ブックマーク / kofunmeguri.hatenablog.com (310)

  • 平重衡の首塚 本庄市児玉町蛭川 - 週末は古墳巡り

    金鑚神社古墳から北西に徒歩約15分の駒形神社の隣の釈迦堂墓地にある庄市指定文化財の平重衡の首塚を訪れた。平重衡(しげひら)は平清盛の五男、治承4年(1180年)12月、清盛の命により南都焼打、 寿永3年(1184年)2月の一ノ谷の戦いで平氏は源範頼・義経の鎌倉源氏軍に大敗を喫し、敗軍の中、重衡は馬を射られて捕らえられた。庄市によると「一の谷の合戦で児玉党の庄四郎高家に生け捕られた重衡は鎌倉に送られて源頼朝に面会した後、南都の僧兵に引き渡されました。その後、処刑された重衡の首を、庄高家は自分の領地蛭河郷に持ち帰り、手厚く供養したといわれています。蛭川の駒形神社の隣の釈迦堂墓地にあります。」 駒形神社 第50回伊勢神宮式年遷宮記念 駒形神社 御由緒 庄市児玉町蛭川二一四 □ 御縁起(歷史) 当地は、児玉党蛭川氏の貫地とされ「児玉党系図」では摂津一ノ谷合戦で戦功のあった庄四郎高家の子定重

    平重衡の首塚 本庄市児玉町蛭川 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/20
  • 蛇喰古墳 深谷市岡 - 週末は古墳巡り

    庄早稲田の杜ミュージアムで企画展を鑑賞する前に深谷市の蛇喰古墳に立ち寄った。文献[2]によると蛇喰古墳は「径20mを測る円墳で、白山古墳群中唯一現存する古墳である」「白山古墳群は6世紀以降の築造と推定される古墳群で、白山遺跡の北西に展開する。(白山遺跡の)2次調査において、24基が検出された。」、文献[1]によると「円墳、径25m、埴輪」 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 深谷市教育委員会 2011 『埼玉県深谷市埋蔵文化財発掘調査報告書124:白山遺跡Ⅳ』深谷市教育委員会 にほんブログ村

    蛇喰古墳 深谷市岡 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/18
  • 「中国鏡」 明治大学博物館 - 週末は古墳巡り

    明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション57「中国鏡」を鑑賞した。明治大学博物館考古部門の代表的なコレクションのひとつである中国鏡。 戦国代から隋唐代までの中国鏡40面を展示し、鏡の形状や文様の変遷をご紹介する。会期は2024年4月22日(月)から6月22日(土)まで。 明大コレクション57「中国鏡」開催のお知らせ | 明治大学 考古部門コレクション展「中国鏡」が日始まりました! 戦国代から隋唐代までの中国鏡40面を展示し、鏡の形状や文様の変遷をご紹介いたします。 ぜひご覧ください!https://t.co/Jf8fFuXFly#明治大学博物館 pic.twitter.com/IvVyiOp8gk — 明治大学博物館(Meiji University Museum) (@meiji_museum) 2024年4月22日 2022年3月22日(火)から5月24日(火)に開催され

    「中国鏡」 明治大学博物館 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/15
  • 稲荷神社古墳 板倉町大高嶋 - 週末は古墳巡り

    稲荷神社古墳は、板倉町によると「墳頂部には稲荷神社の社と鳥居が建っている。周堀の一部が確認されているが、墳形は明らかになっていない。おそらく30m前後の古墳になると考えられる。埴輪は僅か1片が見つかっている。石室は浮石質角閃石安山岩の河原石で造られている。築造時期は6世紀後半と考えられる。」 板倉町指定史跡 稲荷神社古墳 (『上毛古墳綜覧』大箇野村第一号墳) 昭和50年4月25日 指定 昭和62年周堀確認調査の結果、円墳であることが確認されています。大きさ等は明らかでありませんが、径約30m、高さ約2mの古墳になると推定されます。 石室の床面には榛名山二ツ岳産出の浮石質角閃石安山岩(河原石)が敷き詰められています。この石材は利根川流域の古墳(横穴式石室)とくに谷田川両岸の石室に使用されている特徴的な石です。 構築時期は、出土遺物が少ないため明確ではありませんが、6世紀後半頃と見られます。

    稲荷神社古墳 板倉町大高嶋 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/09
  • 大塚山古墳 板倉町大高嶋 - 週末は古墳巡り

    次に板倉町大高嶋の大塚山古墳と稲荷神社古墳を訪れた。 大塚山古墳は、板倉町によると「墳形は方墳の可能性もあるが、明らかでない。地下レーダー探査の結果、周堀および堅穴式石室の存在が考えられる。時期など詳細なことは確認されてきない。」 板倉町指定史跡 大塚山古墳(大箇野二号墳) 板倉町大字大高嶋1732 昭和50年4月25日指定 大塚山古墳は「上毛古墳総覧」によると円墳とされ、七世紀ごろ築造されたものと考えられています。 墳丘部は直径約7m、高さ約2.5mで、かなり良好な状態で遺されています。 谷田川下流域の古墳群として、六世紀代に岩田の舟山古墳、道明山古墳が築造され、次いで筑波山古墳が築造されました。 七世紀に入り、松ノ木古墳(飯野—消滅—)、大塚山古墳、稲荷神社古墳(高鳥)が築造されました。 この大塚山古墳は出土品が全くなく、発掘に関する伝承もないため、完全な形で石室が遺されている可能性が

    大塚山古墳 板倉町大高嶋 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/08
  • 道明山古墳 板倉町岩田 - 週末は古墳巡り

    谷田川左岸の岩田地域で、船山古墳、筑波山古墳に先行する道明山古墳(どうみょうやまこふん)。 板倉町によると「筑波山古墳の東約900mの台地先端に所在する。周堀からの推定では全長39mの前方後円墳。現在、墳丘は後円部を残すだけ。形象、朝顔型、円筒埴輪などの埴輪が多量に採集。築造時期は6世紀後半頃で、谷田川左岸の岩田地区の中では最も古い。」 板倉町指定史跡 道明山古墳(どうみょうやまこふん) 指定 昭和五十年四月二十五日 谷田川の左岸側の台地縁辺に構築された前方後円墳です。現在前方部は壊滅していますが、全長30m、周堀を含めると33m、後円部経 24mになると推定されます。また後円部の現在の高さは3.2mになります。周堀は前方部の東隅が直角になる「片直角型周堀(かたちょっかくがたしゅうぼり)」を呈すると考えられます。 石室は紡錘状の軽石(浮石質角閃石安山岩)で構築されていたようですが、大きさが

    道明山古墳 板倉町岩田 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/06
  • 2024世田谷区遺跡発掘調査速報展 世田谷区立郷土資料館 - 週末は古墳巡り

    世田谷区立郷土資料館で開催された「2024世田谷区遺跡発掘調査速報展~最新の調査成果から」を鑑賞した。展は、令和5年度に行った遺跡の発掘・整理調査の成果を、出土品とパネルで紹介。 出品数100点程度 祖師谷大道北遺跡第10次調査出土縄文土器 六所東遺跡第5次調査出土縄文土器、埴輪 下野毛遺跡第17次調査出土縄文土器、埴輪 上神明遺跡第7・17次調査出土縄文土器・石器など 会期は6月23日まで。 2024世田谷区遺跡発掘調査速報展~最新の調査成果から(世田谷区立郷土資料館) | 世田谷区ホームページ 【写真ニュース5月10日号発行】1面では、等々力渓谷のたけのこ掘りに参加した元気いっぱいの子どもたちの様子をお伝えしています!2面では、開催中の遺跡発掘調査速報展や伊藤潤二初の大規模個展のほか、羽根木公園を彩るつつじをぜひご覧ください! #世田谷 #写真ニュース https://t.co/32

    2024世田谷区遺跡発掘調査速報展 世田谷区立郷土資料館 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/03
  • 斗合田愛宕様古墳 明和町斗合田 - 週末は古墳巡り

    次に明和町斗合田(とごうだ)の斗合田愛宕様古墳を訪れた。文献[2]によるとすぐ北に斗合田薬王寺古墳があった。「マッピングぐんま」だと1枚目の写真中央の斗合田集落センターの位置が斗合田薬王寺古墳となっている(現況は宅地)。 明和町の文化財と歴史 群馬県邑楽郡明和町 斗合田愛宕様古墳 | 古墳探訪記 「明和町の文化財と歴史」によると「斗合田には、斗合田稲荷塚古墳があり、昭和29年7月に群馬大学史学研究室が発掘調査をした結果、7世紀後半、古墳時代末期の横穴式石室を持つ古墳と判明した。古墳内からは盗掘され た残りの品と思われる遺物が発見されていたが、町の開発行為に伴い、令和2年に撤去された。」とのこと。 文献 [1]  藤村クレスト株式会社 2021 『斗合田稲荷塚古墳』群馬県邑楽郡明和町教育委員会 [2] 公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2023 『群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書7

    斗合田愛宕様古墳 明和町斗合田 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/01
  • 江黒古墳 明和町上江黒 - 週末は古墳巡り

    利根川左岸の自然堤防上に立地する群馬県明和町の江黒古墳を訪れた。径約10mの円墳。江黒古墳の北西約500mの上江黒遺跡では、2021年の発掘調査で古墳時代の集落の存在がわかった。 明和町指定史跡 江黒古墳 昭和五十六年四月七日指定 所在地 上江黒五五一番地 所有者 長良神社 この古墳は、径約10m、高3mの円墳である。 昭和五十六年に実施した周濠部分の発掘調査により、七世紀後半のものであることが確認されている。 古墳は、三世紀末から七世紀末にかけての期間築造されている。 平成二年九月 明和町教育委員会 麦畑 古代からの悠久の歴史文化/明和町公式ホームページ 明和町の文化財と歴史 公益財団法人 群馬県埋蔵文化財調査事業団 | 上江黒遺跡(かみえぐろいせき) 公益財団法人 群馬県埋蔵文化財調査事業団 | 上江黒遺跡(かみえぐろいせき) 群馬県邑楽郡明和町上江黒 江黒古墳 | 古墳探訪記 文献

    江黒古墳 明和町上江黒 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/31
  • 東武伊勢崎線のガード 羽生市本川俣 - 週末は古墳巡り

    「気まぐれ散歩in永明寺古墳」の後は、羽生市や加須市の古墳巡りのつもりでいたが、急に利根川対岸(左岸)の古墳が気になり予定変更。ナビは東北自動車道で利根川橋を渡ることを薦めるが、無課金を選択して国道122号の昭和橋を渡るルートを選択。利根川右岸を並走する埼玉用水路沿いの道を西進すると目の前に東武伊勢崎線の煉瓦造の橋台。 東武伊勢崎線の煉瓦構造物 にほんブログ村

    東武伊勢崎線のガード 羽生市本川俣 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/30
  • 御廟塚古墳 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り

    御廟塚(みびょうづか)古墳は、「永明寺古墳保存活用計画(改訂版)」(令和2年5月、羽生市教育委員会)によれば「前方後円墳とされるが、未調査で、埋没している部分も多く、その規模は不明。景行天皇55年に東山道15か国の都督に任命されて赴任した豊城入彦(とよきいりひこ)の孫の彦狭島王(ひこさしまおう)が埋葬されたとする伝承が残る」、文献[2]によれば「前方後円墳、馬具、陶棺、天井石民家にあり」、文献[3]によれば「填長推定60m」「 <その他> 古墳の中央を北方用水が通り、南北に分断された。後円部削平、前方部のみ残存、計測不能」「 <主体部>位置:後円部、室:横穴式石室?、乱掘:1880年開墾のため発掘、石室の天井石である幅約1.2m・長2.1mの緑泥片岩を発見」「<副葬品>馬具:轡」 埼玉用水路とナガミヒナゲシ 利根川と東北自動車道の利根川橋 「永明寺古墳保存活用計画(改訂版)」(令和2年5月

    御廟塚古墳 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/29
  • 稲荷塚古墳 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り

    「気まぐれ散歩in永明寺古墳」の前に村君古墳群の稲荷塚古墳と御廟塚(みびょうづか)古墳とを巡った。稲荷塚古墳は 「永明寺古墳保存活用計画(改訂版)」(令和2年5月、羽生市教育委員会)によれば径20mの円墳。文献[1]によれば「円墳、規模不詳、埴輪、墳丘上に鷲宮神社」 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 37 稲荷塚古墳, 38 永明寺古墳, 40 御廟塚古墳 にほんブログ村

    稲荷塚古墳 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/28
  • 第17回村君あおぞら市場in永明寺 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り

    「気まぐれ散歩in永明寺古墳」の前後に、隣の会場で盛り上がっていた「第17回村君あおぞら市場in永明寺」も楽しんだ。焼きそばがなんと200円。 村君公民館 | 羽生市 村君公民館だより 2024年5月号 いがまんちゃんとムジナもん いがまんちゃん | 羽生市 ムジナもん | 羽生市 にほんブログ村

    第17回村君あおぞら市場in永明寺 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/27
  • 気まぐれ散歩in永明寺古墳 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り

    5月12日に埼玉県羽生市で開催されたイベント「気まぐれ散歩in永明寺古墳」に参加した。 県指定史跡永明寺古墳(ようめいじこふん)を歩いて、市職員が見どころを紹介。 古墳から出土した実物の埴輪も解説。埴輪は周溝の発掘調査で出土したもの。このイベントは今年で17回目となる「村君あおぞらいちin永明寺」の開催に合わせて実施された。10時からのイベントの前に、付近の古墳と、永明寺古墳を一人でまわって予習した。あとで気がついたが、イベントの参加者が写った写真が一枚もない。永明寺古墳は、文献[1]によると「前方後円墳、全長78m、直刀・刀子・鉄鏃・甲冑・鋸・馬具・耳環・埴輪、竪穴式石室」 永明寺 ③永明寺古墳(ようめいじこふん) (記念物 史跡 埼玉県指定第540号 平成27年3月13日) 墳丘長約78メートル、高さ約7メートルの前方後円墳で、古墳時代後期の埼玉県北東部を代表する古墳です。南西約12キ

    気まぐれ散歩in永明寺古墳 羽生市下村君 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/26
  • 小松1号古墳 羽生市小松 - 週末は古墳巡り

    羽生市の「街の中に古墳があるまち」に紹介されている埋没古墳の小松古墳群の1号墳を訪ねた。埋没古墳なので、現地を訪れても墳丘が見つかるわけではない。墳丘も地面の下に埋まっている。場所は、小松神社の西隣。 1979年の下水道工事中に地表下1.2mから主体部(石室)が発見され小松1号古墳として発掘調査が行われた。石室の棺床面は約3mの深さ、胴張り複室構造の横穴式石室でほぼ南に開口、 床から鉄刀や装身具類が出土。7世紀前葉と考えられる。小松古墳群は、関東造盆地運動での沈降と河川の氾濫土の被覆で、その多くが埋没していると考えられる。文献[3]では「小松古墳、円墳、自然堤防・畑、直刀・鉄鏃・耳環・玉、埋没古墳、横穴式石室」 小松神社 街の中に古墳があるまち | 羽生市 小松古墳群1号墳出土品 文化遺産オンライン 埼玉県羽生市小松 小松神社古墳 | 古墳探訪記 埋没古墳の石室が見つかった下水道工事の場所

    小松1号古墳 羽生市小松 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/25
  • 発掘された弥生時代 杉並区立郷土博物館分館 - 週末は古墳巡り

    杉並区立郷土博物館分館で開催された企画展「発掘された弥生時代」を会期終了間際に鑑賞した。また、この日に実施された学芸員による展示解説にも参加した。展では、大宮遺跡・鎌倉橋上遺跡・方南町峰遺跡群などの発掘調査成果をもとに、弥生時代の生活や葬送について紹介する。杉並区内では、これまで弥生時代の遺跡はあまり注目されていなかったが、近年の発掘調査により、弥生時代を代表する遺構である環濠集落や方形周溝墓が発見され、区内の弥生時代の様子が明らかになってきたとのこと。弥生時代を題材にした展示は区内初。大宮遺跡の方形周溝墓から出土した遺物が一堂にそろうのは発掘調査依頼54年ぶり。 杉並区立郷土博物館|杉並区公式ホームページ 考古資料|杉並区公式ホームページ 施設案内 和田堀公園|杉並区公式ホームページ 和田堀公園・大宮遺跡方形周溝墓出土遺物|杉並区公式ホームページ 鎌倉橋上遺跡D地点住居跡出土遺物|杉並

    発掘された弥生時代 杉並区立郷土博物館分館 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/24
  • 京成本線のガード 船橋市海神 - 週末は古墳巡り

    京成線の海神駅と京成船橋駅の間の2か所にある煉瓦造のガードを探索。 一つ目のガード 2つ目のガード 京成線レンガガード(船橋市)2 : Anthology -まちの記憶- 海神駅から海神小学校を訪ねて - Deepランド にほんブログ村

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    k10no3 2024/05/22
  • 長南町郷土資料館と寛永寺の石燈籠 - 週末は古墳巡り

    米満横穴墓群の探索の前に長南町郷土資料館に立ち寄った。米満横穴墓群出土の玉類、耳管、鉄鏃、須恵器などを展示。その他、能満寺古墳と能満寺裏遺跡の展示、根畑遺跡出土子持勾玉など見どころ豊富。 長南町郷土資料館 寛永寺の石燈籠 寛永寺の石灯籠 (寄贈 東京都 田中康弘氏) この石灯籠は、徳川将軍家の菩提寺・東京上野の寛永寺に建てられていたもので、高さは一丈(約3m)を測ります。 昭和27(1957)年に寛永寺から田中泉氏が譲り受け、平成18(2006)年に当館に寄贈されました。 銘文にある「文恭院殿」とは江戸幕府第十一代将軍家斉(1773〜1841)の法名であり家斉の死去に際し、天保12(1841)年、讃岐国丸亀(香川県丸亀市)藩主京極高朗(1798〜1874)によって、この石灯籠が奉献されました。 長南町郷土資料館 長南町公式ホームページ 寛延4年(1751年)の寛永寺灯籠が江戸東京たてもの園

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    k10no3 2024/05/18
  • 米満横穴墓群Ⅳ-1,2小支群 長南町米満 - 週末は古墳巡り

    米満横穴墓群の続き。 横穴墓を探索する探検隊。 米満横穴墓群Ⅳ-1小支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-1小支群の2基目 米満横穴墓群Ⅳ-2小支群の1基目 米満横穴墓群Ⅳ-2小支群の2基目 今回の米満横穴墓群の探索はここまで にほんブログ村

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    k10no3 2024/05/17
  • 徳増下谷横穴墓群(その1) 長柄町徳増 - 週末は古墳巡り

    史跡長柄横穴墓群資料館の南側に位置する徳増下谷横穴墓群を探索。長柄町の遺跡番号149の「横穴墓 12基」で、東からアプローチした順番に1〜12号墓と仮に呼称する。 徳増下谷横穴墓群(仮)2号墓(左)と(仮)1号墓(右) 徳増下谷横穴墓群(仮)1号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)2号墓 徳増下谷横穴墓群(仮)3号墓 埋蔵文化財 - 長柄町 徳増下谷横穴墓群【千葉県長柄町】 長柄横穴墓群南側の尾根に残るのがこちらの横穴墓群です。未整備かつ無名ながら、国指定史跡である長柄横穴墓群にも引けを取らない素晴らしい横穴墓の数々。 内部は家形をしたものが多い印象でした。中には側壁に複室?の付く特徴的な横穴墓(3枚目)も。 pic.twitter.com/QlogQSc8M0 — ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2024年4月6日 にほんブログ村

    徳増下谷横穴墓群(その1) 長柄町徳増 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/13