その際、重さおよそ53キロの灯籠の先端の石が外れ、下敷きになりました。後閑さんは病院に運ばれましたが、腹を強く圧迫されていておよそ3時間後に死亡が確認されました。 警察によりますと、この日は地元の大人や子ども合わせておよそ30人が公民館に集まり、20日と21日行われる祭りの準備などをしていて、当時、後閑さんは子どもたち数人と神社で遊んでいたということです。 警察は、事故の状況を詳しく調べています。
突然ですが! 一昨日から昨日にかけて、ナツメグの大量摂取で入院してました!笑 もう退院してるし元気なので、くれぐれも、くれぐれも心配し過ぎず、ここから先を読んでくださいね! わーえっちゃん昨日大変だったんだなーってくらいで。 あと私がセーラー戦士ってことは秘密にしてあるので突っ込まないでください。 以下、長いです! まじで、超しんどかった!!ナツメグを1瓶まるごと入れたハヤシライスを作って(この時点で話に着いていけないとか言わないで。ナツメグ大好きなの。私の性格わかって。) 超お腹すいてたから3皿くらいルーだけおかわりして食べたの。スパイシー!ナツメグ美味しいー! さらに写真撮るときは2瓶目のナツメグを上からかけて、ナツメグパラダイス!とか思ってた。 あたし全く知らなかったんだけど、ナツメグって、、大量に摂取すると幻覚作用とかあるの知ってました!? うちのナツメグは1瓶で15グラム入ってる
母と私の住む家は、1975年に亡父が建てたものだ。築40年超。 建築基準法は1981年に大改正されて、それ以降の新築の建造物は厳しい耐震基準をクリアしなくてはならなくなった。我が家はそれ以前の“古い”建物である。 とはいえ、建物自体はかなりしっかりとしている。建築の頃は盛んに、「第二次関東大震災が来る」と言われていたこともあって、父が建築を任せた地元の工務店にうるさいぐらいに「がっちり作れ」と要求し、毎週のように工事現場を見回ったからだ。 2015年7月、肩脱臼をきっかけに母の生活の拠点を、2階の自室から、1階の応接室に降ろした。その夏を過ごす中で、認知症老人が築40年の古い家で生活することの問題点が見えてきた。 古い家は断熱性が悪い 最初に発覚した問題は、断熱が悪いということだった。 介護用ベッドを置いた応接間は、夏は暑く、冬は寒い。夏はエアコンを効かせていても汗をかきそうだし、冬になる
2015年の春、母がアルツハイマー病を発症したという事実は、徐々に母の親戚や交友関係に広がっていった。経路は主に電話だった。 この時期、母はまだ電話の応対ができたが、それでも「様子がおかしい」と気が付く人もいる。そんな人は、私が電話に出ると「最近どうなさったのでしょうか」と聞いてくる。 それとは別に「このところ水泳に来ていませんがどうなさいましたか」「もうずいぶんとコーラスのサークルにいらっしゃっていませんけれど、具合でも悪いのでしょうか」といった電話もある。最初のうちは、適当にごまかしていたが、やがてごまかすわけにはいかなくなった。 「実は認知症を発症しまして……」 と説明すると、大抵は息を呑み、「お大事になさってください」という言葉と共に電話を終えることになる。中にはお見舞いを送ってきてくれる人もある。それは大変ありがたいことなのだが、どうにも対応に困るものもあった。 「これを飲んでみ
5月1日号の日経ビジネスのスペシャルリポート「限界突破集落」では、高齢者が過半数を占め、コミュニティーの消滅が危惧される「限界集落」の中で、住民や地元企業の工夫で「限界」を超えようとする挑戦を取り上げた。 都心に住んでいる人間には想像しにくいことかもしれないが、限界集落の中には最低限のインフラすら揃わないまま生活を送っている住民がいる。大分県豊後高田市の中黒土集落もその1つ。つい6年前までマンガンを基準の32倍含む「黒い水」を生活用水として使ってきた。集落を変えたのは住民自らが管理する小型浄水設備だ。 「風呂の底が見えた!!」 大分空港からクルマで1時間、国東半島の両子火山群の中にある中黒土集落(大分県豊後高田市)。ここで奇妙な歓喜の声が上がったのは2011年のことだった。 この年、初めて集落に水道設備ができたのだ。それまでは上の写真右側の「黒い水」を生活用水として使っており、風呂の底も見
何もしてないのに人間関係が壊れた そういうことはよくありますね。このブログは発達障害者が上手いこと立ち回って、なんとか定型発達者社会の中で生き延びていく術を模索するブログなのですが、その前提として非常に難しい概念があると思います。「自分の何が原因でネガティブなことが発生するのか」という点ですね。これがわかれば対策は打てる、でも「おまえのそういうところが悪い」と直截的に教えてくれる人間というのはあまりいないのが現実的なところで。 「どんな人間関係に入り込んでも中長期的には必ず破綻する」という人生を歩んでいる方は多いと思います。まぁ、永続する人間関係なんてものはそれほどはないので、これは誰でもある程度はあることだと思うんですが、それにしても破綻が発生する頻度が高すぎる。そういう問題を抱えている方は少なくないですよね。 僕自身もわりとそういう人でした。同一の人間関係に長期間居座ることはかなり難し
こんにちは、石垣りょうです。 インターネット上にうさぎとくまの絵を描いたりしています。 omocoro.jp 実は先日、父が急死いたしまして、それはもう頭が真っ白になったのですけれども、 遺族は悲しむ間もなく、葬儀の準備や手続きを行わなければなりません。 しかし葬儀に関する前知識があまりにも少なく、また真っ白になった頭で一から学ぶのはとても大変で、必要以上に手間取ってしまいました。 …というわけで、今回僕が体験した事を気軽に読める漫画にしてみました。どなたかのお役に立てれば幸いです。 編集部注:通常は自動凍結される確率は低いですが、芸能人やタレント、また、このマンガの作者が住んでいるような田舎町では、銀行が死亡情報を把握しやすいため、凍結されることもあります。 まとめ いかがでしたでしょうか? 葬式や相続に関しては「法」と「お役所」に関わる事が多く、情報も説明も堅苦しい感じになってしまう事
インターネットが最高に楽しかったあの頃。人生の半分以上をネットとともに過ごしてきた筆者が、「主にしょうもない内容」メインで振り返ります。
TOKYO人権 第56号(平成24年11月27日発行) インタビュー自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと 新生児仮死の後遺症により脳性まひの障害を持つ熊谷晋一郎さん。“健常な動き”を身につけるため、物心つく前から厳しいリハビリを受けました。しかしそれは、彼にとって「身体に合わない規範を押し付けられる」という体験でした。成長とともにリハビリをやめ、自分らしいあり方を模索。大学進学をきっかけに親元を離れて一人暮らしを始め、試行錯誤しながら自立生活を確立していきました。医学部を卒業後、小児科医となった熊谷さんに、障害を持って生きていくことについてお聞きしました。 1977年、山口県生まれ。小児科医。新生児仮死の後遺症で脳性まひに、以後車いす生活となる。小中高と普通学校で統合教育を経験。大学在学中は全国障害学生支援センターのスタッフとして、他の障害者とともに高等教育支援活動を
中目黒の街角にひっそりと佇む謎の宿。料金は一部屋2,800円と、都内のホテルや旅館に比較してかなり格安。主人に話を聞くと、様々な人間が出入りしていたのだそう。オリンピックと中目黒は密接に関わっていたという話まで、歴史の話も盛りだくさん。そんな宿屋「旅荘秋元」に実際に泊まってみました。 こんにちは。バーグハンバーグバーグでインターンをしている神田(こうだ)です。私は現在宿がなく、会社に泊まったり、マンガ喫茶やカプセルホテルを転々とする生活を続けています。 下宿先の京都から、会社がある東京まで何のあてもなく出てきたので、どこに住むのか全然考えてませんでした。以前は友達の家に居候させてもらっていたのですが、2カ月を超えたあたりで追い出されてしまい…… 今はネットカフェや会社の会議室に寝泊まりする生活です。そんな行き当たりばったりの生活を続けていた私に、ジモコロ編集長の柿次郎さんが声をかけてくれま
母親がガンとの診断をうけて、もうすぐ5年半になる。 診断されたときには、ステージⅣで5年後生存率は20パーセントといわれていたが、幸運なことに、今でも調子がよいときは自分で車を運転して病院に通う程度に元気だ。 病院は、昔の社会保険病院(何年か前に制度改革で名前変わった)だから、まあ公立みたいなもんで、いわゆる「保険の範囲内」の治療を続けている。 最初の1年に2回ほど手術はしたが、あとは抗がん剤治療。 基本的には、抗がん剤を月に一度うって、それから週一で検診をうけて、また抗がん剤うって、が基本パターンで、 だいたい抗がん剤うったあと数日はかなりダルそうにしているが、それ以外の期間は、病人とは思えないほど元気だったりもする。 その時期に人とあうと、誰も彼も「お元気そうでよかった!」というもんで、 「アタシだって病気なのに・・・」というのが数年来の悩みで、その手の愚痴はもう、聞くだけ聞いて右から
2016 - 07 - 18 人の名前間違えるのってめっちゃ失礼じゃないですか? オピニオンもどき タイトル煽り気味ですが24年間の鬱憤詰めてしまいました。さーせん。 突然ですが、わたしの苗字は2通りの読み方があります。 わたしの読み方は常用漢字としての読み方で、もう1つは人名漢字としての読み方です。 どちらもメジャーな読み方です。 どちらの読み方の有名人もいます。 「これは人の苗字です。何さんですか」と見せられたら、普通の人はどちらの読み方か超迷うと思います。 …とは言え、わたしの住む東日本では少しわたしの読み方の方が劣勢らしく、漢字だと まず間違えられます。 ひどい場合だと、 (以下、正しい読み方を○、誤った読み方を×で示します) 「○○○です」 「○○○様ですね」 〜担当が変わる〜 〜漢字で書いた書類を引き継いだらしい〜 「×××様〜」 あのさぁ??? とか、 「×××様〜」 「○○
曹洞宗の葬儀と供養 「お葬式って、どんなことをしているの?」疑問と期待を滲ませたいくつもの声を受けて私たちはあらためて考えました。 古い言葉によって執り行われている葬儀は、どうしてもわかりにくい。 しかし、定められた葬儀式の模範を簡単に変えることはできない。 だからといって、ご遺族の方々に、釈然としない気持ちを抱かせてしまったままでもいけない。 曹洞宗の葬儀、その意義を多くの方々に知っていただくことはできないだろうか。 そのような想いが一つのかたちとなり、このたび誕生したのが本書です。 内容の一部をご紹介
私はメシマズ嫁だった。だった…と夫が思ってくれていたら幸いです。 今でも料理は得意ではないけれど、家族に「おいしい!」と言ってもらえるようになったので、たぶん、脱出できたと思います。 独身の頃は料理は全くせず、気まぐれで買ったきゅうりが冷蔵庫で融解しているのも珍しくないような人間でした。 ちなみに私の母は料理は得意ではないけれど、看護師として夜勤もあり忙しく働いていたにもかかわらず、栄養バランスを考えた手料理をいつも作ってくれる人でした。母がちゃんと作ってくれるから、自分で作ることを考えないままデッカくなりました…。 今思うとよく結婚できたな…と思うのですが、温厚で他人に寛容な夫は「まぁ料理はやれば誰でもできるから」とあまり重要視していなかったようです。そんな人と出会えたことって奇跡だなと思うと、奇跡についてJpopで一曲作りたくなる気持ちは解らないでもないです。 私が自分の料理がヤバイと
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