2016 - 06 - 14 なぜわたしは小さな頃から「生きづらさ」を抱えているのだろうか。 雑記 スポンサーリンク シェアする Bookmark! Facebook Twitter Google+ Pocket ルイです。 うつ病 です。ひきこもりです。休職中です。三重苦です。 そんなわたしでも、 うつ病 になる前はまともに働いていました。 社会人として普通に生活していました。 相対的に見れば順調な社会人生活を送れていたと思います。 だけど、わたしは小さなころから自分の存在に不自然さを抱えていました。 率直に言えば「生きづらさ」を感じていました。 なんとなく「自分はまわりとは違う」気がしていた うつ病 になる前から自分の存在に違和感がありました。 近所の子と遊んでいても、なんとなく、「違う」感じがするんですよね。 友達が少ないとか、いじめられた、とかそういうエピソードはなかったんですけど
私自身がまだしんどさの中にいるので、病気の話題が続きます。すみません。 でもこうやって書いていくことが治療の一過程でもあるという自覚があるのです。 今日は買い物に行くのも辛いので、炊き込みご飯のもとで炊いて、あとは好きに食べてくれ、と弟に言ったら、お漬物だけで食べてますが、まあいいか。 他にもパックのおかずはあるんだけどな。材料もあるけど作れないだけだし…。 明日はお金の関係でどうしても動かなくてはいけませんので、今日は母のところに行くのも延期しました。木曜か金曜くらいにできれば、と思ってはいますけど…。 たまたまですが、完治が不可能なこの病気を限りなく寛解に持って行った人のブログを見つけました。単純に寛解と言っても並大抵のことじゃないし、ごく少数の人しかここには到達出来てないんじゃないかと個人的には思います。 blog.livedoor.jp はっきり言って、こんな事を考えて生活する人間
どうも。困ったちゃん地区ブロック代表(※自称)、志乃です。 日々、ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、心よりお詫び申し上げると共に、厚く御礼申し上げます。何といいますか、お気持ち、お察し致します。 さて。前々回、このような記事を書きました。 shinoegg.hatenablog.com この記事に対し、「普段、苦しめられている者としては、なかなか受け容れられない」という主旨のご意見をいただきまして、「そりゃそうだよな。」と思うと共に、「じゃあ、どうすればいいのか?」ということを、自分の経験を踏まえながら、考えてみることにしました。 「ありのままの自分を認める」ことと「ありのままの自分を認めろ」と周りに主張することの違い 「変わってほしい」という他人の期待に、応えるのも応えないのも自由。ただ根底に「自己肯定感」がないと、「他人のために」歪んでしまう。「ありのままの自分を認めよう」と
滝田商店ブランド 座禅布団(座布) 綿 1.1尺(直径33cm)◆坐禅用のふとん・坐布・座蒲・坐蒲・座禅専用の座布団【滝田商店発行 証明書付】 出版社/メーカー: 仏壇屋 滝田商店 メディア: この商品を含むブログを見る 座禅座布団を買った。 Amazonで評価が高かったので。 さっそく座る。 。。。。。。まあ、普通の座布団よりは座りやすいかな。 しかし、足の所在のなさは相変わらず。 やはり、足をやわらかくしなければ。 結構やわらかくなったと思うんだけど。。。
昔、ある経営者に「手持ちで勝負せよ」と教えられた。どういうことか。 その方は言った。 「手持ちというのはもちろん比喩表現だよ。要するに「足りない」ということに目を向けず「今あるもの」でなんとかしようという考え方。」 「あるものとは?」 「君はまだ若いから、あまり意識しないかもしれないが、世の中には「足りない」ということだけしか見えない人がたくさんいるんだよ。」 「例えば、どんなことでしょう?」 「そうだね、友達と集まって遊ぶとする。」 「はい」 「なにかして遊ぼう、という話になるけど、皆お金がない。」 「ありがちですね。」 「そこでの反応は二通り、「ま、お金がなくても楽しめるさ、考えよう!」という人と、「お金がないと、遊べないじゃないか。あー、落ち込む。」という人。」 「前者の人のほうが幸せそうですね。」 「そう!そこが肝心なとこだ。「足りない」ことに目を向けても、大抵はいいことがない。」
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