備後・周防・長門・石見・出雲・因幡・伯耆)と 一時は筑前を影響下にしてお

  • 安芸の夜長の暇語り +竹原+・・・伊予河野家最後の当主の墓と隆景の鎮魂の祈り

    読んだや安芸の歴史など気の向くままに書き綴るサイト。 今のところ中世、毛利元就とその周辺の国人達が主。 小早川神社の探索を済ませた後に 今度はバスで竹原に向かいました。 ・・・精神的にあれこれ疲れたので 道の駅で「峠下牛」というブランド牛でもべて 元気を取り戻そう! と思ったらレストランが満席で入れませんでした・・・・。 平日の昼間なのにセレブさん達め! しかたないので「謎解きラリー」を2階で貰い、 気分はレイトン教授で町並み保存地区に行きました。 行けば何かべ物やぐらいあるだろうと てくてく歩いて行こうとすると道の駅の後ろの山に何か見えました。 写真だとみづらいのですが、 右手の山上に赤い旗が翻り、何かあるようです。 左側の尾根が平らで城跡っぽいなあとパンフを見ると 鎮海山城と呼ばれる城跡で 関ヶ原の合戦、伊予河野家復興軍の戦闘で亡くなった 村上元吉さん達の供養塔があるんだそうです

    安芸の夜長の暇語り +竹原+・・・伊予河野家最後の当主の墓と隆景の鎮魂の祈り
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