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道徳と戦争に関するk2lowのブックマーク (9)

  • 戦争の道具化するレイプ、ダルフールとミャンマーの紛争で

    ダルフール難民が暮らすチャドのファルシャナ(Farchana)難民キャンプで、薪用の枝を運ぶ女性たち(2008年6月26日撮影)。(c)AFP/ISSOUF SANOGO 【8月13日 AFP】スーダン・ダルフール(Darfur)やミャンマーにおける民族紛争では、戦争の道具としてレイプがますます横行しており、家族や地域社会を破壊している。2人のノーベル平和賞受賞者が12日、警告を発した。 対人地雷禁止キャンペーンの先頭に立つ米国のジョディ・ウィリアムズ(Jody Williams)さんと、アフリカの民主主義拡大を声高に推進するケニアのワンガリ・マータイ(Wangari Maathai)さんは、「女性たちは紛争の暴力において『最も高い犠牲』を払わされている」と口を揃えた。 2人は、ハリウッド女優でユニセフ(UNICEF)親善大使のミア・ ファロー(Mia Farrow)さんや人権団体活動家ら

    戦争の道具化するレイプ、ダルフールとミャンマーの紛争で
    k2low
    k2low 2008/08/16
    ああ、妻が元AV女優ですのあれが盛り上がるのもこれに近しいのか。
  • 731部隊 - Wikipedia

    731部隊(ななさんいちぶたい)は、第二次世界大戦期の大日帝国陸軍に存在した研究機関のひとつ。 正式名称は関東軍防疫給水部(関東軍防疫部から改称)[4]。731部隊の名は、その秘匿名称(通称号)である満洲第七三一部隊の略。なお、1941年3月に通称号が導入されるまでは、指揮官であった石井四郎の苗字を取って石井部隊と通称された。 初代731部隊長石井四郎(1932年に撮影された陸軍三等軍医正(少佐相当)当時の写真、のち陸軍軍医中将) 満洲に拠点を置き、兵士の感染症予防や、そのための衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあった[注釈 2]。そのために人体実験[5]や、生物兵器の実戦的使用[6][7]を行っていたとされる。 1925年、化学兵器と細菌兵器の使用を禁じるジュネーブ議定書が、締結された際、石井四郎は条約で禁止しなければならないほど

    731部隊 - Wikipedia
  • 731部隊元隊員が証言 「子持ちの慰安婦を生体解剖したこともあった」(増補版) - kojitakenの日記

    石原慎太郎の東京都知事選圧勝を伝える「読売新聞」(大阪社版)を読んでいたら、見逃せない記事に行き当たった。 「Yomiuri Online」を検索したら見つかったので紹介する。「中部発」とのことで、名古屋や大阪の紙面には間違いなく載っているのだが、東京社版ではどうなのだろう。 http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/070409_5.htm 以下引用する。 「病原体の生体実験 毎日2〜3人解剖」 731部隊元隊員証言 戦時中に中国大陸で、捕虜などに人体実験を重ねた旧日陸軍731部隊の衛生兵だった三重県尾鷲市の大川福松さん(88)が8日、大阪市で開かれた国際シンポジウム「戦争と医の倫理」に出席、「毎日2〜3体、生きた人を解剖した」と証言した。当時の体験を人前で明かしたのは初めてで、「不正なことは、社会に、はっきり示さなあかんと思うようになったから」と語っ

    731部隊元隊員が証言 「子持ちの慰安婦を生体解剖したこともあった」(増補版) - kojitakenの日記
  • 自殺を強制したにせよしなかったにせよ、軍隊が「その国の国民を守らなかった」ことは事実。 - 想像力はベッドルームと路上から

    命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろしいことではないか! - Munchener Brucke 「空気」を気にする日人の精神主義的教育論 - Backlash to 1984 沖縄戦「自決強制」を検定削除──また「狭義の強制」論ですか - モジモジ君のブログ。みたいな。 「空気」を気にする日人の精神主義的教育論 - Backlash to 1984 keya1984氏への私信──沖縄戦「自決強制」関連 - モジモジ君のブログ。みたいな。 多分、僕らが「あの戦争」から繰り返し学ばなければならないことがあるとしたら、それは単に「軍隊はその国の国民を守らない」という事実であるように思う。 何隻の軍艦を沈めようが、何機の戦闘機を撃ち落とそうが、何人の敵を撃ち殺そうが、何日硫黄島を守ろうが、自殺を強制しようがしなかろうが、その一点において日軍の存在価値は全否定されて然るべきだ。

    自殺を強制したにせよしなかったにせよ、軍隊が「その国の国民を守らなかった」ことは事実。 - 想像力はベッドルームと路上から
    k2low
    k2low 2007/04/03
    ・・・ヤン・ウェンリーは(中略)民主国家の軍隊が存在する意義は民間人の生命を守る事にある、という建前を本気で信じこんでいて、しかもそれを一度ならず実行しているということです
  • 命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろしいことではないか!  - Munchener Brucke

    一般に自由主義史観とか反自虐史観の立場の人は、どうも「旧軍を悪者にするな」という点に執着し過ぎている気がする。それが文部科学省の検定にどこまで影響力を与えているかは知らないが、政府首脳の顔ぶれから、影響力は無視できない状況であろう。 今回の検定の論点は「集団自決に軍の正式な命令はなかった」という点だが、命令系統の正当性を争って旧軍の責任を最小化する運動にどのような意味があるのか? 私はいっそのこと軍の命令であってくれた方がよほどすっきりする。それならばそんな非道な命令を下すような軍隊を今後作らなければいいという明確な反省ができる。むしろ「軍の正式な命令がないのに、これだけの民間人が集団的に自決した」ということの方が、余程悪質に感じられる。教育や法にのっとらない社会的な圧力や同調的な意思決定を駆り立てによって、人間が自決するとしたら我々はいったいどうすればいいのか? 現代社会にも様々な同調圧

    命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろしいことではないか!  - Munchener Brucke
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    新米と秋刀魚のわた焼き お刺身用の秋刀魚を買いました。1尾250円です 3枚におろして、秋刀魚のわたに酒、味醂、醤油で調味して1時間ほど漬け込み、グリルで焼きました 秋刀魚のわた焼き わたの、苦味が程よくマイルドに調味され、クセになる味わいです 艶やかな新米と一緒に 自家製お漬物 土…

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  • まあ野暮な話もなんだが - finalventの日記

    はてなブックマーク - kom’s log - 戦争をしない国 私はかなり違う意見のインド人と話したことがある。 これにちょっと関係している。っていうかボース通りの銅像の下で日人しっかりせいと説教された。 これ⇒finalventの日記 - ボースを思う日人のこうした活動を再評価してこそ日印友好だと思うのだが 他にも。 えっと日人がびっくりするような意見をギリシア人から聞いたこともある。 トルコ人からもえっとこっちが引くような意見を聞いたこともある。 マレー人やインドネシア人からどんびきの意見を聞いたこともある。 台湾人からは日精神を説教され略。 ま、いろいろある。 韓国人の音はっていうかま音かな聞くと泣けてしまうことがある。いろいろあんだろうけど。 中国人の音はこれもいろいろ。どんと引くような意見もある。 べたには書かない。 戦争放棄については。 ちとふれた⇒極東ブログ:

    まあ野暮な話もなんだが - finalventの日記
  • kom’s log - 戦争をしない国

    粒子物理で宇宙線のモンテカルロ・シミュレーションをやっているひととディスカッション。実は隣のマックスプランクにいる彼の専門のことはこれまで知らなかったのだが、たまたま最近判明してもりあがった。モンテカルロの並列化についていろいろおしえてみらう。今後お世話になるなあ。フォートランの方がCより速い、とかいっていた。ほんとかよ。 所内報のエディターと打ち合わせ。昨晩ながながと書いた牛涎な文章を「エディットしたらOKね」とのことでありがたがってくれた。ほっとひといき。 来月のミーティングのことで、パリ・エコール・デ・ミンの数理形態学センターのひとたちとメールやりとり。ヴィデオコンファレンスにしようということで、ビデオ参加したいというオックスフォードの支所に連絡。うちの部門のヘッドがゲストのメンツになんか妙にびびっているので、エコール・デ・ミンってなんじゃね、とフランス人ジェローム君に聴いたら、パリ

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  • 「戦地で死んだ者を追悼する」イコール「靖国参拝」ではない - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    戦地で死んだ者の霊はどこにいるのか、当は誰にもわからない。*1 靖国神社は戦死者をひとまとめに「合祀」していると言うけど、ひとりひとりの「霊」が靖国神社に集まっているという客観的根拠はない。 いや、「霊」はいろいろなところにいる、だけど靖国神社はそれらの霊と私たち生者との間の接点(チャンネル)として存在しているという考えもあるだろう。しかし「霊」の側が、靖国神社を生者とのチャンネルとして認めている、という客観的根拠はない。 つまり、靖国神社が「霊」の居場所ないし接点というのは、主観ないし共同主観にすぎない。*2 誰の共同主観か? そう、靖国神社という宗教法人とその支持者の。 ここで想起すべきは、国家によって戦争に動員され戦地で死んだ約230万の半分以上は、戦闘による死ではなく餓死だったということだ(藤原彰氏の研究による。http://blog.goo.ne.jp/taro606/e/cd

    「戦地で死んだ者を追悼する」イコール「靖国参拝」ではない - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
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