ブックマーク / o212hiroba.hatenablog.com (119)

  • ■ - 「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った

    13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在) 城郭および武家屋敷などについては実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。 近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。 なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。 [3] 山形県④ 米沢市 《 米 沢 城 》 2018.06.06 米沢城址に鎮座する上杉神社…米沢市 2018.06.06 米沢城址に鎮座する上杉神社…米沢市 2018.06.06 米沢城…米沢市 2018.06.06 米沢城…米沢市 2018.06.06 米沢城…米沢市 2018.06.06 米沢城。橋は菱門橋…米沢市 2018.06.06 米沢城…米沢市 2018.06.

    ■ - 「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った
    k10no3
    k10no3 2024/07/24
  • ■ - 「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った

    13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在) 城郭および武家屋敷などについては実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。 近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。 なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。 [4] 山形県③ 新庄市 《 新 庄 城 》 2016.06.30 新庄城絵図…新庄市 2016.06.30 新庄城跡に鎮座する戸澤神社…新庄市 2016.06.30 新庄城…新庄市 2016.06.30 新庄城…新庄市 2016.06.30 新庄城…新庄市

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    k10no3 2024/07/23
  • ■ - 「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った

    13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在) 城郭および武家屋敷などについては実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。 近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。 なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。 [4] 山形県② 酒田市 《 松 山 城 》 この城について彼は全く知らなかったが、酒田から太平洋に抜けるコースを計画している際にたまたま知ったらしい。 彼は「大手門が山形県の指定文化財になっていたので寄って見たが、来て良かった」と話していた。 1996.10. 松山城々門…酒田市 1996.10. 松山城々門…酒田市 1996.10. 松山城々門…酒田市 1996.10. 松

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    k10no3 2024/07/22
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    13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在) 城郭および武家屋敷などについては実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。 近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。 なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。 [3] 秋田県④ 由利荘市 《 荘 城 》 この城は土塁と堀で守りを固めた「土塁の城」との事で、石垣、天守も無かったそうです。 2016.07.01 荘城…由利荘市 2016.07.01 荘城…由利荘市 2016.07.01 荘城…由利荘市 2016.07.01 荘城…由利荘市 2016.07.01 荘城…由利荘市 2016.07.01 荘城…由利

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    k10no3 2024/07/18
  • ■ - 「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った

    13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在) 城郭および武家屋敷などについては実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。 近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。 なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。 [3] 秋田県② 仙北市角館町 《 角館の武家屋敷 》 私達はこの町を2回、彼は家族や友人を案内して更に2回訪れており、「いつ来ても良い」と話している。 なお、彼は2回目に訪れた翌日に私が最期を迎えるとは予想だにしなかったと思う……。 1997.10. 角館の武家屋敷通り。左手は石黒家の塀と門…仙北市角館町 2019.06.10 角館の武家屋敷通り。左手は石黒家の塀と門…仙北市

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    k10no3 2024/07/16
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    13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在) 城郭および武家屋敷などについては実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。 近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。 なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。 [1] 北海道⑤ 函館市 《 四 稜 郭 》 四稜郭については、大間から函館に渡り南茅部に向かう道道100号線を走行中に案内標識が目に入り訪れたもので、彼はその存在はおろか名前さえ知りませんでした。 ちなみに、「平面からしか見れないため、全体はどの様な形かは分からなかった」と彼は話していました。 2015.07.06 四稜郭…函館市 2015.07.06 四稜郭…函館市 201

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    k10no3 2024/07/09
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    13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在) 城郭および武家屋敷などについては実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。 近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。 なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。 [1] 北海道④ 函館市 《 五 稜 郭 》2015年-2 「五稜郭は五稜郭タワーから見るべし」と彼がいつも話している眺めです。 ちなみに、彼のカメラでは五稜郭の規模が大きすぎて、全容は一枚の写真には入りませんでした。 なお、タワーから見た函館市も公開するそうです。 2015.07.07 五稜郭タワーから見る五稜郭…函館市 2015.07.07 五稜郭タワーから見る五稜郭…函館

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    k10no3 2024/07/08
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    13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在) 城郭および武家屋敷などについては実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。 近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。 なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。 [1] 北海道③ 函館市 《 五 稜 郭 》2015年-1 「五稜郭は五稜郭タワーから見るべし」と彼はいつも話していますが、タワーからの眺めを公開する前に、地上から見た姿を公開すると彼は言っています。 2015.07.07 五稜郭…函館市 2015.07.07 五稜郭…函館市 2015.07.07 五稜郭…函館市 2015.07.07 五稜郭…函館市 2015.07.07 五稜

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    k10no3 2024/07/05
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    13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在) 城郭および武家屋敷などについては実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。 近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。 なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。 [1] 北海道① 松前町 《 福 山 城(松前城) 》 1979年に初めて行った福山城。 この時は松前町に行く計画ではなく、福島から三厩に渡るフェリーが荒天のため欠航となったため松前町に向かい、上ノ国町との町境まで足を延ばしたもの。 2001年の再訪は奥尻島に渡島する際、1979年に行った上ノ国町との町境から先を走る事を主目的として木古内から海岸沿いを走る際に寄ったもの。 19

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    k10no3 2024/07/03
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    12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 なお、この文章については、はてなブログの別ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋して編集したものとなっているほか、その後に訪れた際の写真も加えています。。 [25] ニュージーランド⑤ 南島の3 スチュワート島 《 オーバン港 》 1976年1月2日 午前8時15分にブラッフ港を離れた「貨客船ワイルア」は、強い風の吹き荒れるフォーボー海峡(Foveaux Strait)を横切ってオーバンに到着。 10時10分に最終目的地であるオーバンの桟橋に足を降ろす。 下船と同時に、2人の男の人が「クラウン・レーンジで自転車を押し上げている あなたを見た」と言って話し掛けて来たので

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    k10no3 2024/05/04
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    12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 なお、この文章については、はてなブログの別ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋して編集したものとなっているほか、その後に訪れた際の写真も加えています。。 [25] ニュージーランド④ 南島の2 ブラッフ 《 ブラッフ港 》 1976年1月1日。 先ず、飛行機の予約をするためNACの支店に行くが、この日は閉店。 次いでG・T・B(Government Tourist Bureau)に行く。 ここも閉まっていたが、ドアにいろいろと貼ってある紙を見ると、スチュワート島へのフェリーは1日1便で、午前8時ジャストに出港というのが目に入った。 明日までフェリーは無いため先を急ぐ

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    k10no3 2024/05/03
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    12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 なお、この文章については、はてなブログの別ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋して編集したものとなっているほか、その後に訪れた際の写真も加えています。 [25] ニュージーランド③ 南島の1 ピクトン 《 ピクトン港 》 1975年12月19日。 ブライトウォーター(Brightwater)に帰ると言う人と話しているうちに、南島の入口となるピクトン(Picton)の町が見えて来る。 そして、ピクトン(Picton)の町は だんだんと大きくなってくる。 午後6時20分、南島のピクトンに上陸。 バス停には多くのパイプザックをかついだ旅行者がバスを待っている。こういう所は

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    k10no3 2024/05/02
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    12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 なお、この文章については、はてなブログの別ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋して編集したものとなっているほか、その後に訪れた際の写真も加えています。 [25] ニュージーランド② 北島の2 ウェリントン 《 ウェリントン港 》 1975年12月19日。 午前10時15分。 ルイスに見送られてオタキを出発。 無理だろうとは思うが、午後2時20分発のフェリーに乗る予定で首都のウェリントン(Wellington)に向かう。 国道1号線は、ポリルア(Porirua)で自然とモーターウェイになっていたため、今度は引き返して一時的に離れ、再び1号線に戻るとウェリントンだ。 「

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    k10no3 2024/05/01
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    12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県㉒ 与那国島 与那国町 この島も、彼が私を手にした時点で実行できるか否かは別に5つの目標を立てたうちの「民間人が行くことが可能な東西南北端に立つ」の西端に立った島であるため、彼はもちろん私も思い入れが強い。 初めて渡った1985年12月31日は飛行機を利用しての渡島だったが、この島も「どうしても船でも渡りたい」という気持ちが彼にはあり、私達は11年後の1997年2月に船で再訪した。 なお、港湾とは全く関係ありませんが、この島も彼のサイクリングに於いて「一回のみの貴重な体験」を1986年1月2~3日にさせていただいており、、当ブログの『5.特に印象に残っている全都道府県の思い出[25]沖縄県

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    k10no3 2024/04/29
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    12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑰ 竹富島(竹富町)、黒島(竹富町) 竹富町-1 ◎竹富島 竹富町竹富 初めて竹富島に降り立った時、地元のおばさんに声を掛けられ「こちらは暖かいですね」と言ったところ、「寒いよ~」と言われていた。 雪の積もる福井から来た、腕まくりをした登山服にニッカボッカ―姿の彼に対し、おばさんはダウンジャケットを着ていたにも関わらず寒そうだった。 なお、30年後の2010年に彼が社員を連れて訪れた際の写真も公開しますので、比較して見て下さい。 《  竹富東港  》 1980.12.30 竹富東港から見る石垣市…竹富町竹富 2010.06.28 竹富東港から見る石垣市…竹富町竹富 ※社員旅行にて 2010

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    k10no3 2024/04/24
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    12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑮ 石垣島-1 石垣市-1 《  石垣港  》 飛行機から見た港周辺と石垣市街をまとめて見ました。 1980.12.29 上空から見る石垣市街と石垣港…石垣市 1980.12.30 上空から見る石垣市街と石垣港…石垣市 1980.12.30 上空から見る石垣市街と石垣港…石垣市 1980.12.30 上空から見る石垣市街と石垣港…石垣市 1985.12.31 上空から見る石垣島市街と石垣港…石垣市 1988.01.29 石垣市上空から見る石垣港(左手)…石垣市

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    k10no3 2024/04/22
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    12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑭ 多良間島 多良間村 この島も彼が大好きな島。そして私も…… 私達は1988年1月に飛行機を利用して行きましたが、船でも行きたかった彼は28年後の2016年2月に私を連れて再訪しました。 《  普天間港(多良間港)  》 2016.02.26 「フェリーたらまゆう」から見る普天間港…多良間村 2016.02.26 「フェリーたらまゆう」から見る普天間港…多良間村 2016.02.26 「フェリーたらまゆう」から見る普天間港…多良間村 2016.02.26 「フェリーたらまゆう」に積載された私。低い方の穴部にいます…多良間村 2016.02.26 「フェリーたらまゆう」に積載された私…多良

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    k10no3 2024/04/21
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    12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑬ 伊良部島 宮古島市-5 伊良部島の玄関として活気があった当時。 そして、港にある「伊良部町離島振興総合センター」には『郡民一致!伊良部架橋で21世紀への道を拓こう』とのスローガンが掲げられていた。 あれから17年後に伊良部大橋は開通し、私達は翌年の2月、この橋を渡る事を目的に3度目の宮古島に渡りました。 彼は港湾ではありませんが、この目的を達成した時の写真も公開するそうです。 《  佐良浜港  》 1998.02.22 佐良浜港に接岸する宮古フェリー㈱の「うぷゆう」…宮古島市伊良部- 1998.02.22 佐良浜港に接岸する宮古フェリー㈱の「うぷゆう」…宮古島市伊良部 1998.02.

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    k10no3 2024/04/20
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    12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑫ 大神島-2、池間島、来間島、 宮古島市-4 ◎大神島-2 《  大神漁港  》-2 2016.02.28 大神漁港…宮古島市平良大神 2016.02.28 大神漁港。右手上に見えるのは大神小中学校跡のブロック塀…宮古島市平良大神 1998.02.24 大神海運の「ニューかりゆす」から見る大神漁港。右手の建物は大神小中学校…宮古島市平良大神 2016.02.28「スマヌかりゆす」から見る大神漁港 2016.02.28「スマヌかりゆす」から見る大神漁港 1998.02.24大神海運の「ニューかりゆす」から見る大神漁港と大神島 2016.02.28 大神海運の「スマヌかりゆす」から見る大神漁

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    k10no3 2024/04/19
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    12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑩ 宮古島-1 宮古島市-1 《  平良港  》 私達はこの港を2回利用しており、1回目は伊良部大橋の架橋前に伊良部島への往復、2回目は彼が好きな多良間島に船でも行きたかったため、28年振りの再訪の際に往復で利用しました。 伊良部大橋の架橋については、1988年当時すでにスローガンとして掲げられていました。 1998.02.22 宮古フェリーの「第三かりゆし」から見る平良港…平良市※写真はブレています 1998.02.23平良港に停泊する宮古フェリー㈱の「うぷゆう」…宮古島市平良 2016.02.26 仲宗根豊見親墓から見る平良港に停泊する「フェリーたらまゆう」と伊良部島 …宮古島市平良

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    k10no3 2024/04/16