岸田文雄政権の存続をめぐる〝カウントダウン〟が本格的に始まりそうだ。9月の自民党総裁選で再選を果たしたい岸田首相だが、現実はなかなか厳しい。
左から「POSSE」の今野さん、私、「もやい」の湯浅さん、「ガテン系連帯」の池田さん、「首都圏青年ユニオン」の河添さん。なんかみんな、パッと見全然ジャンル違うところが面白い。 6月18日、渋谷で「生きさせろ!〜新しいネットワークの構築に向けて〜」というイベントが行われた。出演者は「もやい」の湯浅誠さん、「首都圏青年ユニオン」の河添誠さん、「POSSE」の今野晴貴さん、「ガテン系連帯」の池田一慶さん、そして私という、この5人が揃っただけで何かが起こりそうな(共謀罪で捕まりそうな?)、そんなあまりにも凄すぎるメンバーである。 告知期間がかなり短かったのに、当日は100人のキャパの会場に150人ほどの人達が駆け付け、立ち見も出るほどの盛況ぶりとなった。その多くが若者で、こういった労働問題の集会に来るのは初めて、という人が多かったらしい。「労働問題」の集会に若者が詰めかけるという状況は、何か今のこ
9条改憲阻止の旗とタスキと「BABY THE STARS SHINE BRIGHT」の服を着こなせるのはたぶん世界で私だけだろう(誰もそんな組み合わせを着こなしたくないだろうけど)。(写真・週刊新社会提供) 6月15日、日比谷野音で「9条改憲阻止の会」による改憲阻止集会に参加してきた。この「9条改憲阻止の会」というのは、60年、70年安保を闘った世代が作ったものであるらしい。一言で言えば爺さんだ。その爺さんたちが「9条改憲」を阻止しようと数十年ぶりに集い、ハンストやデモなど、いろいろとやらかしているという。 この集会で発言を頼まれたのだが、最初は正直、あまり乗り気ではなかった。なぜなら、そこに集うのは「9条一筋30年」みたいな、なかなか言葉の通じない人達ではないかという危惧があったからだ。そして60年、70年安保を闘ってきた人達が山盛りいるという場にも、何か尻込みするものがあった。また、若
中原淳(東京大学准教授)のブログです。経営学習論、人的資源開発論。「大人の学びを科学する」をテーマに、「企業・組織における人の学習・成長・コミュニケーション」を研究しています。 リフレクションとは不思議な言葉である。「内省」と訳されたり、「吟味」と訳されたり。時には「反省」や「意味づけ」とされるときもある。 一般に、学習科学の文脈において、リフレクションとは「学習者が自分の学習について意図的に吟味するプロセス」である、とされている。そして、「リフレクションを促すこと」は、様々な教育分野において、めざされるべき地平であるとされる。 --- 科学教育研究最新号 Vol.31 No.2の出口明子氏による論文「理科教育におけるテクノロジを利用したリフレクション支援の研究動向」というレビュー論文を読んだ。 一般にリフレクションを支援するには、下記のような方法があると言われているが、 1.Proces
asahi.com:扶桑社、「つくる会」元会長らと教科書作成へ http://www.asahi.com/national/update/0626/TKY200706260400.html 八木秀次・高崎経済大教授(元「つくる会」会長)が理事長を務める日本教育再生機構と協力して教科書の編集・発行を続ける考えを明らかにした 扶桑社:新たな歴史、公民教科書を計画 −MSN毎日インタラクティブ http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070627k0000m040016000c.html 高崎経済大の八木秀次教授や評論家の屋山太郎氏らが7月に設立する「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(教科書改善の会)が編集や発行に協力する。 あれまだ正式発表してなかったんだっけ、という印象なのですが、そういうことだそうです。そういうことっていうか
先日、フジの深夜番組でFNSドキュメンタリー受賞作の番組をやっていました。これ非常に良い番組でした。この番組のディレクターである高橋龍平さんは29才。若いディレクターさんで、彼が語り部となって話がすすみます。この高橋さんのマスコミ人らしくないズカズカと踏み込まない慎重な姿勢がネカフェ難民の「諦念」さを見事に映しきっていて、でもその高橋さんと「もやい」の湯浅さんが結果的には取材対象者であった彼に「25条」をお題目からではなく気づかせていく経緯はほんと見ごたえがありました。あと、突然解雇通告を受け、生活に困窮した女性が会社に「解雇は不当である」(大意)とのFAXを「どきどきします」といいながら送り、まわりから少ないけどパチパチと拍手がおきたときなんて私もいっしょに拍手してましたよ(笑) しかし湯浅さんてハードでかっこいいなー。これゴールデンで放送すればいいのに。変わると思うよ、世論。 http
07年度国民生活白書「つながりが築く豊かな国民生活」が提出されたらしい。内容についてはまだちゃんと読んでいないのだが、概要版をながめながら元データを探したら恐ろしげな調査項目をみつけたので取り急ぎ紹介。 平成18年度版国民生活選好度調査の10ページ。2つの考え方を示してどちらの考え方に近いかを選ばせるものなのだが。 A 秩序を保つためには個人の自由を多少制限するのもやむを得ない。 B 個人の自由を尊重するためには秩序が多少乱れてもやむを得ない。 A 社会のために役立ちたいと思う。 B 個人の生活の充実が最も重要だと思う。 A 家族のために自分が犠牲になってもやむを得ない。 B 自分の生き方を大切にしたい。 このような形式の設問は、「一人でいるのが好き/大勢でいるのが好き」「歩道が狭くなっても車道を広くする/車道が狭くなっても歩道を広くする」などのような、AとBの間にある程度の排他性がある場
教科書問題というのは教育問題ではないということが、今回の問題でつくづく感じたことである。沖縄の高校では、ほとんどの教師がこの部分は今後教科書通りに教えないであろうし、そもそも沖縄に限らず教科書通りに教える日本史教師など皆無であろう。私の知っている限りは、自分の主義主張を織り込んだ副教材を巧みに使用するイデオロギー型の教師と、受験によく出る部分を補強する受験対策型の教師に大別される。近代史のデリケートな部分は、大学は出題するのを避ける傾向が強く、「近代史=受験に余り出ない」が定説だ。結局、今回の教科書検定で変わった記述がきちんと高校生に教えられる可能性は低いのである。 しかし、ここまで問題になるのは、高校の歴史教科書=日本の正史であるという側面が強いのである。国家がお墨付きを与える教科書検定制度が、特に日本史と国語に関しては国が何を正しいとするかの正式見解とされてしまうのである。 昨日の産経
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く