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問題と奄美に関するkahn77のブックマーク (2)

  • 過去と同じ後悔を繰り返すのか

    先日、自然保護団体5団体が奄美市議会に陳情書を提出したことが地元新聞で報じられていましたが、今日、加計呂麻の住民の会が瀬戸内町長宛に公開質問状を提出しました。詳しくは上記リンクをご覧下さい。 色々と動きがありますが、住民の会と自然保護団体、観光関係の団体による「奄美の自然と景観を守る会(仮称)」の準備も進めています。 明日からはウケユリツアーなのでウケユリに関して調べ物をしていたところ、奄美の植物研究の第一人者・大野隼夫先生の「奄美の四季と植物考」(絶版)(発行:昭和57年)の最後に昭和40年代にかけての大規模伐採を嘆き、保護を訴える文章とリュウキュウマツが深山に植えられることの弊害が書かれていました。 今回のチップ工場と森林伐採は大野先生が嘆いているこの時代の行為を再び繰り返すことです。 伐採を許してしまうことは、未来に再び同じ後悔を残してしまうことです。 かなり長文を引用しますが、是非

    過去と同じ後悔を繰り返すのか
    kahn77
    kahn77 2010/06/08
    あまみ便りBlog「過去と同じ後悔を繰り返すのか」
  • ハンセン病患者から生まれた子供たち-奄美大島における妊娠・出産・保育・養育のシステムの軌跡

    「日ハンセン病学会雑誌」第78巻3号(2009年9月発行)所収: 日ハンセン病学会の許可を得て掲載しています。 (1) (2) (3)                                           →次ページ ハンセン病患者から生まれた子供たち-奄美大島における妊娠・出産・保育・養育のシステムの軌跡― 森山一隆1)、菊池一郎2)、石井則久*3) キーワード:奄美大島、カトリック、出産、ハンセン病療養所、保育 ハンセン病療養所において、妊娠・出産が可能であった国立療養所奄美和光園について、時代背景などを追いながら考察した。 和光園の創設は1943年と新しく、1946 年から1953 年までの米軍占領を経て、日のハンセン病行政体制に組み込まれた。 1949年頃より、松原(のちの和光園事務長)の和光園でのカトリックの宣教、1951年からのパトリック神父の宣教は入所者の

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