1 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/02/19(火) 14:26:46.52 ID:FnWzlSgS0
About Creodocs Ltd.Creodocs Ltd. is a small business based in New Zealand, developed and operated by the founder, Vel. The focus of the company is on using LaTeX to create high quality documents for business, academic and personal use. Creodocs Ltd. consists of: LaTeXTemplates.com (launched 2012) LaTeXTypesetting.com (launched 2013) Creodocs.com (launched 2021)
2012年のネットは、リア充だった リア充だったなぁ…… 2012年のネットを振り返ると、ため息をつきたくなる。ひきこもり型ネト充の筆者としては、ゆゆしき事態だ。リア充こわい。 リア充とは、「リアルが充実している人」の略。2007年ごろに流行し始め、今はネットスラングとして定着した。部屋で1人パソコンに向かい、毎日ネットという仮想世界に入り浸っている筆者のような“ネト充(ネット充)”の対義語で、友人がたくさんいて恋人もいて、社交的で、現実社会=リアルの生活を楽しんでいる人たちのことだ。こわい。 2012年にネットで流行ったネットサービスは、リアル社会と密接に結びついていた。スマートフォン向けメッセージ&通話サービス「LINE」は携帯電話の番号を知っている“リア友”同士で使うサービスだったし、Facebookは実社会の人間関係図をそのままネットに引き写し、学歴や社名などリアルのプロフィールま
26日に発足する安倍政権のイデオロギーについては、「戦後レジームからの脱却」であるとか「改憲」といった右派的なものがあるのは明らかです。今回の総選挙の結果も、そうしたイデオロギーの匂いへの漠然とした承認と我慢というのが一応は前提になっていると言って良いでしょう。 民主党政権に比べるとイデオロギー的に相当に右に寄っている印象の次期安倍政権ですが、それでは、問題になっている中国や韓国との関係は、更に日本側として強硬になり、対立がエスカレートするのでしょうか? どうも違うようです。 少なくとも、韓国に関しては朴槿恵(パク・クンヘ)次期大統領との「新政権同士」での「関係改善」が模索されるというのは既定路線になってきているようです。懸念された、韓国の新大統領就任式(2月25日)の直前にカレンダー上「竹島の日(2月22日)」が避けて通れないという問題も、今年については、この「竹島の日」の行事をトーンダ
東京都や国による尖閣諸島購入が賑わっていますね。都や国に強く反対する理由もないですが、国際法上疑いなく我が国の施政下にあり実効支配している領土ですから、藪を突いてわざわざ蛇を出すようなことしなくてもなぁ、とも思います。もちろん、日本国内の問題に中国が容喙してくることが問題といえば問題なのですが、相手がそういう態度に出ることが分かっていながら、実効支配している側が事態を紛糾させるきっかけをつくるのもあまり賢明だとも思えません。今回は地権者の事情もあるようですので、都知事閣下のいつもの単純な愛国的発想というわけでもないのかもしれませんが。 尖閣諸島問題は当ブログでもこれまで何度か取り上げてきましたが、私は日中が抱える諸問題のうちでもかなり日本有利な案件だと理解しています。ですので、法やシステム、設備等の整備・向上は必要ですが、とりたててこちらから騒ぎ立てることはない、と考えています。 本稿では
GNU sed 4.2.2 released, and a rant from the maintainer GNU sed 4.2.2のリリースに合わせて、メンテナーであるPaolo Bonziniが、GNU sedを含むGNUプロジェクトのメンテナーをやめると発言している。さらに、その理由について書き立てている。 私はGNU sed 4.2.2を喜ばしく発表する。 喜ばしからぬ発表として、私はGNU sed(8年間)とGNU grep(3年)のメンテナーから降りる。私はさらに、Autoconf, Automake, Libtool, gnulib, libsigsegv, Bsionのコミットアクセス権も放棄する。 GNUメンテナーと外部の者に告ぐ。この発表や、Nikos Mavrogiannopoulosの発表、gnutlsの移行は、驚くにあたらない。 gnutls is movin
※このブログは自分が思ったことを書くブログで、何かに反応をするのはやめようと思っていたんですが、やっぱり気になったので少し趣旨を曲げてこの記事を書いています。 昨日エンジニアよ、ゼネラリストなんて目指すな!という記事が少し話題になっていました。 私のソーシャルグラフだと周りにエンジニアが多いですが、この記事に反応しているのはエンジニアが多かったように思います。 そしてだいたい否定的な反応でした。 ところで以前技術評論社のサイトで、達人が語る,インフラエンジニアの心得という連載をしていました。 タイトル通りインフラエンジニア固有のトピックが多かったですが、エンジニア全般、たまには社会人全般に当てはまるような回もありました。 第4回 エンジニア不足を解消しよう 第6回 エンジニアのための「超」資格論 第9回 金勘定とエンジニア といった記事はインフラに限らずエンジニアに当ては
・「散歩」というのは、人間の歴史のなかでも、 ある時代に新しく生まれた文化だろうと思います。 たぶん、ある時代まで「散歩」なんてなかったでしょう。 目的も順路も決まってなくて、あちこち見ながら歩く。 これは、なかなか高度な文化であるような気がします。 理由があって、目的地があって、そこに向けて歩く。 それが、たぶん歩くことの基本なのだろうと思います。 しかし「散歩」には目的地はいらないし、 そこまではやく到着する必要などもない。 目的に対しての「途中」こそが「散歩」ですよね。 考えてみると「旅」というものにも、 目的地やそこに行く目的があるかもしれませんが、 ほんとは、その「途中」の時間を「旅」と名付けて たのしんでいる文化なのではないでしょうか。 これについては、それほど簡単には言えませんが、 「恋愛」というのも「途中」の文化のような気がします。 「旅」なんかと同じように「目的」もあるか
今回はちょっと、主に漫画研究者へと向けた更新です。 泉信行の漫画研究ではたびたび言及され、中心的とも言えるのが「漫画に描かれたものの左右の向き」というテーマです。 泉信行(2005年〜) ネット上では2005年6月に発表、商業では同年12月から『ユリイカ』誌上で研究を展開してきました。 基礎原理の追究から応用法の発見、具体例の分析など、幅広く記述されています。 ネギま!で読む「ネームの文法」 - ネギま!で遊ぶ ユリイカ2006年1月号 特集=マンガ批評の最前線 青土社 2005-12 売り上げランキング : 406967 Amazonで詳しく見る by G-Tools ユリイカ2007年9月号 特集=安彦良和 『アリオン』から『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』まで 青土社 2007-08 売り上げランキング : 327445 Amazonで詳しく見る by G-Tools ユリイ
「原稿書かなきゃいけないんだけどなぁ」とか言いながら現実逃避で読んでいた本「心は病気―役立つ初期仏教法話〈2〉」に心に刺さる言葉があったのでここに書いておく。 正確な引用ではないので、正確な言葉が知りたければP.60から3ページくらいを読むとよい。 人間が自信をなくす原因は、自信の持ちすぎである。 自分が「この程度の仕事サクッと終わらせられる」と思っているのに、実際にやるとうまくいかないとき、人は自信をなくす。 「抜群のスピーチをしよう」と思って、実際にはうまく喋れなくて、自信をなくす。 妄想の中の自分が事実に反して素晴らしすぎるから、その「妄想の中の素晴らしい自分」が振る舞うように振舞おうとして、できないので苦しむ。 「自分の仕事に自信がない」というのは、奇跡的な成功を頭で妄想しているせい。現実の自分ができるようにしかできない。できることをすればよい。「自分は精一杯やった」と思える状態を
タイトルはパクリ。 二つの疑問 タイトルを読んだ人の反応は、主に次の二つに分かれる*1だろう。 「訊く」が正しいなんて思っている人がいるの? 「たずねる」という意味では「訊く」が正しいんじゃないの? まず、「訊く」が正しいなんて思っている人がいるの? という人に対して。 本当にいる。 Yahoo! 知恵袋の質問から引用。 聞く・聴く・訊く・・・「きく」の使い分けについて 噂を聞く (中略) 道を訊く 上記例で使用例は合っているでしょうか? 訊 字は、たづねるの訓があり、訊問(じんもん)という言葉もありますから、人に問うの意味で使うと考えて良いでしょう。 (中略) 質問者さんの挙げた例は、正しく使い分けられています。 こういう人は実際に「訊く」が正しいと思っているということだ。 そして、「訊く」が正しいんじゃないの? という人に対して。 小説から少し引用する。 まず、「坊っちゃん」の冒頭部分
2012-11-12 ウン、ソウダネ、ワカルヨ ほんとは帰宅するなりすぐに寝なきゃいけない感じなのですが、帰宅してすぐに寝るという、あの「仕事以外は全部寝る」の感じがたまらなくいやなので、なんか書いてから寝ます。 さて、世のなかにはおばちゃんという人種がいる。 やつらは社交のプロだ。いつも笑顔をもって他人と接し、決して人とのあいだに波風を立てず、話題のないところには天候の話題でもなんでも話題を作り、子供がそばにいれば興味関心を示してやり、なにか不都合があると社会とかいう大雑把なものに責任を転嫁し、そこに共感を作る。家族のことはとてもたいせつにしているから、利害の対立にも鋭敏であり、一定以上に自分に不利なことがあるとさっと身を引いておためごかしを言う。やつらは他人を否定しない。自分を卑下し、他人を立てる。本音はどこにあるのかわからないが「丸く収めたい」という部分が本音であることはまちがいない
【MLB】すれ違いの6年。理解されることのなかった松坂大輔の「美意識」 webスポルティーバ 10月12日(金)19時8分配信 松坂大輔と初めて出会ったのは、彼が18歳のときだ。あれから14年が経ち、松坂は32歳になった。 高校生の頃から今に至るまで、松坂と接していて、いつも思うことがある。 それは、超一流のプレイヤーにありがちなコンプレックスの類を、彼からはまったく感じたことがないということだ。わかりやすいところで言えば、体が小さいとか、家が貧しいとか、野球界のエリートコースを歩めなかったとか、超一流の域に達したプレイヤーから話を聞くと、望むと望まざるとにかかわらず子どもの頃から背負わされた何かしらのコンプレックスがあったんだろうなと想像させることが珍しくない。そうしたプレイヤーほど、負の感情をバネに天井を押し上げ、屋根を突き破って、無限に広がる大空へと飛び立っていくものだ。 しか
とは劇作家オスカー・ワイルドの言だが、 俺はまったくその通りだと思う。 およそ、世の「作画崩壊」だの「脚本が矛盾してる」だの「設定と違う」だの「作風と合わない」だのというのは まさに先のワイルドの言葉に凝縮される。 想像力が欠けているから一貫性・統一性・無矛盾などというものにその拠り所を求める。 その方が考えなくていいから。 無批判に一貫性に従っていればいいから。 もし 「この作画はキャラデザと違う、統一性がないものだからダメだ」 とか 「この脚本は矛盾していて理解できない」 とか 「原作の作風と違うから見てられない」 とか そういう風に感じたのなら、想像力が弱まっているかもしれないと考えた方が良い。 「作画崩壊だ!」などと騒がない方が良い。 それはつまり 「自分は想像力を欠いた人間だ!」と叫んでいるようなものだから。
選挙に出馬する際に必要となる供託金制度について、高額だと批判している人々がいるようである。具体的には「供託金600万円 出馬足かせ 脱原発団体「高いけど集めるしか」」(東京新聞)あたり。確かに実際問題として高いは高いのだが、ずいぶんとその経緯をはしょった記事だなあと思うこと若干。 第一に、供託金値上げの背景にあったのは選挙ゴロの活動である。どういう人種かというのは、たとえばWikipedia日本語版でもこのあたりとかこのあたりを読むとよいのだが、要するに「反共」を看板として掲げ・当選ではなく他候補の選挙妨害を目的に活動するヤカラであって、その標的は主として革新候補であった。つまり本来この値上げは真面目な市民運動家や革新政党の候補を守るためのものだったんだけどね、という話。 高額の供託金+没収という制度設計もそこに由来している部分があり、つまりたとえば一定の有権者署名を集めるという代替案は可
数日前に、「タイトルの一部をホモに変えるとこわい」という遊びがTwitterで流行して、そのときのトレンドに入ったことがあった。名が知られた作品のタイトルの一部を「ホモ」に取り替えて遊ぶという他愛ない内容であるが、ぼくはこれに反発して、このように書いた。 オタクが社会の底辺だなんて大ウソ。もっとひどい扱いを受けているひとはたくさんいて、それに加担しているオタクも大勢いる。たしかにいわれない偏見の被害者になることも多いけれど、他者に同様の偏見を抱いているひとだって少なくないはず。被害者意識ばかり高まらせるのはどうかと思うなー。 「タイトルの一部をホモに~」みたいな残酷な遊びを見ていると『りはめよりも100倍恐ろしい』という小説のタイトルを思い出す。つまり「いじり」は「いじめ」より100倍恐ろしい、という話。本人たちは気軽な「いじり」のつもりでひとを追い詰める。 たとえば「タイトルの一部をオタ
マルチエンディングシナリオのゲームをアニメにする際の工夫についてと,今のトレンドみたいなもんを書く. 書く内容は下記な感じ. 従来型のアニメ化手法とその問題点:串団子型(KANON,東鳩) 主人公の負荷分散 主人公の分割というアイディア:キミキス,俺たちに翼はない しめ縄型というかオムニバス形式:アマガミ,ヨスガノソラ 過負荷でも耐えられる主人公 解脱する主人公:祝福のカンパネラ トレンド ターン制の廃止と戦略の高度化:ましろ色シンフォニー,恋と選挙とチョコレート 従来型のアニメ化手法とその問題点:串団子型(KANON,東鳩) KANON(東映版2002年〜)とか東鳩(1999年)とかは,まさに串団子型のアニメであった. 主人公が,複数のヒロインを一人ずつ攻略していく……というマルチエンディングシナリオのゲームのアニメ化,そのまさに典型である. 特徴としては以下のような傾向が見受けられる.
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く