ブックマーク / kofunmeguri.hatenablog.com (321)

  • 丸塚山古墳 伊勢崎市三和町 - 週末は古墳巡り

    女堀の前に丸塚山古墳を訪れた。 伊勢崎市によると「 丸塚山古墳は、主軸を南北におく墳丘の全長が81メートルの帆立貝式古墳で、5世紀後半に築造されたと考えられる。昭和30年(1955)に群馬大学史学研究室による発掘調査が行われ、後円部に墳丘主軸とほぼ平行して3基の組み合わせ式箱形石棺が発見され、葺石や埴輪片の存在も確認される。」、丸塚山古墳リーフレットによると「昭和13年に刊行された『上毛古墳総覧』では、丸塚山古墳の記述で『緑泥片岩製の長持形石棺アリ』と記載され」3号石棺は「石材の一部が残っているだけ」だが「王者の棺」と呼ばれる長持形石棺の可能性があり「お富士山古墳に後続する有力者の墓の可能性は高い」と思われる。 狐の巣穴? 丸塚山古墳/伊勢崎市 丸塚山古墳リーフレット(PDFファイル:4.7MB) にほんブログ村

    丸塚山古墳 伊勢崎市三和町 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/07/21
  • 女堀 伊勢崎市東大室町 - 週末は古墳巡り

    現地説明会の前に国指定史跡 女堀を見学した。 国指定史跡 女堀(東大室地区下神沢地点) 所在地 前橋市東大室町 指定年月日 昭和58年10月27日 女堀(おんなぼり)は前橋市上泉町から伊勢崎市田部(旧東村国定)までの約13kmにわたって、上幅15〜30m.、深さ3〜4mの規模で掘られた長大な農業用水路である。発掘調査では12世紀中頃に掘られたが、工事中断により未完成であったことが分かった。開削の目的は旧佐郡一帯に立荘された淵名荘の開発に伴う農業用水の確保であったといわれている。地区は一部で発掘調査されている。標高が高いことから上報30mで掘削深度も4.5mと深い。 掘削排土の下から畑跡が見つかり、 女堀の開削以前は畑作地帯であったことが分かった。また女堀の底面では小間割という掘削工程の最小区割りが、外側では掘削された排土をモッコで担ぎ出した作業道などが見つかり、女堀の開削方法などが復元で

    女堀 伊勢崎市東大室町 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/07/20
  • 下侍塚古墳 (再訪) 大田原市湯津上 - 週末は古墳巡り

    下侍塚古墳を再訪した。 国指定史跡 下侍塚古墳 (しもさむらいづかこふん) 下侍塚古墳は、那珂川右岸の段丘上に位置する前方後方墳で、那須地方の6基の前方後方墳のなかでは上侍塚古墳に次ぐ規模である。 墳は、元禄5年(1692)、徳川光圀の命により小口村(那珂川町小口)の庄屋であった大金重貞らが上侍塚古墳とともに発掘調査を行なっている。鏡・鎧片・鉄刀片・大刀柄頭・土師器壺・同高坏などが出土したが、これらは、絵図にとるなど調査結果を記録したうえで松板の箱に収め、埋め戻している。 さらに墳丘の崩落を防ぐために松を植えるなどの保存整備も行なわれた。これら調査と調査後の遺跡の処置は、日考古学史上特筆されるものである。 昭和50年には土地改良事業にともなう周濠調査が湯津上村教育委員会により行なわれた。その結果、古墳の規模、周濠の形状や葺石などが確認され、墳丘から崩落したと考えられる土師器壺などが出土

    下侍塚古墳 (再訪) 大田原市湯津上 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/07/15
  • 中央改札(YOSTAR改札) JR秋葉原駅 - 週末は古墳巡り

    もう7月なのに今更だが、3月頃、JR秋葉原駅の中央改札口の先が工事中で何が出来るのかと思っていたら。。。 3月中旬頃 翌日 3月下旬 4月上旬 Yostar OFFICIAL SHOP JR秋葉原駅店 4月1日よりYostarがジャック展開 秋葉原駅中央改札の改札口入口標等が 「中央改札(Yostar改札)」に! 株式会社Yostar 自分達の実力だけで成功したわけじゃない。だからいまのうちにもっと会社を強くしないと――アズールレーン,アークナイツ……立て続けにヒットを飛ばすパブリッシャ「Yostar」の若き社長は語る 【インタビュー】Yostar創業者 会社の為に家を売る!アークナイツ開発元出資の経緯は? | 中国ゲーム語情報サイト[ゲーム大陸] なるほど、ゲーム運営会社のヨースターが秋葉原駅前(徒歩1分)の住友不動産秋葉原駅前ビルに入居しているので、最寄り駅の改札口をジャックした

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    k10no3 2024/07/10
  • 「貝塚の骨から見る縄文時代のくらし」 明治大学博物館 - 週末は古墳巡り

    明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション58「貝塚の骨から見る縄文時代のくらし」を鑑賞した。貝塚は捨てられた貝殻などが長期間にわたり層になった遺跡で、貝塚は名前の通り貝類で主に構成されるが、通常の遺跡であれば残りにくい動物の骨や、これらの骨・角・歯で作られた道具(骨角器)も多数出土する。展示では骨や骨角器に注目し、当時の人々の活動を紐解く。 明大コレクション58 「貝塚の骨から見る縄文時代のくらし」開催のお知らせ | 明治大学 考古部門コレクション展「貝塚の骨から見る縄文時代のくらし」が日始まりました!貝塚では通常の遺跡であれば残りにくい動物の骨や、これらの骨・角・歯で作られた道具(骨角器)も多く見つかっています。展示では骨や骨角器に注目し、当時の人々のくらしを紐解いていきます。#明治大学博物館 pic.twitter.com/bvTZDxdMLf — 明治大学博物館(M

    「貝塚の骨から見る縄文時代のくらし」 明治大学博物館 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/07/08
  • 岩鼻二子山古墳の石棺 東京国立博物館 - 週末は古墳巡り

    東京国立博物館に行くたびに、遠目で確認するバックヤードの石棺。立ち入り禁止エリアにあるので見学できないのが残念。群馬県高崎市の岩鼻二子山古墳の石棺(J-8278)、宮城県仙台市の一塚古墳出土の石棺(J-20055)、福井県福井市の小山谷古墳出土の石棺(J-5017)など。以前は、東洋館の軒下で野外展示されていた(埼群古墳館別館)。 国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構(QTS) 高崎量子応用研究所の『高崎研だより』第5号の「高崎研歴史探訪〜その1古墳編〜」によれば、岩鼻二子山古墳の石棺は「以前は、東洋館の軒下に展示されていたそうですが、現在はバックヤードで保管中とのこと。特別にお願いして見せていただきました。砂岩でできた全長253cm、 幅148cmの舟形石棺で、古墳時代 5世紀頃のものとされています。」、バックヤードの石棺のうち中央に並ぶ石棺の身と蓋が岩鼻二子山古墳の石棺とのこと。

    岩鼻二子山古墳の石棺 東京国立博物館 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/07/06
  • 「令和5年度特別史跡加曽利貝塚発掘速報展」 千葉市立加曽利貝塚博物 - 週末は古墳巡り

    千葉市立加曽利貝塚博物で開催された「令和5年度特別史跡加曽利貝塚発掘速報展」を鑑賞した。展は、 最新の調査研究成果として、令和5年度から開始した北貝塚の発掘調査について、昭和37・41年の発掘調査の成果と合わせて展示する。会期は日(6月30日)まで。 千葉市:令和5年度特別史跡加曽利貝塚発掘速報展の開催について 久しぶりに加曽利貝塚博物館を訪問して、令和5年度発掘調査速報展を観覧しました。土偶をはじめとする発掘遺物とともに、加曽利貝塚と集落の発達史に関連するパネル展示も充実していて、自分の問題意識を深めることができました。https://t.co/cVqkqQaYuC pic.twitter.com/pL32KIcJav — 荒木 稔 (@cooler0331) 2024年5月29日 日考古学協会研究発表関連展示 千葉市:日考古学協会研究発表関連展示について 今日は娘の買い物に付き

    「令和5年度特別史跡加曽利貝塚発掘速報展」 千葉市立加曽利貝塚博物 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/30
  • 発掘された日本列島2024 千葉県立中央博物館 - 週末は古墳巡り

    千葉県立中央博物館で開催中の巡回展「発掘された日列島2024」を鑑賞した。平成7年度から始まった展は、今年度で30回目の開催。千葉県立中央博物館での開催は16年ぶり3回目。今回は「我がまちが誇る遺跡」として北海道・今金町、北海道・余市町、群馬県・藤岡市の3地域に焦点を当てる展示と、「新発見考古速報」として遺跡発表会「発掘された関東の遺跡2024」で発表のあった5遺跡の他、北海道の美々4遺跡、福島県の墓科遺跡、奈良県の菅原遺跡、宮城県の穴田東窯跡・薬師堂東遺跡、神奈川県の六ノ域遺跡の10遺跡を紹介する。また、「地域展」では、令和3年度に寄贈された千葉県指定有形文化財「半円方格帯神獣鏡」(大多喜 台古墳群鏡)を初公開。 地域展「大多喜 台古墳群の鏡がうつし出す時代」 特集「洞窟・岩陰遺跡、その多様な世界」 「発掘された日列島2024」展の開催のお知らせ | 文化庁 令和6年度文化庁合同特

    発掘された日本列島2024 千葉県立中央博物館 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/29
  • 東富田稲荷山古墳 本庄市東富田 - 週末は古墳巡り

    東富田古墳群を散策。2基目は東富田稲荷山古墳。文献[1]によると「東富田稲荷山古墳、円墳、径30m」、庄早稲田の杜ミュージアムのミニ企画「ミュージアム周辺の古墳」のパネルでの名称は「元富古墳」だった。 120公卿塚古墳趾, 121元富東古墳, 122西原古墳, 123〜127 遺跡名の記載なし(東富田稲荷山古墳は124) 元富東古墳-熊野十二社神社古墳-元富古墳【埼玉県庄市】 - ぺんの古墳探訪記 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

    東富田稲荷山古墳 本庄市東富田 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/25
  • 寒念仏供養塔古墳 本庄市今井 - 週末は古墳巡り

    庄市の今井の古墳群を散策。3基目は寒念仏供養塔古墳。文献[1]によると「円墳、径8m、地ぶくれ状」 寒念仏供養塔古墳-薬師堂古墳-No.126古墳【埼玉県庄市】 - ぺんの古墳探訪記 埼玉県庄市今井 寒念仏供養塔古墳 | 古墳探訪記 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

    寒念仏供養塔古墳 本庄市今井 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/23
  • 薬師堂古墳 本庄市今井 - 週末は古墳巡り

    庄市の今井の古墳群を散策。2基目は薬師堂古墳。文献[1]によると「円墳、径14m」 寒念仏供養塔古墳-薬師堂古墳-No.126古墳【埼玉県庄市】 - ぺんの古墳探訪記 埼玉県庄市今井 薬師堂古墳・№126古墳 | 古墳探訪記 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

    薬師堂古墳 本庄市今井 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/22
  • 平重衡の首塚 本庄市児玉町蛭川 - 週末は古墳巡り

    金鑚神社古墳から北西に徒歩約15分の駒形神社の隣の釈迦堂墓地にある庄市指定文化財の平重衡の首塚を訪れた。平重衡(しげひら)は平清盛の五男、治承4年(1180年)12月、清盛の命により南都焼打、 寿永3年(1184年)2月の一ノ谷の戦いで平氏は源範頼・義経の鎌倉源氏軍に大敗を喫し、敗軍の中、重衡は馬を射られて捕らえられた。庄市によると「一の谷の合戦で児玉党の庄四郎高家に生け捕られた重衡は鎌倉に送られて源頼朝に面会した後、南都の僧兵に引き渡されました。その後、処刑された重衡の首を、庄高家は自分の領地蛭河郷に持ち帰り、手厚く供養したといわれています。蛭川の駒形神社の隣の釈迦堂墓地にあります。」 庄市指定文化財 平重衡の首塚 この地は、一の谷の合戦の後、捕らえられた平重衡の首を児玉党の蛭河庄四郎高家がこの地へ持ち帰り供養した首塚であると伝えられている。 伝 三位 中将 平重衡卿首塚 昭和六

    平重衡の首塚 本庄市児玉町蛭川 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/20
  • 蛇喰古墳 深谷市岡 - 週末は古墳巡り

    庄早稲田の杜ミュージアムで企画展を鑑賞する前に深谷市の蛇喰古墳に立ち寄った。文献[2]によると蛇喰古墳は「径20mを測る円墳で、白山古墳群中唯一現存する古墳である」「白山古墳群は6世紀以降の築造と推定される古墳群で、白山遺跡の北西に展開する。(白山遺跡の)2次調査において、24基が検出された。」、文献[1]によると「円墳、径25m、埴輪」 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 深谷市教育委員会 2011 『埼玉県深谷市埋蔵文化財発掘調査報告書124:白山遺跡Ⅳ』深谷市教育委員会 にほんブログ村

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    k10no3 2024/06/18
  • 「中国鏡」 明治大学博物館 - 週末は古墳巡り

    明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション57「中国鏡」を鑑賞した。明治大学博物館考古部門の代表的なコレクションのひとつである中国鏡。 戦国代から隋唐代までの中国鏡40面を展示し、鏡の形状や文様の変遷をご紹介する。会期は2024年4月22日(月)から6月22日(土)まで。 明大コレクション57「中国鏡」開催のお知らせ | 明治大学 考古部門コレクション展「中国鏡」が日始まりました! 戦国代から隋唐代までの中国鏡40面を展示し、鏡の形状や文様の変遷をご紹介いたします。 ぜひご覧ください!https://t.co/Jf8fFuXFly#明治大学博物館 pic.twitter.com/IvVyiOp8gk — 明治大学博物館(Meiji University Museum) (@meiji_museum) 2024年4月22日 2022年3月22日(火)から5月24日(火)に開催され

    「中国鏡」 明治大学博物館 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/15
  • 稲荷神社古墳 板倉町大高嶋 - 週末は古墳巡り

    稲荷神社古墳は、板倉町によると「墳頂部には稲荷神社の社と鳥居が建っている。周堀の一部が確認されているが、墳形は明らかになっていない。おそらく30m前後の古墳になると考えられる。埴輪は僅か1片が見つかっている。石室は浮石質角閃石安山岩の河原石で造られている。築造時期は6世紀後半と考えられる。」 板倉町指定史跡 稲荷神社古墳 (『上毛古墳綜覧』大箇野村第一号墳) 昭和50年4月25日 指定 昭和62年周堀確認調査の結果、円墳であることが確認されています。大きさ等は明らかでありませんが、径約30m、高さ約2mの古墳になると推定されます。 石室の床面には榛名山二ツ岳産出の浮石質角閃石安山岩(河原石)が敷き詰められています。この石材は利根川流域の古墳(横穴式石室)とくに谷田川両岸の石室に使用されている特徴的な石です。 構築時期は、出土遺物が少ないため明確ではありませんが、6世紀後半頃と見られます。

    稲荷神社古墳 板倉町大高嶋 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/09
  • 大塚山古墳 板倉町大高嶋 - 週末は古墳巡り

    次に板倉町大高嶋の大塚山古墳と稲荷神社古墳を訪れた。 大塚山古墳は、板倉町によると「墳形は方墳の可能性もあるが、明らかでない。地下レーダー探査の結果、周堀および堅穴式石室の存在が考えられる。時期など詳細なことは確認されてきない。」 板倉町指定史跡 大塚山古墳(大箇野二号墳) 板倉町大字大高嶋1732 昭和50年4月25日指定 大塚山古墳は「上毛古墳総覧」によると円墳とされ、七世紀ごろ築造されたものと考えられています。 墳丘部は直径約7m、高さ約2.5mで、かなり良好な状態で遺されています。 谷田川下流域の古墳群として、六世紀代に岩田の舟山古墳、道明山古墳が築造され、次いで筑波山古墳が築造されました。 七世紀に入り、松ノ木古墳(飯野—消滅—)、大塚山古墳、稲荷神社古墳(高鳥)が築造されました。 この大塚山古墳は出土品が全くなく、発掘に関する伝承もないため、完全な形で石室が遺されている可能性が

    大塚山古墳 板倉町大高嶋 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/08
  • 道明山古墳 板倉町岩田 - 週末は古墳巡り

    谷田川左岸の岩田地域で、船山古墳、筑波山古墳に先行する道明山古墳(どうみょうやまこふん)。 板倉町によると「筑波山古墳の東約900mの台地先端に所在する。周堀からの推定では全長39mの前方後円墳。現在、墳丘は後円部を残すだけ。形象、朝顔型、円筒埴輪などの埴輪が多量に採集。築造時期は6世紀後半頃で、谷田川左岸の岩田地区の中では最も古い。」 板倉町指定史跡 道明山古墳(どうみょうやまこふん) 指定 昭和五十年四月二十五日 谷田川の左岸側の台地縁辺に構築された前方後円墳です。現在前方部は壊滅していますが、全長30m、周堀を含めると33m、後円部経 24mになると推定されます。また後円部の現在の高さは3.2mになります。周堀は前方部の東隅が直角になる「片直角型周堀(かたちょっかくがたしゅうぼり)」を呈すると考えられます。 石室は紡錘状の軽石(浮石質角閃石安山岩)で構築されていたようですが、大きさが

    道明山古墳 板倉町岩田 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/06
  • 2024世田谷区遺跡発掘調査速報展 世田谷区立郷土資料館 - 週末は古墳巡り

    世田谷区立郷土資料館で開催された「2024世田谷区遺跡発掘調査速報展~最新の調査成果から」を鑑賞した。展は、令和5年度に行った遺跡の発掘・整理調査の成果を、出土品とパネルで紹介。 出品数100点程度 祖師谷大道北遺跡第10次調査出土縄文土器 六所東遺跡第5次調査出土縄文土器、埴輪 下野毛遺跡第17次調査出土縄文土器、埴輪 上神明遺跡第7・17次調査出土縄文土器・石器など 会期は6月23日まで。 2024世田谷区遺跡発掘調査速報展~最新の調査成果から(世田谷区立郷土資料館) | 世田谷区ホームページ 【写真ニュース5月10日号発行】1面では、等々力渓谷のたけのこ掘りに参加した元気いっぱいの子どもたちの様子をお伝えしています!2面では、開催中の遺跡発掘調査速報展や伊藤潤二初の大規模個展のほか、羽根木公園を彩るつつじをぜひご覧ください! #世田谷 #写真ニュース https://t.co/32

    2024世田谷区遺跡発掘調査速報展 世田谷区立郷土資料館 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/03
  • 斗合田愛宕様古墳 明和町斗合田 - 週末は古墳巡り

    次に明和町斗合田(とごうだ)の斗合田愛宕様古墳を訪れた。文献[2]によるとすぐ北に斗合田薬王寺古墳があった。「マッピングぐんま」だと1枚目の写真中央の斗合田集落センターの位置が斗合田薬王寺古墳となっている(現況は宅地)。 明和町の文化財と歴史 群馬県邑楽郡明和町 斗合田愛宕様古墳 | 古墳探訪記 「明和町の文化財と歴史」によると「斗合田には、斗合田稲荷塚古墳があり、昭和29年7月に群馬大学史学研究室が発掘調査をした結果、7世紀後半、古墳時代末期の横穴式石室を持つ古墳と判明した。古墳内からは盗掘され た残りの品と思われる遺物が発見されていたが、町の開発行為に伴い、令和2年に撤去された。」とのこと。 文献 [1]  藤村クレスト株式会社 2021 『斗合田稲荷塚古墳』群馬県邑楽郡明和町教育委員会 [2] 公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2023 『群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書7

    斗合田愛宕様古墳 明和町斗合田 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/06/01
  • 江黒古墳 明和町上江黒 - 週末は古墳巡り

    利根川左岸の自然堤防上に立地する群馬県明和町の江黒古墳を訪れた。径約10mの円墳。江黒古墳の北西約500mの上江黒遺跡では、2021年の発掘調査で古墳時代の集落の存在がわかった。 明和町指定史跡 江黒古墳 昭和五十六年四月七日指定 所在地 上江黒五五一番地 所有者 長良神社 この古墳は、径約10m、高3mの円墳である。 昭和五十六年に実施した周濠部分の発掘調査により、七世紀後半のものであることが確認されている。 古墳は、三世紀末から七世紀末にかけての期間築造されている。 平成二年九月 明和町教育委員会 麦畑 古代からの悠久の歴史文化/明和町公式ホームページ 明和町の文化財と歴史 公益財団法人 群馬県埋蔵文化財調査事業団 | 上江黒遺跡(かみえぐろいせき) 公益財団法人 群馬県埋蔵文化財調査事業団 | 上江黒遺跡(かみえぐろいせき) 群馬県邑楽郡明和町上江黒 江黒古墳 | 古墳探訪記 文献

    江黒古墳 明和町上江黒 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2024/05/31