多分稚拙な陳腐なものしか書けないだろうけれど、稚拙な「きをふし」論」に挑戦。目的は自分の中に生まれたあるひとつの疑問から。 わたしがとらえている「きをふし」におけるおおまかな特徴。 「きをふし」は、言葉で伝えようとするときに、伝える言葉の概念を一度壊して組み立てる。 きをふし日記:2006年03月07日(火) さて、ここからが「日記書き」きをふしの魅せどころ。絞る。練る。編む。限界まで率直な事柄を、限界まであいまいな表現でしたためる。恥らう僕の照れ隠し、および! 僕というひとを彼らに伝える、構造そのものへの揺さぶりかけ。なーんてのは、言い過ぎだ。 「文脈争奪戦」について わたしとあなたの文脈争奪戦 /故詠みのベル わたしが、わたしの世界において、わたしが感じるものを、「きをふし」が編み出したものから見いだしていく。 そこで道しるべとなっていくのが記載されていく「言葉」であって、それは理解に