英国のウィリアム王子とケイト・ミドルトンさんの結婚は、来年 4月 29日にロンドンのウェストミンスター寺院で行われると発表された。おめでたいことである。私なんかがどうこう言っても仕方ないことだが、ここでお祝い申し上げる。 で、今日の話題は非常に細かいことで、ウェストミンスター寺院はキリスト教の施設なのに、どうして「寺院」というのかということである。こういうことになると、どうでもよさそうなことが気にかかるというのは、私の業のようなものなので、ちょっとお付き合い願いたい。 日本では一般的に、「寺」とか「寺院」とかいえば仏教関係のもので、「神社」というのが神道関係のものと理解されている。しかし子細に見ればそうと言い切っていいわけじゃない。イスラム教関連の宗教施設も「寺院」と称することがあり、キリスト教関係でも、このウェストミンスター寺院だけでなく、セントポール大聖堂のことをセントポール寺院と言っ
最近の「洋楽/邦楽」の分類に、違和感ありまくりである。レコードショップに入ると「邦楽」という分類でものすごい数の CD が売られているが、その邦楽というのは、私としては「洋楽」という分類に入れたいものばかりなのだ。 近頃、日本人が作って日本人が歌う楽曲はすべて「邦楽」というジャンルに入れられてしまっている。しかし私にとっての「邦楽」というのは、箏曲とか、長唄とか、文楽とか常磐津とか清元とか、はたまた端唄とか、そういうものなのである。宇多田ヒカルの歌が「邦楽」とは、いくらなんでもおかしい。 私の「邦楽」というもののコンセプトを形成したのは、NHK がかつて放送していた『邦楽百選』という番組である。今はなくなってしまったようだが、この番組では日本の伝統音楽の名曲を紹介してくれていた。その多くは踊りもつけて放映されたので、なかなか風情のあるものだった。 要するに、私にとっての「邦楽」のイメージと
この世には 「瞬間接着剤」 というものがあって、本当にあっという間に、しかもごく少量でものすごい接着力が発揮されるようなのである。テレビ CM をみると、まさに鳥肌が立つほど感動的ですらある。 例えばこんなのとかである。 まさに信じられないような、驚異の接着力がアピールされている。 しかし、私は自分でこの瞬間接着剤を使ってモノをくっつけることに、まともに成功したことがないのである。本当に生まれてから一度もうまくいったことがない。あれは、自分の指以外はくっつかないものだと思っている。 あれって、まともにくっつけるためにはものすごい「コツ」みたいなものがあるんだろうか? しかし、CM をみる限りでは、本当にごく無造作にひょいひょいっとくっつけている。とくに変わったことをしているようには見えない。 ウェブをいろいろ当たってみると、あれはごく少量の接着液でないといけないらしい。あんまりたくさんの液
辛もの好きの私は、近頃 「島とうがらし」 という調味料が欠かせなくなった。ラー油とかなんとかいうのより、辛さに嫌みがなく、すっきりして、しかもしっかりと辛いのである。 ちいさな瓶のなかに、これまた小さな島とうがらしの実がぎっしりとつまっていて、液体部分は泡盛であるらしい。で、この液体部分のみを、料理にふりかける。私はなんにでもふりかける。みそ汁でも、ラーメンでも、野菜炒めでも、とりあえず適当にドバっとふりかけると、えもいわれぬ辛さが味わえる。 泡盛が少なくなったら、その辺で売ってる安物の泡盛を足せばいい。中の島とうがらしの実がふやけて、色がなくなってしまうまで、かなり長いこと繰り返し使える。なかなかおおざっぱな調味料なのである。 ちなみに、この島とうがらしというのは、島言葉では 「コーレーグス」 というらしい。語源には諸説あって、「高麗草 (こうらいぐさ)」 から来たというのが有力だが、そ
例の件で、最終的なご報告。 市議のパクリ記事の話を某有力地方紙にたれこんだ人があり、その地方紙はさっそく市議に取材して、7月 17日付の小さな記事として掲載した。その紙面の写真を撮影してくれた方があり、おかげで私は遠く離れたつくばの地でその記事を読むことができた。 念のために書いておくが、紙面の写真を撮影してくれた方は、地方紙へのタレコミをした人とは全然別人である。たまたまその地方紙を購読していて、記事を見つけられたのである。 私の住むつくば辺りでは、その地方紙を入手するのが困難で、しかもその地方紙の無料閲覧ウェブサイトはすべての記事をアップロードしているわけでもなく、当然ながらそんな小さな記事は載っていない。この方が写真を撮ってくれなかったら、大きな図書館まで足を運ばなければならないところだった。本当に感謝である。 記事では、市議の昨年 10月 15日付のブログ記事の内容と構成が、茨城県
例のパクリ市議の顛末を報告したい。この件が、鳥海山を庄内とは反対側から見る県の、結構名を知られた地方紙の編集部の知るところとなり、記者が市議にことの次第を取材したようだ。 「自分のブログに盗作記事を掲載した市議が、元記事を書いた茨城の男性(つまり、私のことね)の抗議により、記事を削除し謝罪した」 という事実関係をごくあっさりとレポートする記事は、明日付で載るらしい。 発端からこれまでの推移は、私のブログを順を追って読んで頂ければわかる。 某市議さんに、記事をパクられてしまった 某市議さんに、記事をパクられてしまった その 2 パクリはほとんど常習犯である 私としては、この問題でことさらに騒ぎ立てる意志はなく、この市議さんにメールで パクリ記事の削除 私のブログへの謝罪コメント (匿名でも OK) 匿名謝罪の場合は、メールでその旨を通知してもらう (確認のため) という 3点を求めた。この時
我ながら人の悪いことかもしれないが、この記事はあくまでも一般論とお断りしておいて書く。 ブログを読んでいて、「あれ、この人のこの記事、パクリじゃん!」と気付いたら、その人の他の記事もパクリじゃないかと疑ってみるのは、あながち無礼とか不自然なこととかいうわけじゃない。 そして私の経験則から言うと、ブログで他人の記事をパクるような人というのは、たいてい常習犯である。決して「ふと魔が差して」とか「つい、出来心で」なんてもんじゃない。つまり元々知的所有権ということに関する認識がグダグダなのである。 パクリ記事を 1本発見したら、そのブロガーの他の記事の中から任意の 1行ぐらいをコピーし、それをキーワードにしてググってみるといい。たいていすぐに、パクリの元記事が検索される。「なるほど、この記事のてにをはをちょこっと変えて、自分の記事にしちゃったわけね」と、あっさりわかってしまう。 私は過去に、パクリ
昨日の 「某市議さんに、記事をパクられてしまった」 という記事の続報である。 私としては、鬼の首でも取ったように先方をなじるつもりはないし、先方のブログをよく読んでみると、人柄としてはなかなか良さそうな市議さんなのである。ただ、私の記事のパクリだけでなく、いろいろなところからの長々とした転載らしい記述や、お気に入りの詩人の詩をまるごと写したりという行為も目立つ。 知的所有権ということに無頓着な人なのかもしれないが、それでは政治家として失格だ。この件に限っては、「秘書が、秘書が」と言ってもらいたいぐらいの気持ちだが、まあ、ブログのゴーストライターをさせるために秘書を雇う余裕のある市議なんて、あまり聞いたことがないしなあ。 というわけで、あまり大ごとにするのも気分が悪いので、誠実な謝罪さえあれば、この件については、なかったことにしてしまいたいのだ。たまたま発見してしまったからには、黙って見過ご
ウェブというところは、パクリがつきものの世界のようで、私も過去に、ひどいパクリをされたことが 2度(参照 1、 参照 2)、そのほか細かい話を言ったら数え切れないほどある。もしかしたら、私が気付いていないパクリが、まだまだあるかもしれない。 昨日たまたま気付いたのは、"選挙カーの 「連呼」 は 「迷信」 から生じているらしい" という私の記事がパクられているということだ。これは何度もアップデートして、かなり手塩にかけたおかげで、今では知る人ぞ知るというまでになった記事である。不用意にパクったら遅かれ早かれバレる。しかもこともあろうに、パクったのは某大政党所属の某市議さんである。 パクリ記事は、昨年秋にご自分が立候補した市議選直前のブログ (hatena) のエントリーである。そしてパクった 10日後に、次点と 2票差というギリギリ僅差で、めでたく初当選されている。この情報は、ご当人のブログ
一昨日の記事で私は 「PC の時代の終わり」 が現実感を伴ってきたと書き、古~い母艦 PC が一家に 1台あれば、あとは個人が iPad (あるいはそれに類したデバイス)をもつことで、ホームユースにおけるたいていの用は足りると書いた。「PC は 1人 1台の時代」というのは、確実に過ぎ去った。 ところが今朝になって、「iPad はプリントアウトができないので、使い物にならない」という指摘があることを知った。なるほど。そりゃそのくらいできるに越したことはないが、一方で iPad のようなデバイスでプリントアウトできないということが、それほど致命的なことかなあと、疑問に思った。 そもそも、iPad を使う目的の一つは、ペーパーレスを実現することだったはずである。ペーパーレスにしたその一方で、プリントアウトできないと鬼の首でも取ったように言うのは、反則スレスレという気がする。 プリントアウトする
今日付の讀賣新聞に、岡本かの子が川端康成に宛てた未公開の書簡 60通が発見されたというニュースが出ている。岡本かの子を知らない人でも、その長男の岡本太郎は知っているだろう。あの「太陽の塔」の作者で、「芸術は爆発だ!」でお馴染みの芸術家だ。かの子はその母親である。 新聞に掲載された葉書の写真をさらに iPhone のカメラで写したものを添えるが、見れば流れるような変体仮名混じりの葉書である。さすがに毛筆ではなくペンで書かれたもののようだが、昔の人はなかなか風流な葉書を書いていたものである。 ただちょっと疑問に思ったのは、大正から昭和にかけての人たちが皆、変体仮名を常識として読み書きできたものだったのかということだ。岡本かの子は元々の出発が歌人としてだったから、この程度は朝飯前だったかもしれないが、こうした葉書を受け取った人は、ちゃんと読めたんだろうか。 私の父は昭和 4年の生まれで今年で 8
xl1blue さんが Twitter で "「お兄ちゃんのえっち… 」の「の」は文法的にはどんな説明が与えられますか" と tweet しておられる (参照)。ふぅむ、言われてみればちょっと難しい。「えっち」がお兄ちゃんの所有物というわけでもないから、所有を表す助詞というわけではない。 同じことは、「お母さんのばかぁ!」「夕日の馬鹿野郎ぉ~! 」などにも言える。こんなのは、その辺の自動翻訳サービスにかけたら、"mother's fool!" "Foolish guy of sunset!" なんて結果になりかねない。日本語ってなかなか難しい。 とりあえず、辞書を引いてみる。Goo辞書というのは、背後で三省堂の『大辞林』が動いているから、無料サービスだからといって馬鹿にしたもんじゃない。この辞書で調べると(いや、別に辞書で調べなくても)、格助詞の「の」であることは明白だ。 そして格助詞の
メインの仕事先が秋葉原にあるので、私はちょくちょくあのでっかい「アキバのヨドバシカメラ」で、オフィス用品の買い物をする。9時半の開店と同時に店内に飛び込んで買い物をすることもしばしばだ。 このヨドバシカメラという店は、開店直後に店内にはいると、店員がずらりと勢揃いして、まるで百貨店の開店直後みたいに、慇懃無礼な最敬礼をする。私はこれが嫌いである。百貨店でやられるのも嫌なのに、ヨドバシはやたら大声の「いらっしゃいませ!」まで加わるので、顔を背けたくなる。少なくとも秋葉原の街にはそぐわない。 こんな慇懃無礼をするくせに、開店からしばらく経つと、今度は単なる「無礼」に変身する。ここの店員は、通路を歩く客の目の前に平気で急に立ち止まったり、直前を横切ったりする。人混みの中を走るようにやってくる店員に条件反射的に道を譲っても、礼も言わずに行ってしまう。 ごく普通のマナーがなってないのに、開店直後の最
アパレル業界に寄せられる品質面でのクレームの中で上位に入るのが、「ピリング」という問題だ。いわゆる「毛玉」である。生地の表面に生じた毛羽(けば)が絡まり合い、小さな粒になったものだ。小さな粒なので、英語では錠剤の「ピル」と同じ言葉で表現し、それが業界用語になっている。 ピリングは大なり小なりどんな生地にも発生するが、圧倒的に短繊維織物や編み地に多い。短繊維とは、綿やウールなど、比較的短い繊維である。それを撚り合わせて糸にする。短い繊維を撚り合わせているので、糸の中に繊維の端っこが多い。その端っこが摩擦で表面に引き出されると、互いに絡み合って粒状になり、ピリング発生ということになる。 一方、シルクなどは一般的にピリングが発生しにくい。蚕の口から吐き出された長い長い繊維(長繊維)を使って糸を作るからだ。糸の中の繊維に端っこがほとんどないようなものなので、毛羽も出にくい。 そして、ポリエステルも
これはもう、好みの問題なのかもしれず、あまり声高に言ってもしょうがないことなのだが、私は横書きの日本語の文章の中に英単語が登場するとき、半角スペースで区切るかどうかというのが、ものすごく気になっている。 ウェブをざっと眺めると、英単語を日本語同様に扱って、スペースで区切らない表記の人がほとんどのような気がする。例えば、「私はmixiとtwitterをやってます」 とか 「この問題に関するJOCの見解は」とか「マイケルジャクソンのTHIS IS ITをみてきた」とかいう表記が、圧倒的に多いようだ。 私は上記の例でいえば、「私は mixi と twitter をやってます」とか「この問題に関する JOC の見解は」というように、英単語は半角スペースでくくって表記しないと何となく気持ち悪いので、そのようにしている。とくに 3番目の例なんかは、「マイケル・ジャクソンの "THIS IS IT" を
私はこの手のニュースにはあまり興味がなくて、テレビのニュースショーなんかを食い入るように見たりはしないので、恥ずかしながら、最近のよく似た 2つの事件の区別がつかなかった。区別が付かないというよりは、1人の女の起こした事件だと思っていた。 2つの事件というのは、あまり魅力的とも見えないような女が、男を手玉にとって詐欺を働き、さらに複数の殺人を犯したのかもしれないという、例のアレである。一つは埼玉の木嶋佳苗容疑者の件、もう一つは、鳥取の上田美由紀容疑者の件だ。 最近、鳥取だか島根だかの山の中の川で電気店主を殺した疑いがあるなんてニュースを聞いて、「へぇ、容疑者は埼玉だか、東京の下町だかに住んでいたような話だったけど、ずいぶん遠いところまで出張して悪事を重ねてたんだなあ」なんて思っていた。しかし、よく聞いてみると別人のお話だったのである。迂闊なことである。 前から思っていることなのだが、世の中
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