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ブックマーク / mubou.seesaa.net (87)

  • 読書感想文「なんか」と言われてしまう現況は、非常にもったいないと思うんだ: 不倒城

    まず最初に、@daichiさんのこのツイートがある。 読書感想文なんかより要約やらせたほうがよほど国語力伸びる気がする。書いてあることを書いてあるとおりに読めない人がちゃんと書けると考えるのなかなか難しい。要約が大事というのは全くおっしゃる通りであるし、書く前にまず読解から、という点にも異論はない。「今の学校教育における読書感想文」を対象にすれば、@daichiさんの言うことは実に正しいと思う。 ただ、私は来「読書感想文には読書感想文にしか出来ないことがある」筈だし、もっと教育としてやりようがあるだろう、要約は要約で勿論必要だけど、「読書感想文なんか」と言わせてしまうのはいくらなんでも勿体ないだろう、という意見をもっている。 ちょっとこのエントリーではそれについて書いてみたい。 昔話から始める。 小学校の頃、それなりに気合の入った読書感想文を書いたことがある。確か、クラスの課題図書は、ケ

  • アーティストに対する「一発屋」という揶揄は何故発生するのか。: 不倒城

    このエントリーを読んだ。 三木道三が一発屋としてからかわれている件 無知を晒すことは重要だと思うので堂々と晒してしまうが、私は三木道三というアーティストを知らない。ただ、私が知らないミュージシャンはそれこそ多士済済だと思うので、これは驚くには当たらない。単純に私が無知なだけである。 ただ、この記事で提起されている問題点についてはなるほどなと思ったし、面白いとも思ったので、ちょっとそれについての感想を書いてみたい。 関西クラブミュージックシーンで三木道三ほど音楽に貢献した人を誰一人悪く言わないのに対して、カウントダウンチャートを上からとりあえず聞いてる「自称」音楽通に限って一発屋の三木道三をバカにする両極端な土壌が出来てしまった。 ここから僕は「そもそも一発屋とは何か」というのがわからなくなってしまった。 そもそも、なぜ、みんなは一回でも「音楽的表現の流通」に成功した人を笑うの? なにを笑っ

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    kanimaster 2012/12/06
    おっとハックル先生の悪口はそこまでだ。
  • 選択問題で、「間違いの選択肢に注目する」という教え方をしていたので晒してみる: 不倒城

    試験勉強のお話である。 その内自分の子どもに教えることになるかも知れないシリーズ。思い出したので忘れない内にメモしておく。既出かどうかは知らない。 学生の頃からやっていたことなのだが、選択問題を解く際、ちょっと難しい問題だなと思った時には、5つのステップに分けて勉強していた。で、自分が勉強していたやり方を、家庭教師や塾講師のバイトで教えてみたら、これがそれなりに評判が良かった。 主にセンター試験対策で、現代文・古文の文章題を解く時に使っていた勉強法なのだが、多分ある程度一般化出来ると思う。下のようなやり方だ。 1.選択問題を解く 2.正解がどれだったか、それが何故正解だったのか、を確認する 3.正解以外の選択肢に注目して、「それは何故間違いなのか」を重点的に確認する 4.出題者が、「どういう間違え方を期待して」その選択肢を作ったのか、を考える 5.自分ならばどういう問題と選択肢を作るか?を

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    kanimaster 2012/10/09
    教習所の学科試験みたいな方法。
  • 「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と聞かれた時、言葉を尽くせない大人が知性を殺す: 不倒城

    ちょっと前、「子どもに「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と言われた時、「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」と返すのが最強」とかいうコピペをみて、心底アホかと思った。まさか親や教育者が気にはしないと思うが、こういう一言は容易に知性を殺す。 「お前は何の役に立つの?」という言葉には、勿論「お前も今は役に立たないけれど、将来は役に立つだろう?それと同じだ」という含意があると思われる。子どもはこの含意を理解しない。「お前は役に立たない」と受け取る。これは、言ってはいけない言葉だ。こういう言葉が、子どもから学習自体を奪う。 子どもはどんな時に「こんなこと勉強して何の役に立つの?」というかというと、要はその分野が面白くない時、意味が分からない時、とにかくその勉強をしたくない時に言うのであって、つまり「どんな役に立つのか」→「役に立たないでしょ?」というのは勉強しないことの理由づけないし

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    kanimaster 2012/06/01
    実学主義。
  • 「マックで隣の女子高生が」メソッドと「友達が言ってたんだけど」メソッドは厳密に区別しなくてはならない: 不倒城

    ちょっと気になった記事があったんだけど、反応が遅れすぎてもう3週間前くらいに終わった話のような気がしていた。今確認してみたら、一応まだ一週間経ってなかった。 久々に見た「要は、勇気がないんでしょ?」メソッドはやはり自分にとって胸糞悪かった 多分もう500記事くらい議論され尽くしていると思うので、一点だけ、議論の質からは200海里程外れた話をする。 「マックで隣の女子高生が」メソッドと「友達が言ってたんだけど」メソッドは厳密に区別しなくてはならない。 「マックで隣の女子高生が言ってたんだけど」という枕詞を冠につけるというメソッドは、その質はギャップ効果であり、もう少し言ってしまえばネタであり、発言の責任を他者に転嫁するという機能は、全くない訳ではないのかもしれないが、基的には副次的効果である。 マック女子高生メソッドの威力 言ってしまえば、ここで現れる「マックの女子高生」という物体は架

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    kanimaster 2012/03/14
    しんざきさんはマックに行ったことないんじゃないかな?
  • ラピュタには何故自爆コマンドが用意されているのか: 不倒城

    バルスのことなんですけど。 大多数のネットユーザー諸兄はご存知かと思うが、バルスは天空の城ラピュタにおける「滅びの言葉」である。劇中ラストシーンにおいて、家伝の飛行石を手にしたシータとパズーが「バルス!」と叫ぶと、なんか飛行石がやたら光ってムスカさんが目が目が星人になったりラピュタがぶっ壊れたり、色々とエラいことになる。 「バルス=滅びの言葉」という図式の定着度・認知度はWeb上では恐ろしい程であり、ラピュタ放映時には実況板が「バルス!」の書き込みとAAで埋め尽くされるという。 まず考えなくてはいけないのは、このバルスという命令は一体何の為に用意されたAPIなのかということである。 ラピュタは人工物なので、当然設計者や開発者がいた筈である。そして彼らは、管理権限キーっぽい小さな飛行石に、複数のコマンドを用意している。「困った時のおまじない」であるとか、「滅びの言葉」がそれである。飛行石を身

  • 今だからこそ、「実名/匿名」問題を個人的に総括してみる。: 不倒城

    早い話、「実名/匿名」という基準と、「責任/無責任」という軸を結びつけて語る時代はとっくの昔に終わった、という話に落ち着くんじゃないかと思う。 先日Twitter周辺で、「匿名批判」を声高に論じている人を久々に見かけた。その際、この人は何をいっておるんじゃろうな、みたいな違和感を感じたので、ちょっと自分の中でその違和感をまとめてみたくなった。今更なあ、と自分でも思わないでもないが、整理の為ということでご容赦願いたい。 以下はおはなしの要点。 ・匿名批判の中核は、実名を出すかどうか、ということよりも「発言にリスクをとっているかとっていないか」「発言に責任をとっているかいないか」という部分にあると思う。 ・しかし、実名であること、匿名であることがどの程度のリスクになるか、というものは人それぞれであって、責任ある発言・無責任な発言を保証するものではない。ありふれた名前の人、珍しい名前の人、実生活

  • 何故ロボットアニメのタイトルには、「漢字数文字 + カタカナ」というものが多いのか。: 不倒城

    ふとしょーもないことが気になった。既出かどうかは知らない。 端緒になったのは下記の記事である。 リメイクしてほしい80年代名作ロボットアニメランキング うーむ、顕著だ。何が顕著かって、挙げられているタイトルのフォーマットである。 100機動警察パトレイバー 89.7装甲騎兵ボトムズ 69.2聖戦士ダンバイン 53.8伝説巨神イデオン 48.7魔神英雄伝ワタル 46.2六神合体ゴッドマーズ 46.2戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー 46.2ゴッドマジンガー 43.6太陽の牙ダグラム 38.5銀河漂流バイファムトランスフォーマーとゴッドマジンガー以外は、全てが「漢字数文字 + カタカナ」という枠におさまり(ダグラムがちょっと微妙だが)、その全てが「主役級メカあるいは主役キャラ」をカタカナ部分に据えている。 まあ、主役メカや主役キャラがタイトルにくるのは当然っちゃ当然として、この「漢字数

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    kanimaster 2010/11/09
    アメリカのTVドラマの影響もありそう。「宇宙家族ロビンソン」、「名犬ラッシー」、「鬼警部アイアンサイド」……。
  • 「ドラえもん」と「キテレツ大百科」の比較論。: 不倒城

    言うまでもなく、「ドラえもん」と「キテレツ大百科」はいずれも藤子・F・不二雄先生の代表作の一角である。この二作は、色んな点で相似しており、かつ色んな点で相違している。 この二作の似たところ、違うところを分析してみると面白そうな気がしたので、ちょっとこのエントリーでまとめてみる。原作版とアニメ版を厳密に区別していないことについては予めお断りしておく。長文なのでお暇なときに。 以下はWikipediaの参照URL。ちなみに、作品の成立自体はドラえもんが1970年、キテレツ大百科は1974年で、キテレツの方が新しい。 Wikipedia:ドラえもん Wikipedia:キテレツ大百科 ○この二作が似ているところ。 ・主要キャラクターの配役。ドラえもんにおいてはのび太・ジャイアン・スネ夫・しずかちゃん・ドラえもん、キテレツ大百科においてはキテレツ・ブタゴリラ・トンガリ・みよちゃん・コロ助と、配役は

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    kanimaster 2010/08/24
    ブタゴリラとゴリライモ(ど根性ガエル)は、キャラがかぶっていると思う。
  • 「テレビに出られることが報酬」という意識について。: 不倒城

    いつものことだが、特に一般化するべき話題ではない。こんな考え方もあるのか、という程度で。 先日、某テレビ局に勤務している知人と話す機会があった。というか、とある飲みの場で一緒になった。 あまり世評がどうとかメディアがどうとかいう話にはならなかったのだが、ふとした拍子に「インタビューに対するインセンティブ」という話題が持ち上がった。通常、たとえば街頭インタビューなどで顔を晒してインタビューに応じている人は、顔を晒すというリスクの割に殆どインセンティブを受けていない。これは何故なのか、あるいは遠からずインセンティブを生じないインタビューというものは難しくなるのではないか。そんなことについては以前から考えていた。 それに対する回答がこうだった。「いや、テレビに出られるってことが十分インセンティブになるだろう?」 直感的には、私はその回答は余りにも時代錯誤だと思ったのでそう指摘したし、それ程深まり

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    kanimaster 2010/05/18
    テレビにちょっとでも映ると、それほど親しくもない人たちからやたらと電話がかかってくるこの状態をなんとかしたい。
  • 「一般化しないと情報の価値が上がらない」という錯覚: 不倒城

    が、どこかにあるような気がする。 ライフハックもの記事とか増田とか見ていると、Webではどちらかというと特殊論よりも一般論の方が受けがいい様な印象がある。「誰かの個人的な話」よりも、「その個人的な話から導かれる、皆の為の一般論」の方が座りがいいというか、目に触れやすいというか、もっと端的に言うとブクマされやすい。 例えば「○○の為の×つの方法」みたいなものはその典型で、「誰かが考えて、その誰かにとって役に立った方法論をなんとなく一般化してみました」というものが多い気がする。ライフハックを否定する気は全くないけれど、その中には「個人的な問題を無理矢理一般化」したものが結構含まれている。 ライフハックに限らず、「綺麗にまとめる為に、個人的な問題を無理矢理一般化」という風潮は割とあちこちで見られる気がする。特殊な事例から一般論に帰納するという思考法は大事なものではあるけれど、特殊論で済ませても良

  • 長野で熊に遭遇した話。: 不倒城

    熊を見たことがある。 10年近く昔の話だ。当時の私には若干の放浪癖があり、ふとした拍子に何の脈絡もなく遠出をすることが珍しくなかった。そんな折、「そうだ、オコジョを見に行こう」と思いついた私は、バイト代と最低限の着替えだけをリュックに放り込んで、何の下調べも大した準備もなく長野県は上高地に足を運んだ。山を舐めていると言わざるを得ない。 ちなみに、私が上高地という地名を知っていたのはこの絵の舞台だからであって、それ以外の理由は何一つない。 オコジョには逢えず、熊に逢った。 季節は夏であった。私は確か、明神池というところを過ぎて、徳沢という方へ向かうルートを歩いていた筈である。あんまり暑くなくて助かるなーと思いつつ、いかにもゴツゴツとした林間の坂道をてくてくと歩いた。周囲に人は殆どいなかった。大体の観光客は河童橋というところで留まるらしく、私の様な無謀な性格をしたぽっと出の含有率は少なかった

  • とある飲み会で、「面白いこといえる様になりたい」っていう人と話したのだが: 不倒城

    なんだか聞いていると、「面白くないこと」を言うことを凄く恐れている様だった。 そもそも「面白いことを言える様になりたい」という発想自体がよく分からないっちゃ分からない。別にネタ芸人やって生きてる訳じゃあるまいし、静かに飲む酒にも味がある。彼は確かにあまり口数の多い方ではないし、私は彼と静かにぽつりぽつりと飲むのも割と好きなので、むしろそういう欲求を彼が持っていることの方に意外さを感じた。身勝手な意外さなのだろう。 ただ、敢えて「面白いことを言う」ということについて考えてみると。話が面白い人ってそこまで面白くないことも実はたくさん言っていて、でもそれを全然恐れていないから、結果的に「面白い言葉」が映えている様な気がした。 「面白い話をする人」は、多分純度100%で面白い訳ではないのだ。ただ、彼らは「面白くないことを言うこと」を恐れない。 多分色んな理由があるんだと思う。数うちゃ当たる的な側面

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    kanimaster 2009/08/27
    「ウケたい」気持ちよりも「すべりたくない」気持ちのほうが強いと思うんだけど、それでは解決しないんだよね。
  • 余りに典型的な「がんばり過ぎて潰れちゃった人」を眼前で見た。: 不倒城

    隣の部署だけど。 どうすれば良かったんだろうなあ。というか、私にはどうにか出来たんだろうか。 元気の良い挨拶をする人だった。歓迎会の飲み会の席ではあちこちに酒を注いで回っていた。年は、正直よく知らないが、多分私と同じかちょい下くらいか。20代だと思う。 隣の部署の部長さんに、「役員から振られた仕事、期間に対して決してNOといわない」「それをそのまんま部下にブン投げする」という傾向があるのは前から分かっていた。余計なことだろうなあと思いつつ、割と面と向かってその辺を指摘したこともあったが、返ってくるのは苦笑だけだった。自覚がない訳がないし、その人にはその人の事情があるのかも知れない。だからいいって話でもないが。 ある程度その辺の事情を把握している隣の部署の部下の人々は、適度に「無理です」を返して自分の裁量内で仕事をバランシングしていた。残業時間が社内トップな部署であることに変わりはなかったが

  • 「あなたはターゲットじゃないですよ」と言われる時。: 不倒城

    メモ的に。 Webが日常的なものになって以降、「マスマーケティング(一般的な、広い範囲のユーザー層を狙った商法)は次第に難しくなっており、ニッチを確実に狙ったマーケティングやCRMの活用が重要になりつつある」、という議論は割と一般的なものになっている様な気がする。「マスマーケティング web」でぐぐるだけで、この手の議論はごろごろ出てくる。こことかこことか。 上の議論が正しいのかどうかは、ひとまずおく。ただ、上の議論が正しいものと考えて販売戦略を練っている人、というのは、おそらく割とたくさんいるんじゃないかなあ、と思う。 乱暴に概括してしまうが、「皆に浅く受けるものより、一部の人を確実に捉える」もの作り、売り方にシフトしようという動きは、今では珍しいものではない筈だ。 さて。上記の動きはまあ妥当なものだとは思うのだが、これをユーザー視点で捉えた議論は意外と見ない。上の動きって、ユーザーから

  • ところで、「感想文を評価する側」はどうなのよ?: 不倒城

    ちょっと斜め上の話になるかも知れないが。 子供にも広がるコピペ症候群~『考える』の空洞化(2) 子供にも広がるコピペ症候群…読書感想文を公開・学校提出用に丸写しを公然と認めるコピペ推奨サイトまで出現 学生のレポートや読書感想文にコピペが蔓延している、というお話。見た感じネット批判テンプレの延長に見えるが、まあそれについては今更だしどうでもいいや。 この手の話をする時、「評価する側」のスキルについて触れられているのを見たことがないんだけど、その辺どうなんだろうな。 当たり前だけれど、「書く」ことと同程度、あるいはそれ以上に、「書かれたものを評価する」ことは難しい。「文章について妥当な評価をする」スキルを身につけることは、「整然とした文章を書く」スキルを身につけることより、多分遥かに難しい。 知り合いの編集者さんから聞いた話なのだが。「ある作家さんが売れるかどうか」を評価することは、当たり前だ

  • 「物語に「銃」を持ち込む方法論」について、取り敢えずのメモ書き。 : 不倒城

    ちょっと気になった記事があったので、取り敢えずメモ的に。後でちゃんと考える。 ファンタジー世界の脱中世化 私はかつて、似た様なテーマに関する話をとある編集者さんに聞いたことがある。お一人から聞いただけなので、どこまで実際に即しているのかは知らない。 曰く、「物語に「銃」を持ち込む方法論」について。 ごくごくはしょって書くと、こういうことになる。 ・かつては、「道具(例えば銃)」と「舞台」に統一性を求める強制力というか、暗黙のお約束みたいなものがかなり強く存在した。 ・その為、物語の作り方としては、「「銃」を使ったキャラクターを書きたいなあ」→「ってことは舞台は現代か近未来だな」的な思考法になった。まずキャラクター、及びキャラクターの属性(銃使いとか剣使いとか))を規定してから他の部分を考える、という物語の作り方、及びその方法論である。 ・それに対し、ある時点から「まず舞台、というかお話の種

  • レトロゲームでよく見かける現実では使わない言葉: 不倒城

    昔の少女漫画でよく見かける現実では使わない言葉 なんとなく面白かったんだけど、私は少女漫画にはあんまり知識がないから、「レトロゲームでよく見かける現実では使わない言葉」を幾つか妄想してみたよ。 ・「くっ!ガッツがたりない!」 ・「そのほうこうにはだれもいない。」 ・「へんじがない。ただのしかばねのようだ。」 ・「たいほしろ」 ・「たたかう」 ・「お、おのれー!」 ・「しんでしまうとはなさけない!」 ・「そうびしないといみがないぜ」 ・「コインいっこいれる」 ・「よくぞここまでたどりついた!」 ・「いしのなかにいる!!」 ・「ほかにすることはないのですか」 ・「くにへかえるんだな おまえにもかぞくがいるだろう」 ・「ドアノシュウリダイヲモラウゾ 」 ・「PUSH START.」 ・「ワシは宇宙の帝王ザカリテ」 ・「たわむれは終わりじゃ」 ・「ながいたびが はじまる…」 ・「おびただしい りゅ

    kanimaster
    kanimaster 2009/04/05
    オレサマ オマエ マルカジリ。
  • 新聞社の赤字が勘違いを呼んでいる様な気がする: 不倒城

    痛いニュース:“若者、新聞読まない…”朝日新聞に続き、毎日新聞・産経新聞も半期赤字転落 …「新聞の危機」いよいよ表面化 かなり強烈な違和感。痛いニュース、というか2chソースだから仕方ないといえばそうだが。 コメントの論調を見ていると、「捏造」だとか「内容の偏向」という話を持ち出す向きが支配的だ。つまり、基的にはコンテンツの内容に原因を求めている。 ただこれ、どっちかというと新聞の収益構造を根的に見直さなくちゃいけないねであるとか、バカみたいに色々やっている事業をちょっとは整理しなくちゃいけないね(参照:毎日新聞:社会に貢献する文化事業と楽しいスポーツ事業)という話であって、コンテンツの話は無関係ではないにせよ、むしろ二次的な話なんじゃないかと思った。 現在の形態の総合新聞が売れなくなるなんていうのはもうまるっきり既定路線なのであって、それに付随して広告収入もオンラインに絶賛流出中なの

  • 結婚式とは、人生最大にして、多くの人にとっては唯一のコスプレ会場である: 不倒城

    軽くマジレスしてみる。 結婚式って何のためにするの? 一回やれば、「うん、そんなに何度もするものじゃないな」と思って夫婦共にリトライする気をなくせるからやっとけばいいと思うよ!思うよ! というのはまあ置いといて。 新婦は、きれいなドレスを着飾って、自分が主役になれる事が満足なのかもしれない。日常生活で輝いている彼女だから、結婚式で見せかけだけの主役になりたいなんて考えてるはずないと思ってた。見せかけだろうがなんだろうが、パートナーを「主役」にしてあげるのはもう一人の仕事だと思うんだけれど、この増田結婚式以上に「奥様が主役になれる場面」を作ってあげる自信があるんだろうか? 自意識がどうとか面倒な話は抜きにして、やっぱり、相手が胸を張れるステージを作ってあげることって大事だと思うよ。胸を張っていられる、胸を張っていられた記憶があるっていうのは幸せの重要な要件の一つだもの。内助の功とか古臭い言