ブックマーク / kofunmeguri.hatenablog.com (321)

  • 東武伊勢崎線のガード 羽生市本川俣 - 週末は古墳巡り

    「気まぐれ散歩in永明寺古墳」の後は、羽生市や加須市の古墳巡りのつもりでいたが、急に利根川対岸(左岸)の古墳が気になり予定変更。ナビは東北自動車道で利根川橋を渡ることを薦めるが、無課金を選択して国道122号の昭和橋を渡るルートを選択。利根川右岸を並走する埼玉用水路沿いの道を西進すると目の前に東武伊勢崎線の煉瓦造の橋台。 東武伊勢崎線の煉瓦構造物 にほんブログ村

    東武伊勢崎線のガード 羽生市本川俣 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/30
  • 御廟塚古墳 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り

    御廟塚(みびょうづか)古墳は、「永明寺古墳保存活用計画(改訂版)」(令和2年5月、羽生市教育委員会)によれば「前方後円墳とされるが、未調査で、埋没している部分も多く、その規模は不明。景行天皇55年に東山道15か国の都督に任命されて赴任した豊城入彦(とよきいりひこ)の孫の彦狭島王(ひこさしまおう)が埋葬されたとする伝承が残る」、文献[2]によれば「前方後円墳、馬具、陶棺、天井石民家にあり」、文献[3]によれば「填長推定60m」「 <その他> 古墳の中央を北方用水が通り、南北に分断された。後円部削平、前方部のみ残存、計測不能」「 <主体部>位置:後円部、室:横穴式石室?、乱掘:1880年開墾のため発掘、石室の天井石である幅約1.2m・長2.1mの緑泥片岩を発見」「<副葬品>馬具:轡」 埼玉用水路とナガミヒナゲシ 利根川と東北自動車道の利根川橋 「永明寺古墳保存活用計画(改訂版)」(令和2年5月

    御廟塚古墳 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/29
  • 稲荷塚古墳 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り

    「気まぐれ散歩in永明寺古墳」の前に村君古墳群の稲荷塚古墳と御廟塚(みびょうづか)古墳とを巡った。稲荷塚古墳は 「永明寺古墳保存活用計画(改訂版)」(令和2年5月、羽生市教育委員会)によれば径20mの円墳。文献[1]によれば「円墳、規模不詳、埴輪、墳丘上に鷲宮神社」 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 37 稲荷塚古墳, 38 永明寺古墳, 40 御廟塚古墳 にほんブログ村

    稲荷塚古墳 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/28
  • 第17回村君あおぞら市場in永明寺 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り

    「気まぐれ散歩in永明寺古墳」の前後に、隣の会場で盛り上がっていた「第17回村君あおぞら市場in永明寺」も楽しんだ。焼きそばがなんと200円。 村君公民館 | 羽生市 村君公民館だより 2024年5月号 いがまんちゃんとムジナもん いがまんちゃん | 羽生市 ムジナもん | 羽生市 にほんブログ村

    第17回村君あおぞら市場in永明寺 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/27
  • 気まぐれ散歩in永明寺古墳 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り

    5月12日に埼玉県羽生市で開催されたイベント「気まぐれ散歩in永明寺古墳」に参加した。 県指定史跡永明寺古墳(ようめいじこふん)を歩いて、市職員が見どころを紹介。 古墳から出土した実物の埴輪も解説。埴輪は周溝の発掘調査で出土したもの。このイベントは今年で17回目となる「村君あおぞらいちin永明寺」の開催に合わせて実施された。10時からのイベントの前に、付近の古墳と、永明寺古墳を一人でまわって予習した。あとで気がついたが、イベントの参加者が写った写真が一枚もない。永明寺古墳は、文献[1]によると「前方後円墳、全長78m、直刀・刀子・鉄鏃・甲冑・鋸・馬具・耳環・埴輪、竪穴式石室」 永明寺 ③永明寺古墳(ようめいじこふん) (記念物 史跡 埼玉県指定第540号 平成27年3月13日) 墳丘長約78メートル、高さ約7メートルの前方後円墳で、古墳時代後期の埼玉県北東部を代表する古墳です。南西約12キ

    気まぐれ散歩in永明寺古墳 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/26
  • 小松1号古墳 羽生市小松 - 週末は古墳巡り

    羽生市の「街の中に古墳があるまち」に紹介されている埋没古墳の小松古墳群の1号墳を訪ねた。埋没古墳なので、現地を訪れても墳丘が見つかるわけではない。墳丘も地面の下に埋まっている。場所は、小松神社の西隣。 1979年の下水道工事中に地表下1.2mから主体部(石室)が発見され小松1号古墳として発掘調査が行われた。石室の棺床面は約3mの深さ、胴張り複室構造の横穴式石室でほぼ南に開口、 床から鉄刀や装身具類が出土。7世紀前葉と考えられる。小松古墳群は、関東造盆地運動での沈降と河川の氾濫土の被覆で、その多くが埋没していると考えられる。文献[3]では「小松古墳、円墳、自然堤防・畑、直刀・鉄鏃・耳環・玉、埋没古墳、横穴式石室」 小松神社 街の中に古墳があるまち | 羽生市 小松古墳群1号墳出土品 文化遺産オンライン 埼玉県羽生市小松 小松神社古墳 | 古墳探訪記 埋没古墳の石室が見つかった下水道工事の場所

    小松1号古墳 羽生市小松 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/25
  • 発掘された弥生時代 杉並区立郷土博物館分館 - 週末は古墳巡り

    杉並区立郷土博物館分館で開催された企画展「発掘された弥生時代」を会期終了間際に鑑賞した。また、この日に実施された学芸員による展示解説にも参加した。展では、大宮遺跡・鎌倉橋上遺跡・方南町峰遺跡群などの発掘調査成果をもとに、弥生時代の生活や葬送について紹介する。杉並区内では、これまで弥生時代の遺跡はあまり注目されていなかったが、近年の発掘調査により、弥生時代を代表する遺構である環濠集落や方形周溝墓が発見され、区内の弥生時代の様子が明らかになってきたとのこと。弥生時代を題材にした展示は区内初。大宮遺跡の方形周溝墓から出土した遺物が一堂にそろうのは発掘調査依頼54年ぶり。 杉並区立郷土博物館|杉並区公式ホームページ 考古資料|杉並区公式ホームページ 施設案内 和田堀公園|杉並区公式ホームページ 和田堀公園・大宮遺跡方形周溝墓出土遺物|杉並区公式ホームページ 鎌倉橋上遺跡D地点住居跡出土遺物|杉並

    発掘された弥生時代 杉並区立郷土博物館分館 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/24
  • 京成本線のガード 船橋市海神 - 週末は古墳巡り

    京成線の海神駅と京成船橋駅の間の2か所にある煉瓦造のガードを探索。 一つ目のガード 2つ目のガード 京成線レンガガード(船橋市)2 : Anthology -まちの記憶- 海神駅から海神小学校を訪ねて - Deepランド にほんブログ村

    京成本線のガード 船橋市海神 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/22
  • 長南町郷土資料館と寛永寺の石燈籠 - 週末は古墳巡り

    米満横穴墓群の探索の前に長南町郷土資料館に立ち寄った。米満横穴墓群出土の玉類、耳管、鉄鏃、須恵器などを展示。その他、能満寺古墳と能満寺裏遺跡の展示、根畑遺跡出土子持勾玉など見どころ豊富。 長南町郷土資料館 寛永寺の石燈籠 寛永寺の石灯籠 (寄贈 東京都 田中康弘氏) この石灯籠は、徳川将軍家の菩提寺・東京上野の寛永寺に建てられていたもので、高さは一丈(約3m)を測ります。 昭和27(1957)年に寛永寺から田中泉氏が譲り受け、平成18(2006)年に当館に寄贈されました。 銘文にある「文恭院殿」とは江戸幕府第十一代将軍家斉(1773〜1841)の法名であり家斉の死去に際し、天保12(1841)年、讃岐国丸亀(香川県丸亀市)藩主京極高朗(1798〜1874)によって、この石灯籠が奉献されました。 長南町郷土資料館 長南町公式ホームページ 寛延4年(1751年)の寛永寺灯籠が江戸東京たてもの園

    長南町郷土資料館と寛永寺の石燈籠 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/18
  • 米満横穴墓群Ⅳ-1,2小支群 長南町米満 - 週末は古墳巡り

    米満横穴墓群の続き。 横穴墓を探索する探検隊。 米満横穴墓群Ⅳ-1小支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-1小支群の2基目 米満横穴墓群Ⅳ-2小支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-2小支群の2基目 今回の米満横穴墓群の探索はここまで にほんブログ村

    米満横穴墓群Ⅳ-1,2小支群 長南町米満 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/17
  • 徳増下谷横穴墓群(その1) 長柄町徳増 - 週末は古墳巡り

    史跡長柄横穴墓群資料館の南側に位置する徳増下谷横穴墓群を探索。長柄町の遺跡番号149の「横穴墓 12基」で、東からアプローチした順番に1〜12号墓と仮に呼称する。 徳増下谷横穴墓群(仮)2号墓(左)と(仮)1号墓(右) 徳増下谷横穴墓群(仮)1号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)2号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)3号墓 埋蔵文化財 - 長柄町 徳増下谷横穴墓群【千葉県長柄町】 長柄横穴墓群南側の尾根に残るのがこちらの横穴墓群です。未整備かつ無名ながら、国指定史跡である長柄横穴墓群にも引けを取らない素晴らしい横穴墓の数々。 内部は家形をしたものが多い印象でした。中には側壁に複室?の付く特徴的な横穴墓(3枚目)も。 pic.twitter.com/QlogQSc8M0 — ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2024年4月6日 にほんブログ村

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    k10no3 2024/05/13
  • 長柄横穴墓群(その8) 長柄町徳増 - 週末は古墳巡り

    長柄横穴墓群の第2支群の第6小支群(第26,25号墓)と第5小支群(第24,23,22号墓)の5基。 長柄横穴墓群第26号墓、南東に開口、家形、文献[1] 長柄横穴墓群第25号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第24号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第23号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座3、文献[1] 長柄横穴墓群第22号墓、南南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第5小支群: 埼群古墳館別館 長柄町長柄横穴群第2支群第6小支群: 埼群古墳館別館 文献 [1] 財団法人千葉県文化財センター 1994 『千葉県文化財センター調査報告259:長柄町横穴群徳増支群発掘調査報告書』財団法人千葉県文化財センター にほんブログ村

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    k10no3 2024/05/11
  • 長柄横穴墓群(その7) 長柄町徳増 - 週末は古墳巡り

    長柄横穴墓群の第2支群の第7小支群(第30,29,28,27号墓)の4基。 長柄横穴墓群第30号墓、東南東に開口、ドーム形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第29号墓、東南東に開口、蒲鉾形、棺座2、文献[1] 長柄横穴墓群第28号墓、南東に開口、蒲鉾形、棺座3、文献[1] 長柄横穴墓群第27号墓、東南東に開口、蒲鉾形、棺座3、文献[1] 長柄町長柄横穴群第2支群第7小支群: 埼群古墳館別館 文献 [1] 財団法人千葉県文化財センター 1994 『千葉県文化財センター調査報告259:長柄町横穴群徳増支群発掘調査報告書』財団法人千葉県文化財センター にほんブログ村

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    k10no3 2024/05/10
  • 長柄横穴墓群(その5) 長柄町徳増 - 週末は古墳巡り

    長柄横穴墓群の第1支群の第1小支群(第1〜4号墓)の4基。 第1小支群 第1小支群は、第1〜4号墓の4基の横穴墓があります。 長柄横穴墓群第1号墓、南西に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第2号墓、南に開口、寄棟型、棺座2 長柄横穴墓群第3号墓、南東に開口、横アーチ型、棺座1、見学不可 長柄横穴墓群第4号墓、南東に開口、寄棟型、棺座2 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第1小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村

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    k10no3 2024/05/08
  • 長柄横穴墓群(その3) 長柄町徳増 - 週末は古墳巡り

    長柄横穴墓群の第1支群の第3小支群(第13〜17号墓)の5基。 第3小支群 第3小支群は、第13〜17号墓の5基の横穴墓があります。 特に、第13号墓の玄室には、線刻画が描かれています。 線刻画とは? 線刻画は、壁に尖ったもので線を刻んで絵を描いたものです。 長柄横穴墓群第13号墓、南西に開口、縦アーチ型、棺座3、線刻画、見学不可 長柄横穴墓群第14号墓、南南西に開口、ドーム型、棺座1 長柄横穴墓群第15号墓、南南東に開口、寄棟型、棺座4 長柄横穴墓群第16号墓、南に開口、寄棟型、棺座4 長柄横穴墓群第17号墓、南に開口、寄棟型、棺座3、見学不可 長柄町/長柄町デジタルアーカイブ 長柄町長柄横穴群第1支群第3小支群: 埼群古墳館別館 にほんブログ村

    長柄横穴墓群(その3) 長柄町徳増 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/06
  • 長柄横穴墓群(その1) 長柄町徳増 - 週末は古墳巡り

    春の桜が咲く頃、誘われて、房総半島のほぼ中央に位置する長柄(ながら)町の長柄横穴墓群と長南(ちょうなん)町の米満横穴墓群を探索した。この地域は、太平洋に注ぐ一宮川の上流にあたり、複雑に開析された入り組んだ谷津が多く、笠森層とよばれる暗青色の凝灰質砂岩層が分布し、横穴墓が集中する。また、この地方には上総地方に特徴的な「高檀式(こうだんしき)」とよばれる羨道と玄室の高さが著しく差のある特有の形態の横穴墓が多い。 長柄横穴墓群は、1980年に16基が長柄町横穴群徳増(とくます)支群として県指定史跡となり、1993年に千葉県教育委員会が重要遺跡確認調査を実施(文献[1])、1995年に35基が国の史跡に指定された。1998年に新たに1基が発見され、2支群9小支群で構成される36基が国の史跡指定を受ける。長柄町は1998年に長柄横穴墓群の保存整備の基方針を計画、第1支群(4小支群、21基)について

    長柄横穴墓群(その1) 長柄町徳増 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/04
  • 橘花屯倉ミニシンポジウム 川崎市高津市民館 - 週末は古墳巡り

    ゴールデンウィーク初日(4月27日)に溝の口駅前の商業ビル最上階(12階)の高津市民館大会議室で、川崎市制100周年記念事業、令和6年度橘樹官衙遺跡群保存活用事業として開催された「橘花屯倉ミニシンポジウム-橘樹官衙遺跡群成立の前段階-」に参加(聴講)した。会場の参加者が約200名、オンラインの参加者が約80名と盛況。司会は三舟隆之氏。 川崎市初の国史跡である橘樹官衙遺跡群が成立する前段階の「橘花屯倉(たちばなみやけ)」をテーマとしたミニシンポジウムで、7件の発表とパネルディスカッションの構成。4月16日の川崎市長定例記者会見で、橘樹歴史公園の5月18日オープンが発表された。川崎市は、橘樹官衙遺跡群の史跡整備として、全国で初めて飛鳥時代(7世紀後半)の倉庫1棟を復元した。 記憶に残った部分をメモすると、 「屯倉(みやけ)」はよくわかっていない(三舟) 古墳、古代寺院、官衙が揃っているところは

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    k10no3 2024/05/03
  • 等々力不動尊と御岳山古墳 (再訪) 世田谷区等々力 - 週末は古墳巡り

    「古墳散策ツアー」後に野毛大塚古墳から等々力渓谷の神変窟、等々力不動尊を経て、御岳山古墳を再訪した。満願寺所蔵で通常非公開の御岳山古墳出土の七鈴鏡(東京都指定文化財)は、いつかどこかで公開されないかな。1950年(昭和25年)に学習院大学が実施した御岳山古墳後円部墳頂の埋葬施設の調査は、調査に参加した学習院輔仁会高等科史学部2年生堀田正祥(当時16歳、後の尾張徳川家第21代当主徳川義宣、徳川美術館館長)氏の47年後の報告(文献[1])で当時の様子が伝わる。 等々力渓谷 東京都指定名勝 等々力渓谷(とどろきけいこく) 所在地 世田谷区等々力2丁目外 指定 平成11年3月3日 等々力渓谷は、国分寺崖線(ハケ)の最南端に位置する約1キロメートルの都区内唯一の渓谷である。谷沢川(やさわがわ)が国分寺崖線に切れ込んで浸したもので、台地と谷との標高差は約10メートルある。 渓谷の斜面には、武蔵野の代

    等々力不動尊と御岳山古墳 (再訪) 世田谷区等々力 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/01
  • 煉瓦造の蔵 (その2 湮滅) 北区豊島 - 週末は古墳巡り

    北区豊島の煉瓦蔵に足場が組まれているとXのポストで見つけて、2つある北区豊島の煉瓦蔵を確認したら、4年前に鍰煉瓦(からみれんが)を探していて見つけた煉瓦蔵のあるお宅で建替え工事が始まっていた。その時は煉瓦蔵と煉瓦塀は無傷で、敷地の建物がなくなっていた。翌週、再訪したら、屋根瓦が降ろされ、雨樋がもげていた。翌々週には更地になっていた。 翌週、再訪 翌々週には更地になってた。最後に残った煉瓦塀も翌日には取り壊されていた。 北区豊島には立派な煉瓦蔵がありましたが今はもう足場が組まれてしまいそろそろ解体されそうです😭 pic.twitter.com/PBV5FdN8mL — たくあん (@takuan21) 2024年2月24日 残念。おつかれさまでした。 pic.twitter.com/KlIGw9L9Zt — Stray bk (@stray_brick) 2024年3月3日 にほんブログ村

    煉瓦造の蔵 (その2 湮滅) 北区豊島 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/04/29
  • 多摩ニュータウンNo.313遺跡1号横穴墓 町田市小山ヶ丘 - 週末は古墳巡り

    三ツ目山公園に移築復元された多摩ニュータウンNo.313遺跡1号横穴墓(久保ヶ谷戸横穴墓)を見学した。多摩ニュータウン地域とその周辺からは12群46基の横穴墓が発見されている。横穴墓は群集して複数基が築かれることが通常だが、No.313遺跡1号横穴墓は1基のみ単独で、墓室に通じる通路状の平坦部分(前庭部)は長さ19mと全国でも最大級の規模、前庭部奥壁全面と両側壁の一部に河原石を積み上げ、積み上げた石は総数945点、総重量約5.2t、羨門は柱状の切石が組まれ、扉はしっかり塞がれた状態で未盗掘、前庭部からは静岡県湖西窯産の須恵器の大窯とフラスコ形瓶、直刀、六窓鍔、鉄鏃が出土、墓室からは人骨片と刀子2点が出土。出土遺物から7世紀中葉の築造と考えられる。石積施設をもつ横穴墓は、全国でも少なく、発見時には都内で5例目、多摩川中流域(日野市・国分寺市)で7世紀後半に、神奈川県の相模川中流域で7世紀前半

    多摩ニュータウンNo.313遺跡1号横穴墓 町田市小山ヶ丘 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/04/27