義務教育費国庫負担金の国100%負担、幼児教育の無償化、給食費の無償化、給付型奨学金の創設、私学における低所得者の授業料無償化、私学助成2分の1を目標に大幅拡充――。自民党の政権公約には、学校関係者にとっても保護者にとっても素晴らしい項目が並んでいる。 結構なことだ。安倍晋三総裁も「できることしか書いていない」と繰り返し強調している。政権を取ったら、ぜひ実行してもらいたい。本当にできるのならば。 教育などの政策の冒頭には「恒久的な財源を確保し、OECD諸国並み(5%)の公教育支出を目指します」とある。同様の文言は2009年の総選挙公約にもあった。 野党党首でありながら、その発言力だけで株価も円相場も好転させられる安倍総裁のことである。3年前よりパワーアップした経済政策を実行するというのだから、財源確保にも自信があるのだろう。 ところで、この中には財政出動が急務でありながら、抜け落ちているも
惜しい。実に惜しまれる。文部科学省の「教職員のメンタルヘルス対策検討会議」報告(中間まとめ)のことである。 報告では「教職員のメンタルヘルス不調の背景等」として、3ページにわたってまとめられている。いずれも箇条書きの簡単なもので、無味乾燥な印象すら感じられる。しかし実際の論議では委員の外部専門家から、教職という仕事の特殊性、そしてその近年の困難性に極めて共感的な立場からの指摘が相次いでいた。箇条書きの行間には、そうした同情があふれていると読むべきである。 複雑な要因が絡み合っている現状を一気に変えることは難しいが、少なくとも現場の教員が相当な困難を抱えていることはアピールできるのではないか――。当初の議論を聞きながら、そんな期待を持ったものだ。しかし結果的には、お役所的なまとめに収まってしまった。 人選の限界もあったろう。毎回、遅い時間の開催にもかかわらず中身の濃い議論が展開されたことには
1カ月前の旧聞で恐縮であるが、このたび本社配信記事が掲載されたということでお許し願いたい。名古屋大学であった日本教育学会第71回大会で、重要だと思える指摘が相次いだ。いずれも「試験」というものの機能に関する指摘である。 一つは、大学入試だ。2日目午後に行われた公開シンポジウムの一つ「高校教育改革の現状と課題」で、登壇した福井県の高校教諭は「教科書や指導要領がどうなろうと、教師がどういう指導をしようとも、『出口』の時点が高校生の学びを引っ張ってしまう現実がある」と嘆いてみせた。高校の授業改善をしたくても、生徒の関心は結局ペーパーテスト偏重の大学入試で高得点を取ることにしか向かず、そのため高校での学びも深まらないというわけだ。 ベネッセ教育研究開発センターの調査を見ても、今どきの高校生は進学校でさえ約6割が「勉強しようという気持ちがわかない」という。進路多様校の7割と、それほどかけ離れているわ
安倍晋三元首相が自民党総裁選への立候補を表明した。決選投票にさえ進めないと目される野党の党首候補を取り立てて論じる意義はないかもしれないが、小泉―安倍内閣下で進められた現場無視の教育改革に危機感を覚えて本ブログの立ち上げを構想し、最初の社説に「『教育界』に遺恨を残した教育再生会議」を掲げた本社としては、看過できない。 安倍元首相は総裁選公約で、「安倍晋三6つの全力!」の一つに「日本の誇り 憲法改正・教育再生に全力」を挙げている。憲法改正は本社の守備範囲を超えているから是非は論じるまい。検証したいのは「教育再生」のみである。 安倍元首相が教育再生で何をやり残したのか知らないし、公約には「改正教育基本法の理念の本格実現」だの「基礎学力の向上、高等教育の国際化」だの抽象的な文言が並ぶだけで、具体的に何をしたいのか分からない。「教育委員会制度や教科書検定・採択制度の見直し」「教員組合活動の適正化」
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