武士という存在 恋愛からの結婚を強く打ち出しているのが奇妙なのは、舞台が嘉永年間の薩摩の武士階級での話、というところにある。 武士は、公的な存在である。 農工商とは違う。 好き嫌いで物事を決めない。 それは徹底して教育される。 人生の大事である結婚相手を好き嫌いでは選ぶわけにはいかない。 メリケンでは好きなもの同士が夫婦になる、と聞いたら「なんと野蛮な」と反応してもらわないと困る。 武士は軍人であると同時に貴族階級である。 彼らの本名は源氏や平氏や藤原氏であり、(ちなみに大久保正助の正式名は源利通)、血のつながりは疑わしい部分も多いが、表面上は古代より千年以上続く家系の一員である。おそろしく重い家を背負っている。個人よりも「イエ」が大事だった。 そんな人たちが、個人の感情である「好き嫌い」によって、「千年続くイエの存続」に直結する結婚を左右できるわけがない。 貴種は好き嫌いでは結婚できない