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ブックマーク / discontinuous.blog44.fc2.com (7)

  • にくきもの 急ぐことあるをりに来て、長言するまらうど。あなづりやすき人ならば……::不連続な茶飲み話

    2009-07-04 PSJ渋谷研究所X: 教えて、元増田 女帝も裸だ!:王様は裸だ!Annex:So-net blog  などを読んで、最近のネット上でニセ科学対策活動の様子を見ていて感じることについて感情的、かつ乱暴なことをつらつらと書こうと思います。「感情的」なのは実際読んでいただくとして、「乱暴」というのは、ニセ科学対策をされている複数の方々の発言を繋げてあれこれ思っていることを書くということを指しています。  たとえて言うなら、大槻教授の発言を元に「これだからニセ科学対策は〜」と言っているような形になっているかもしれません。  ネット上で見られる「ニセ科学対策活動」を、ぼんやりとした目で眺めてみるとこういう風に見えてしまうのですが、という話です。  「ニセ科学批判まとめ」にはこんなことが書いてあります。 また、これとは全く逆に「ニセ科学を吊るし上げて仲間内で楽しんでいるだけ」と

    kamezo
    kamezo 2009/07/09
    〈ここまでくるとニセ科学対策が云々というよりは「ネット上の議論には(私にとって)不愉快なものが多く、ニセ科学に関する議論も残念ながらその例外ではない」〉
  • 線を引く::不連続な茶飲み話

    kamezo
    kamezo 2009/05/21
    一般論としては、そういう構図はあり得るだろうなとは思う。/当該のエントリとコメント欄に適用できるのかどうかは、まったくわからないのだけど(なにしろ一方の話が皆目読み解けないままで・汗)。
  • 急がないとだめですか - 不連続ブログ

    「鳥飼日記」というところで水伝に触れたエントリを読みました。 1つ目:鳥飼日記: 水は字を読めるし、感情がある 2つ目:鳥飼日記: 2月12日のブログに対する科学的見地からのコメントについて 3つ目:鳥飼日記: 「水は字を読める・・・」のブログへの反響が大きい  1つ目を読んで更に2つ目を読んだ時、素直な感想は「良かったですね」でした。ブログ上の流れは、 水伝を不用意な形で取り上げる  ↓ コメント欄で水伝を批判する文書へのリンクが張られる  ↓ 両論併記 という形になっています。  1つ目のエントリを読んで「水伝は当かもしれない」と思う人もいるかもしれませんが、そんな人の目に付くところに科学的な見地からの批判があるというリンクが貼られました。  またブログを書いている方自身も「ある写真を見て、それが真実らしいことを知った。」という主張から「水が字を読めるとする人とそれを批判する人がある

    kamezo
    kamezo 2009/02/24
    性急な評価への危惧。一般論としては同意できる。/法曹人にはどうしても「事実に基づいて判断をくだす能力」を求めてしまうかも。/弁護士は裁判官ではない(無関係か?)。/教員のような動機が想像しにくいとか。
  • おお、科学、科学、どうしてあなたは権威なの?

    kamezo
    kamezo 2009/02/01
    仮に「死は不可逆変化である。また、人は誤りを犯すものだ。したがって、自分を含めて誰に対しても死を与えるべきでない」とした場合、自然科学の知見を道徳の根拠にしたことになるか。「ある道徳を裏付けた」程度?
  • よく分からなくなってきた(のではなく、きっと最初から分かっていなかった)

    kamezo
    kamezo 2009/01/25
    コメント方法が見つけられなかったので、うちに書いた。わかりにくくてすいません。http://shibuken.seesaa.net/article/112862099.html#comment
  • 物語の約束ごと

    以下、あまり当てにはなりません。 物語を読む場合には、書き手と読み手との間に一定の約束ごとが共有されている状態が望ましい。この約束ごとには、 ・作品の世界設定に関する約束ごと ・作品が描きたいことに関する約束ごと の2種類があるように思う。  作品の世界設定に関する約束ごとが書き手と読み手との間で共有されていない例として、たとえば次のような場合が考えられる。 「この間、イソップの『アリとキリギリス』を読んだんだけどね」 「うん」 「キリギリスが夏の間鳴いているのは生殖に必要だからであって、『遊び呆けている』と言われる筋合いのものではないと思う。そもそもキリギリスの成虫の姿を冬に見かけないっていうのは、彼らの生活環がアリとは違うんだから仕方ないよ。キリギリスは卵の姿でちゃんと冬を過ごすんだから」 「いや、あれはそういう話じゃないから」  「アリとキリギリス」の世界設定では現実に生きるアリや

    kamezo
    kamezo 2008/12/30
    批判批判というより「なぜ受容されたか」についての考察か/〈自己啓発本として見る限り〉自己啓発本というのは物語=フィクションなのか?/というか宿命的にファンタジーにならざるを得ないジャンルなのか?
  • おいしいおむすびの作り方 - 不連続ブログ

    科学とか偽科学とか、というのはこのブログで使用しているカテゴリ名ですがpoohさんのところでニセ科学批判の第一人者であるきくちさんが、ある発言なり主張なりが科学に踏み込んでいるかということについてこのようなコメントをされていました。 冒涜がまたひとつ 「科学の問題であるかどうか」は、提唱者が「科学」と呼んでいるかどうかではないですよね。再現可能な客観的事実として提示されているのであれば、ポエムと呼ぼうがなんと呼ぼうが、科学者の検討対象になります。「物質の性質についての事実の言明」であるかぎり、そうなります。 もうひとつ言うと、彼らの白衣と顕微鏡と冷凍室というセットアップは「科学に見せかけるための道具立て」なわけだから、「ニセ科学」と呼ばれてもしょうがないでしょう。 自称「ポエム」なだけです。   by きくち (2008-06-15 23:54)  更にそのことについてtakesanさんが

    kamezo
    kamezo 2008/10/23
    まさか『斜陽』が出てくるとは。条件づけは確かに微妙。でもそれ、科学を装っているわけじゃないですよね。事実として語っているのかも怪しい。確証もなく物質的特性の変化として説明するなら、ニセ科学かなあ。
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