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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (28)

  • 夢十夜を十夜で/高山宏: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いいがあるのではない。いい読書があるだけなのだと思う。 いいがあったら教えてくださいと言われることは多いけど、そんなことは教えられるものではないとなかなか教えられるものではないと思う。いいかどうかは読書する人次第であって、結局は読む人が自分が読みたいと思うを読む以外に、いい読書をする方法はないと思います。 勉強のためにを読む場合でも実はおんなじだ。 勉強したい分野にあわせて、読むを選ぶのはいまどき間違いだと思う。 さまざまな領域で専門分野なるものが瓦解している現在において、ある領域の知を得るためにその領域の専門書を読むというのはナンセンスだということに早く気づいたほうがいいと思います。 当に何かを学びたければ、好きな内容のを読み、そこで感じたことを自分の学び

    夢十夜を十夜で/高山宏: DESIGN IT! w/LOVE
  • 空から女の子が降ってくる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 さっき、こんなのを見つけました。 【降臨賞】空から女の子が降ってくるオリジナルの創作小説漫画を募集します。 条件は「空から女の子が降ってくること」です。要約すると「空から女の子が降ってくる」としか言いようのない話であれば、それ以外の点は自由です。 「空から女の子が降ってくる」というと、僕は田中優子さんの『江戸の想像力』の表紙にも使われている、浮世絵師・鈴木春信の「清水の舞台から飛ぶ美人」を思い出します。 無重力の世界の「動き」と「軽さ」の表現1765年に発表されたこの錦絵は、恋の成就を祈って清水の舞台から飛び降りる少女を描いたものです。春信の錦絵はそれまでの浮世絵のような役者絵や遊女絵でもなく、古典世界を題材にした「見立て絵」だったそうです。春信の「清水の舞台から飛ぶ美人

    kanimaster
    kanimaster 2009/01/10
    昔から、女の子は空から降ってくるものと決まっていたようだ。
  • 「あれもできる、これもできる」ではなく「あれもできない、これもできない」、しかし・・・: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 他人の話の文脈をとらえたり、あるいは、自分自身の考えや仕事がどういう文脈にあるものなのかを理解したりするのが苦手な人が多いように感じます。 相手の話や自分の思考の文脈さえ捉えられないのですから、もっと捉えにくい行動のコンテキストはまったくといっていいほど、捉えられません。 でもね、それで困るのは、西林克彦さんが『わかったつもり 読解力がつかない当の原因』で書いているように、<文脈がわからなければ「わからない」>からなんですよ。物事の読解力に欠けてしまうんです。 僕自身、そんな風な印象をもっているので、書家の石川九楊さんが『縦に書け!―横書きが日人を壊している』に書いているこんな文章もすごく納得感を感じます。 遠近法の欠如と併せて、距離感のなさも目につきます。たとえば道路

    kanimaster
    kanimaster 2008/01/30
    「文脈が読めない」のと「ありきたりな文脈の中でしか思考しない」のは別問題では? いろんな事柄を一つの記事に詰め込んでいる感じがする。
  • 「わかる」ためには引き出しを増やさないと: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 年末に「創造性を高めるために必要なもの」というエントリーを書いたときにも言いましたが、記憶の引き出しが多いってことがいかに大切かってことを最近身に染みて感じています。 なんで身に染みるかはまたおいおい書くことにしますが、ここで明確にしておきたいのは、自分の記憶の引き出しが多くないと、どんなに「わかる」機会を与えられても「わかった」という結果を得る確率が高まりませんよってことです。 そんなことをあらためて書こうと思ったのは、今日、会社の後輩に、問題解決と問題の定義の効率について質問されたからです。 「ある問題があったときにパッと解決案が出てくるのはなんでですか?」 「引き出しにある過去の経験から引っ張ってくるから」 「でも、どの解決案が適切かを判断するためには、相手が何を問題

    kanimaster
    kanimaster 2008/01/10
    途中で引用されている三角形の図の意味がさっぱりわからない。僕はこういう図案のたぐいを認識するのが苦手なのだと思った。
  • 普通にできることのレベルをあげるための練習:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日の「「考える」方法を学ぶ」に関する補足です。 物理的なアウトプットのすべてが必ずしも表現の結果だとは限りません。 物理的なアウトプットというと何か頭のなかにあるものを表現することだと思ってしまうかもしれませんが、僕は物理的なアウトプットが必ずしも表現だとは限らないと思っています。 いや、むしろ、身体を通じて物理的につくりだされるものの多くは表現ではないほうが多いはずです。身体は意識を媒介せずに実に多くのものをアウトプットしてくれるんだと思う。 それは表現技術ではなく、また違った身体能力で、「頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない」で引用した原研哉さんのクロッキーの話は、むしろそういう文脈で読まなくてはいけないんだと思います。 最初はや

  • 「考える」方法を学ぶ: DESIGN IT! w/LOVE

    「考える」努力をしていないなんて思ってるわけじゃないと思うんです。 いや、「Fw:当に考えたの?(それは「考えた」と言わない。)」で引用した森博嗣さんの「当に考えたの?」というエントリーのことですけど、 こういうのは、僕の場合「考えた」とはいわないのである。 といっても、森さんは別に「考えていない」とか「考える努力をしていない」なんてことを言っているわけではないはずです。 森さんが言いたいのは、むしろ「努力は認めてもその考え方では考えはまとまらないよ(あるいは、まとまっても非効率だよ)」ということを学んでほしいということなんだと思うんですよね。 考えるのにはもっと効率的な方法があるよねということだと思います。 あの書き方だと、そう思えないことがあっても仕方がないのかもしれませんが、僕が引用した箇所には、すくなくとも「学生に」という条件指定があります。 であれば、学生は森さんとの関係にお

  • Fw:本当に考えたの?(それは「考えた」と言わない。):DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない」でアウトプットを積み重ねることの大事さを書きましたが、森博嗣さんがまさにドンピシャなことを書いておられたのを知ったのでここで転送(元ネタはschtarkさんのブックマークより)。 学生に「考えてきたか?」と尋ねると、「考えましたが、ちょっと良い案を思いつかなくて」と言う。「じゃあ、悪い案を幾つか見せなさい」と言うと、きょとんとした顔で、「いえ、悪い案も思いついていません」と言う。「考えましたが、まだ、ちょっとまとまらなくて」と言うから、「では、まとまらないものを見せて下さい」と言っても、たいてい見せてもらえない。 こういうのは、僕の場合「考えた」とはいわないのである。 「いろいろ考えてはいるんです

    kanimaster
    kanimaster 2007/12/20
    仕事術としては正しいかもしれないけど、同意できない部分が多い。
  • ボキャブラリが少なければ他にどんなすごい技術を身につけても仕事はできないのかもしれない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「語彙が少ないと仕事の能率もわるい?」というエントリーで、ある企業が工場で働いている人の仕事の能率が悪いので国語力のテストをしたら驚くほど語彙が少なく、これはマズいと思い国語教育をすると、その人たちが国語が少し面白いくらいから俄然仕事の効率がよくなったという話をしました。 そのことが昨日、今日と気になっていたのですが、自分で使えるボキャブラリが少ないってのは想像していた以上に致命的に仕事ができる/できないということに関係しているんだなと今日あらためて実感しました。 ボキャブラリが少ない人が仕事ができない3つの理由ボキャブラリが少ない人が仕事ができなくなる確率が高い理由としてはおそらく以下の3つが主なものとしてあげられるんだと思います。 他人が話している言葉も馴染みがなくぴん

  • 橋は30年周期で失敗し、伊勢神宮は20年ごとに遷宮される: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日、紹介したヘンリ・ペトロスキの『失敗学―デザイン工学のパラドクス』には、重大な橋の失敗(崩壊などの事故)が、1847年、1879年、1907年、1940年、1970年、そして、1999年のロンドンのミレニアム橋まで、ほぼ30年周期で起こっていることが紹介されています。 橋はなぜ30年周期で失敗するのか?なぜ橋の失敗が30年周期で起こってきたのか? 最初にこの現象に気づいた研究者、ポール・ジブリーとアラステア・ウォーカーは、次のように説明しているそうです。 すなわち、30年というのは、あるひとつのプロジェクト、または、一連の関連プロジェクトで働いている人々が作り成す技術文化の中で、およそ、一世代のエンジニアが次の世代に置き換わるのに要する時間だというのである。新しい、また

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    kanimaster 2007/08/16
    技術を次世代に伝承するということ。面白い。
  • 形式知と暗黙知(っていうか直接話をきいてやれ): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 あのね、文書にできる情報、言葉に書き出せる情報ってごくごく限られてるわけですよ。 なんでもかんでもWeb上で情報共有できると思ったら大間違いです。 (ごめんなさいね、今日はちょっとキレたモードですので、言葉が強すぎるところもあるかもしれません。そのあたりはごめんなさい。) よく形式知と暗黙知っていう区別がされますよね。言葉として形式化できる知識と身体で覚えているために形式化がむずかしい知識があるわけです。 で、当然ながらWeb上に情報として載せられるのは形式知のほうだけです。それは暗黙知が言葉にだせないというよりもコンピュータの計算的思考では表現できない生物特有の記憶の仕方がされているからで、その記憶のされ方はまだ解明されていない。とうぜん、解明されていないものがコンピュー

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    kanimaster 2007/07/02
    直接話をするのは、会話が苦手な人には不利。また年齢が離れていたりすると困難だと思う。
  • 「ユーザビリティ=使いやすさ」なんて誤訳をいつまで放置するのか?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 さてさて、ここ最近のエントリー(「答えはユーザーが知っている」など)では、奥出直人さんの『デザイン思考の道具箱―イノベーションを生む会社のつくり方』、トム・ケリーの『発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法』を読み進みつつ、デザインによって「イノベーション」を生み出す「デザイン思考」「デザイン戦略」という考え方、それを実現するための「創造のプロセス」、そして、実際のプロセスの中で使われる「フィールドワーク」「プロトタイプ」「ユーザーテスト」「ブレインストーミング」などの手法を紹介してきました。 社会に新しい価値をもたらすイノベーションを技術ではなくデザイン思考で創造することを目指し、そのためにユーザー中心のデザイン・プロセスで、観察

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    kanimaster 2007/03/12
    ISOの定義を見ても、誤訳とはいえないと思う。
  • 意思を形にするWebのデザイン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ひさしぶりにWebの話を。 みなさん、Webサイトのデザインするとき、どうしてますか? ちゃんと意思を形に落とし込むようにしてますか? クライアントのサイトをデザインする際に、クライアントがユーザーに届けたいと思っている意志をデザインしようとしてるでしょうか? 意思があるのに表現できない場合と言われても困ってしまう方も多いのではないかと思います。 困るのは、きっとクライアントが意思を明確にしてくれないからではないでしょうか? 困ると思った人のなかで、クライアントの意思ははっきりしてるけど、どう表現したらいいかわからないと思ってる人はちょっと努力や勉強が足りないですね。 マーケティングや企業コミュニケーションに関するを読んで、企業と顧客をはじめとするステークホルダーとのコミ

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    kanimaster 2007/03/08
    後半がさっぱりわかりません。
  • 僕がWebやブログを見ていて悲しくなる7つの場面:DESIGN IT! w-LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 こんなときは涙が出そう。 1.「所詮、○○だからねw」とかという記述をみつけたときごめん。それで何かを言った気になっているのでしょうか? いまどきニヒルを気取ってでもいるのでしょうか? というか、そういう他人を見下した態度するあなたはどなた?と感じます。 2.他人のブログへの批判的なコメントが完全に手のひらにのっちゃってるとき誰かが他の人のブログに批判的なコメントをしているんだけど、それが批判対象となっている人が書いている内容にすでに織り込まれていて、完全に相手の手のひらの中で遊ばれちゃってる状態なのを見つけたとき。それ、懸念事項に含まれてるよ、なんで批判するならもっと脳みそ使ってからにしなかったのかなって感じちゃいます。 3.エントリー内の文章の比率として言い訳がかなりの

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    kanimaster 2007/01/19
    タイトルに数字を入れるのは基本ですね。
  • 人生においてタギングは不可避:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 これ、お気持ちはよくわかります。 人というものは誰しも一言で説明が足りるような単純な像物ではないし、単純化しようとするとどうしても「記号」に頼らざるを得なかったりするものです。例えば「職業」であったり「好きなスポーツ」であったり「98年MBA取得」であったりはたまた「乗ってる車」であったり・・・。でもそういう「わかりやすい記号」で人は人を理解しようとしてしまう。そこに一番の危険な「分かったつもりの見当違い」が潜んでるのだと。 さつませんだい徒然草:タギングについて(ディスプレイの向こうには生身の人間がいる、ということ)。 確かに、僕自身、自分の書いたエントリーにつけられたタグを見て不快に感じたりすることもあります。それは自分自身の評価ではなくてもそう。たとえば、「あとで読ん

  • 読みやすさとわかりやすさ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 時々、自分の書く文章が読みづらいんじゃないかと思うことがあります。あまりに多くのことを欲張って詰め込もうとうとするのが読みづらくなってしまう一番の原因かなと思ったりします。かといって、「捨てられない」人なので、どうしても思いついたことを詰め込もうとしてしまうし、些細なところも気になって説明しようとしてしまうので、なかなか簡潔な文章は書けませんね。 の読みやすさとわかりやすさところで、最近、を読んでいて、そのがわかりやすいということと読みやすいというのは違うものなのかなって思いはじめています。 たとえば、いま『祖先の物語』を読んでいるリチャード・ドーキンスのはどれも、僕にとってはとても読みやすいんです。平易な言葉遣いもそうですが、全体的な話の進め方なんかもテンポがあっ

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    kanimaster 2006/09/29
    文章は読みやすいけど、この記事はさっぱりわからないです。
  • ブログを書けない人に共感できる部分: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 皆さん、ご存知のとおり、僕自身はまったくあてはまらないのですが、ブログを書けないっていう人にもちょっと共感する部分があったりします。 どういう時に共感を感じるかというと、PodcastとかVideocastとかをイメージしたときです。 ブログは書けても、PodcastとかVideocastとかは自分じゃハードルが高いなって感じる。それは恥ずかしいとか、めんどくさいとか、何をPodcastやVideocastにしていいかわからないとかいうのとは、ちょっと違う。「恥ずかしい」を除いた部分はちょっとはあるんだけど、根的なのは、自分がテレビとかラジオとかを見たり聴いたりしないからなんだと思います。YouTubeすら見ないから、そもそも動画系のコンテンツにリテラシーは結構低いんだろ

  • 文章教室: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 1 課題① 『私はなぜ文章を書きたいと思うのか』 課題② 『私とは誰か-自分史として自己を見つめる、見つめ直す-』 2 最初はといえば、園芸。 <桜子は出来の良い娘だったので、友人や知人の受験生の母親のように、ハラハラしたり>心配やら気をつかうあまりのノイローゼ気味になるという、家中挙げての<これは当に戦争なのよ、とつくづく感想をもらす友人の気持も味わうことはなかったし>国立大学に現役で合格してすぐに自分で手続をすっかり済ませて奨学金を受ける資格もとり、まったく<青春を謳歌>しているように見えた。 僕は大学生の頃、この『文章教室』をはじめとする多くの金井美恵子作品に「書くこと」を学ばせてもらいました。 『軽いめまい』『明るい部屋のなかで』『道化師の恋』など、金井美恵子さん

  • 上村愛子ブログ炎上~しかし、謝罪の上、閉鎖はせず: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 多くの大企業と比べても、よっぽどブログスフィアや現在のネットの生態系をよく理解した上での適切な判断だといえるんじゃないでしょうか? モーグルスキー日本代表、上村愛子さんのブログが炎上した。亀田興毅選手の試合について「当に感動しました」などと感想を書いたのがきっかけだ。1,500以上のきついコメントが寄せられ、「上村はひどく衝撃をうけていた」(所属事務所)が、「ファンとの接点を維持するため」(同)、ブログは閉鎖せず、カキコミもそのままにした。

    kanimaster
    kanimaster 2006/08/10
    炎上後の対応が見事。NTTのmixiコミュ閉鎖などと比較。
  • 他者に対する想像力(ブログを書く上での責任): DESIGN IT! w/LOVE

    僕がブログを書くときに「あまり考えずに」書きつつも「何も考えずに」書いていないというとき、最低限、考えているのはこのことだったりします。 公開される文章なので、自分で書きたいことは書きつつも、やはり読まれる方の気持ちは考えて書くようにしています。 もちろん、どんなに視野を広く持とうと意識だけは高くても、想定できていなかった人の立場までは汲み取れず、他人を不快にしてしまうことを書いてしまうことは、僕にもあります。 でも、できるだけ誤解を与えないようにと思いますし、コメントやトラックバックでそうした点を指摘していただいた方には、できるだけ自分の側の足りなかった部分を認め、誤解を解いていただけるよう、補足を補おうと思っていますし、自分では少なくともこれまでそうしてきたと思っています。 それは責任であり、責任と呼ぶのは起こったことを他者のせいにするのではなく、自分の落ち度を事後的にでも認められる準

  • 本に線を引くことがはじまり: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ちまたで「どうやってブログを書くか」という話題が盛り上がっているみたいだ。 というわけで、この際、僕もそれに乗っかっておくことにする。 と思いつつも、実は自分がどうやってブログを書いているかは、あんまり人の参考にはならないような気もしています。 「最終防衛ライン2 - 皆さんの記事の書き方を知りたいな」の用意してくれているフォーマットにあわせるなら、 1. 記事を書くモチベーション最初のモチベーションに関係なく、よっぽど身体的に疲れてたりしない限りは、どんな精神状況でも。 むしろ、書くときのモチベーションがどうかより、書いたあと、一定のモチベーションにもっていきたいので書くのかも。 2. 記事のタイトル大抵はエントリーの中身を書き終わったあとでテキトーに決めてます。 あんま

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    kanimaster 2006/08/02
    「書いたあと、一定のモチベーションにもっていきたいので書くのかも。」