ダライ・ラマ14 世がインドに亡命する契機となったチベット騒乱事件(1959 年)から49 年目の3 月10 日、約300 人のラマ僧がラサ市内でデモ行進の最中、警備当局に大量逮捕された。それをきっかけに事態は騒乱に発展、騒乱は中国・甘粛省、四川省などにも広がった。 中国の温家宝首相は3 月18 日の記者会見で「ダライ集団の策謀」と非難したが、ことはそう単純ではない。 テロを容認する青年会議派の存在など、亡命政府側の内部事情は複雑だ。チベット自治区党委書記の経験もある胡錦濤(国家主席)がトップの座にあり、高齢のダライ・ラマが柔軟路線を表明している今こそ、チベット問題解決の機会にすべきではないか。同問題の解決は、大国中国が世界に好意をもって迎えられるか否かの試金石である。 3 月10 日はチベット人にとって「抗暴記念日」である。ダライ・ラマがインドに逃れ、亡命政府を組織する契機となった195