歴代のビルボード・チャートをもとにポピュラーソングの曲名に最も使われた単語を年代ごとにまとめたリストが話題に。1890年代から2010年まで10年ごとに単語を集計しています。各年代で1位となったのは「Uncle」「Gems」「Blues」「Moon」「Polka」「Christmas」「Baby」「Woman」「Love」「U」「We」 大き目の画像は以下で http://thisisnthappiness.com/post/105375502014/hell-yeah-fuck-die
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Webで10年近く前に「Japanese only」は「日本語だけ」という意味でなく「日本人以外お断り」の意味になっていますよと指摘され、「Written in Japanese」や「Japanese version only」などが常識化したということを合わせて書いた方が良かったと思う。Webで「Japanese only」と書いていた人の多くが、「せっかく訪れてくれたけど日本語だけです。ごめんね。」という気持ちを込めて使っている人たちがほとんどだった。つまり、差別の意図がなかった。単に英語が苦手だっただけ。 (追記)なので、差別の意図なき「Japanese only」には代替策提示すれば解決ではないかと思う。逆に代替策を提示できないならば、非日本人話者に対するコミュニケーションコストを支払えない店に「差別はダメだ」と言っても何の意味もないと思う。 朝日新聞:「ジャパニーズオンリー」店に
(プログラマー以外の普通の人も是非見ていってください) プログラミングをしていると様々な英単語と出会いますが、そこで使われる単語の意味は日常的に使われる意味のごく一部だったりします。プログラミングでしか使われない意味だけを覚えていると、実際に英文を読むときに困ったりします。この記事では、今まで私がプログラミングで出会った英単語のうち、他の意味もちゃんと知っておいたほうが良いと思ったものをまとめました。一問一答のクイズ形式です。 しかし、タイトルで「プログラマーが間違えやすい」と書きましたが、書いていくにつれてプログラミングとあんまり関係なさそうな単語も並べてしまいました。プログラマー以外の人も自分の語彙チェックとして利用してもらえれば幸いです。 問題文は、格言・名文から引用すると印象に残って良いかなぁと思い、BrainQuotes から殆どを持ってきました。By~が明示されてないものは自分
そうだよなあと思って青空文庫から用例をいくつか引いてみた。 芥川龍之介「本の事」(大正10年) 英吉利の古代演劇史を知るものには、これも噴飯に堪へないかも知れない。 芥川龍之介「梅花に対する感情」(大正13年) 予は常に確信す、大正の流俗、芸術を知らず、無邪気なる彼等の常談を大真面目に随喜し渇仰するの時、まづ噴飯に堪へざるものは彼等両人に外ならざるを。 坂口安吾「意識と時間との関係」(昭和2年) そのためには噴飯の資になることも快く甘じて受けたく思ひます。 坂口安吾「ピエロ伝道者」(昭和6年) 竹竿を振り廻す男よ、君の噴飯すべき行動の中に、泪や感慨の裏打ちを暗示してはならない。 北大路魯山人「料理の秘訣」(昭和8年) みな出鱈目だ。昆布だしの取り方はもちろん、煮だしの取り方を知らない。だから、用いる分量なども当てずっ法だ。これで料理経済を語るなどは噴飯ものである。 太宰治「駈込み訴え」(昭
当「再来一杯中国茶」は「中国の人と」「お茶を飲みながら」「じっくり話し合う」コラム。私がさまざまな縁で知り合った一般の中国人との会話を取り上げてきたのだが、今回は日本語学が専門の日本人、筑波大学・矢澤真人教授にお話をうかがうことにした。 矢澤教授は、大人気ブログを書籍化したベストセラー『中国嫁日記』と同じ作者による『月(ゆえ)とにほんご 中国嫁日本語学校日記』(井上純一著、アスキー・メディアワークス)で日本語の監修をつとめた方で、もちろん中国にも詳しい。このマンガは40歳オタクの日本人男性のもとに嫁いできた20代の中国人嫁が、都内の日本語学校で日本語を学ぶ中でのとまどいやドタバタを描くもの。主人公の中国人嫁、月(ゆえ)さんが「なんで日本語は○○なの?」とか「日本語の○○な表現はおかしい!」と素朴に感じた疑問を、マンガとマンガの間で矢澤教授が解説するという形になっている。 今や在日の全外国人
使い慣れた道具の構造が分かり、より効果的に扱えるようになる。これまでヒューリスティックに馴れていた手段が、一つ一つ狙い撃ちできるようになる。こいつ片手に、そこらのラノベを魔改造したり、漱石や維新を読み直したら、さぞかし楽しかろう。 レトリックというと、言葉をねじる修飾法とか、議論に勝つ説得術といった印象がある。もちろんその通り。アリストテレスによって弁論術・詩学として集大成され、ヨーロッパで精錬された修辞学は、言語に説得効果と美的効果を与える技術体系だ。 だが、「技巧や形式に走る」といって、棄ててしまったのが現代なのだと弾劾する。ものには本名があるから、妙に飾らないで、本名で呼ぶのがいい……そんな俗物的な言語写実主義の教訓が、私たちの楽天的すぎた科学主義=合理主義=実用主義と混ぜこぜになって、言語感覚を狂わせたのだという。 できあいの言語をじゅうぶん便利なコミュニケーションの道具と信じ、形
なぜ広まった? 「『訊く』が正しい」という迷信 - アスペ日記 を読んで。 「お前はまた何故結婚なぞしたのだ?」と、スクルージは訊いた。 ディッケンス Dickens 森田草平訳 クリスマス・カロル A CHRISTMAS CAROL(昭和4年) 上に引用した『クリスマス・カロル』には、「訊く」、「訊いた」、「訊ねた」という言葉(表記)がたくさん用いられている。"ask" の意味で「きく」を表すときに、「訊く」を用いる典型的な例である。 では、日本文学ではいつの時代からこの用法は広まったのだろうか。 ちょっと興味を持ったので、青空文庫からいくつか調べてみた。 「どうしたの」と訊(き)くと、 「お留守番ですの」 「姉は何処(どこ)へ行った?」 「四谷へ買物に」 田山花袋 蒲団(明治40年) 僕の知る作家では、田山花袋が一番古い。(これ以前の使用例があったらご教示願いたい。) では、夏目漱石は
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