老いた親とか負債じゃんね? - 追記: 「そうであれば、お前の世話はしない・されないぞ」とよくコメントされているが、見られないつもりなら、見なくてもよいのだろうか?
ヤバイ 何がヤバイって、毎月毎月資金繰りで身を削っていると、頭の中が金のことと支払いまで後何日という秒読みと、倒産したらどうやって夜逃げしようかとか、そんなことばかりになる。 クリエイティブな事とか、社員をねぎらったりとか、現場に出て進捗見たりとか、たまには息抜きして趣味でもとか一切出来なくなる。 ただ、じゃぁ資金繰りで駆けずり回って隙がないのかといえばそうではなく、暇は結構ある。 その暇を利用して、営業の一つでも行けばいいんだけど、もはや仕事のことを考えただけで、頭の中が上記のことで一杯になってしまって営業に力が入らない。 暇な時間は、ダラダラとネットやゲームで現実逃避したり、隠れて長時間昼寝したり、とにかく脳が仕事のことを考えることを拒絶してる感じだ。 楽になりたい、楽になりたい、と心のなかで何万回呟いたか分からない。 経営の神様、どうか俺を楽にしてやって下さい。
お寺や神社の境内には死者を供養する塚や碑が建っていることがあるが、なかにはヒト以外の生き物を弔うものもある。 それは犬や猫といったペットを供養するものだけでなく、「うなぎ」や「カエル」の塚など意外なものも多いのだ。 「えっ、そんなものまで!」と、古人の慈悲深さに思わず胸打たれる供養塚。それが立てられることになった背景とともに紹介しよう。
2016 - 01 - 11 「隣組」が残ってるのは相馬地方だけ? 相馬に住んでいたときは全然不思議に思わなかったけど、結婚していた時に冠婚葬祭などで妻と一緒に相馬に帰省したときに妻に驚かれたことがある。 それは「隣組」の存在。相馬には今も隣組が残っている。 隣組とは 江戸時代には農村や町に「五人組」と呼ばれる連帯責任・相互監察・相互扶助の組織があって、これが末端組織としてお互いを監視したり助け合っていたことは歴史の教科書にも書かれている。 隣組は、この五人組の慣習を利用する形で、戦時色が強まりつつあった1940年に内務省が訓令した「部落会町内会等整備要領」によって全国に組織された。 5軒〜10軒くらいの家を中心に、物資の配給や供出を行う単位であり、銃後の生活を支える住民互助の組織であったが、同時に住民同士が相互に思想を監視し合う役割を負っていたとされる。 隣組の歌 同1940年に隣組の普
野党統一候補、政治団体で=選挙運動に有利−参院選 夏の参院選で「野党統一候補」として擁立する市民団体系の無所属候補を集め、政治団体を設立する構想が野党内で浮上している。一定要件を満たした政治団体から立候補すれば、ポスターの掲示など選挙運動で、政党の公認候補と同等の条件で戦えるためだ。政党色を薄め、安倍政権に批判的な無党派層を取り込む狙いがある。 民主党の 岡田克也 代表は8日の記者会見で、政治団体設立について「全くの無所属より、選挙活動の幅が広がり、手段も増える」とメリットを強調した。共産党や維新の党もこうした動きを歓迎している。 公職選挙法は、事前に「確認団体」として総務省に届け出た政党・政治団体に限り、参院選期間中のポスター掲示やビラ配布などを認めている。確認団体の申請には、全国で候補者が10人以上いることが条件だ。これを満たせば、政党要件を持たない政治団体も比例代表に候補者を擁立
岡山大(森田潔学長)の大学病院幹部が著者に含まれる医学論文について、研究不正の告発を受けて調査した学内の調査委員会が、実験画像の切り張りを確認したものの、本来必要な生データとの照合をしないまま「不正なし」と結論づけていたことが分かった。調査報告書は文部科学省や告発者に提出されたが、切り張りや生データについての記載はなく、別の論文でも実験条件を示した画像説明に食い違いがあったのに問題視しなかった。 同大医歯薬学総合研究科の教授2人が複数の論文について告発し、調査委が昨年3月に結論を出した。研究不正についての国のガイドラインは、不正なしと判断された場合は調査結果を公表しないと定め、大学も公表しなかった。
憲法改正の是非を決する年が来た。大災害等に対応するための緊急事態条項の追加のみが予定されているといわれているが、それが「お試し改憲」と称されるように、すぐ後ろに9条ほか主要条文の抜本的変更という「本丸」が控えていることは疑いようがない。すでに公表されている自民党改憲案からすると、「戦後」70年維持してきた平等・平和・人権の基本理念を大きく変えるものになる。 そしてその始まりは今月の宜野湾市長選挙だ。なぜなら今日において、中央政府が意図的に見えないふりをしているのが沖縄と福島の県民にほかならず、基地と原発が問うているのは、先に挙げた憲法理念そのものだからだ。そしてこれは、そのまま憲法と直結する。こうした状況の中で、ジャーナリズムのありようがより一層大切になるだろう。その意味で、年末に大枠が決まったとされる消費税軽減税率について、与党合意で宅配の新聞が対象とされたことについて、いま一度きちんと
寄稿 作家・中村文則さん 僕の大学入学は一九九六年。既にバブルは崩壊していた。 それまで、僕達(たち)の世代は社会・文化などが発する「夢を持って生きよう」とのメッセージに囲まれ育ってきたように思う。「普通に」就職するのでなく、ちょっと変わった道に進むのが格好いい。そんな空気がずっとあった。 でも社会に経済的余裕がなくなると、今度は「正社員になれ/公務員はいい」の風潮に囲まれるようになる。勤労の尊さの再発見ではない。単に「そうでないと路頭に迷う」危機感からだった。 その変化に僕達は混乱することになる。大学を卒業する二〇〇〇年、就職はいつの間にか「超氷河期」と呼ばれていた。「普通」の就職はそれほど格好いいと思われてなかったのに、正社員・公務員は「憧れの職業」となった。 僕は元々、フリーターをしながら小説家になろうとしていたので関係なかったが、横目で見るに就職活動は大変厳しい状況だった。 正社員
長いです。 ついさっき、イケダハヤトって人について書いた記事を読んでたんすけどね。 あ、俺も昔ちょっとブログやってたことある人なんですけど。 あれつくづく俺と対極にいる人なんだなあと思いました。 個人的な感情としては「そこまでしなきゃマネタイズできないとか向いてないからやめたほうがいいよ」としか思わないんですけども、同時にだれもが文章一本で金とれるわけでもない、ということもよく知っています。 俺はかなり自覚的なアマチュアリズムの信奉者でした。書籍化とかまあそういう話もそこそこあったんですけども、一度の例外を除きすべて断ってます。まあ商業に乗っかることのめんどくささってのがいちばんでかいんですが、それ以上に俺には「自分の文章を換金する」気がかなり強固な意志としてなかった。ブログでもそれを鮮明にしていたはずです。 アマチュアリズムというとかっこよく聞こえるんですが、要は「無料なんだからなに書い
オッカム @oxomckoe 僕が初めて内地に上陸したのは、高校の修学旅行で青函トンネルで青森を通った時。衝撃だった。日本昔話で見たような風景。こんなに違うのかと思った。その後、さらに東京や京都に行ったのだけれど、僕は「青森と京都の違いは誤差だな。どっちも完全に日本だな」と思った。これが異邦人の視点なんだな。 2016-01-08 01:45:32 オッカム @oxomckoe 僕は高校時代、古文・漢文が最強得意科目でセンター試験模試も本試験でも失点してことがない。国文科に進学しようと思ってた。『伊勢物語』読んで恍惚として。でもどうも自分は古典文学を根本的に分かってなかったと修学旅行で気づいたんだな。季節とか花とか。僕の人生にはいつも文化が立ちはだかる。 2016-01-08 01:54:34
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