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長南町郷土資料館と寛永寺の石燈籠 - 週末は古墳巡り
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長南町郷土資料館と寛永寺の石燈籠 - 週末は古墳巡り
米満横穴墓群の探索の前に長南町郷土資料館に立ち寄った。米満横穴墓群出土の玉類、耳管、鉄鏃、須恵器... 米満横穴墓群の探索の前に長南町郷土資料館に立ち寄った。米満横穴墓群出土の玉類、耳管、鉄鏃、須恵器などを展示。その他、能満寺古墳と能満寺裏遺跡の展示、根畑遺跡出土子持勾玉など見どころ豊富。 長南町郷土資料館 寛永寺の石燈籠 寛永寺の石灯籠 (寄贈 東京都 田中康弘氏) この石灯籠は、徳川将軍家の菩提寺・東京上野の寛永寺に建てられていたもので、高さは一丈(約3m)を測ります。 昭和27(1957)年に寛永寺から田中泉氏が譲り受け、平成18(2006)年に当館に寄贈されました。 銘文にある「文恭院殿」とは江戸幕府第十一代将軍家斉(1773〜1841)の法名であり家斉の死去に際し、天保12(1841)年、讃岐国丸亀(香川県丸亀市)藩主京極高朗(1798〜1874)によって、この石灯籠が奉献されました。 長南町郷土資料館 長南町公式ホームページ 寛延4年(1751年)の寛永寺灯籠が江戸東京たてもの園