第1部 リチャード・ジュエルさんに聞く 「河野義行さんとお会いしたい。オリンピック(五輪)をゆっくり楽しむどころではなかったので、長野五輪へ行って五輪を楽しみたい」。 一九九六年八月初めから是非会いたいと思っていた人が目の前に現れた。大リーグのアトランタ・ブレーブズの野球帽をかぶって現れたその人こそ、リチャード・ジュエル氏(三四)だ。一九九六年七月二七日、米国ジョージア州アトランタの五輪記念公園で起きた爆弾事件の犯人であるかのように全世界に報道された警備員である。 ジュエル氏はマスメディアの取材を原則として断っているが、私の取材意図を理解してくれて、九七年三月二七日と二八日の二日間にわたって、合わせて約五時間インタビューに応じてくれた。場所はジュエル氏を支えてきたワトソン・ブライアント弁護士の法律事務所と郊外のレストランだった。 日本のジャーナリスト、研究者がジュエル氏にインタビューしたの