金鑚神社古墳から北西に徒歩約15分の駒形神社の隣の釈迦堂墓地にある本庄市指定文化財の平重衡の首塚を訪れた。平重衡(しげひら)は平清盛の五男、治承4年(1180年)12月、清盛の命により南都焼打、 寿永3年(1184年)2月の一ノ谷の戦いで平氏は源範頼・義経の鎌倉源氏軍に大敗を喫し、敗軍の中、重衡は馬を射られて捕らえられた。本庄市によると「一の谷の合戦で児玉党の庄四郎高家に生け捕られた重衡は鎌倉に送られて源頼朝に面会した後、南都の僧兵に引き渡されました。その後、処刑された重衡の首を、庄高家は自分の領地蛭河郷に持ち帰り、手厚く供養したといわれています。蛭川の駒形神社の隣の釈迦堂墓地にあります。」 駒形神社 第50回伊勢神宮式年遷宮記念 駒形神社 御由緒 本庄市児玉町蛭川二一四 □ 御縁起(歷史) 当地は、児玉党蛭川氏の本貫地とされ「児玉党系図」では摂津一ノ谷合戦で戦功のあった庄四郎高家の子定重
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