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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (33)

  • 作家別作品リスト:谷崎 潤一郎

    公開中の作品 蘆刈 (新字新仮名、作品ID:56875) アッシャア家の覆滅 (新字新仮名、作品ID:61341)     →ポー エドガー・アラン(著者) 泉先生と私 (新字旧仮名、作品ID:57370) 陰翳礼讃 (新字新仮名、作品ID:56642) 鍵 (新字新仮名、作品ID:56846) 覚海上人天狗になる事 (新字新仮名、作品ID:56943) 紀伊国狐憑漆掻語 (新字新仮名、作品ID:56944) 聞書抄 第二盲目物語(新字新仮名、作品ID:56945) 戯曲体小説 真夏の夜の恋 (新字旧仮名、作品ID:58152) 客ぎらい (新字新仮名、作品ID:58492) 恐怖 (新字新仮名、作品ID:56693) 小僧の夢 (新字新仮名、作品ID:57344) 金色の死 (新字新仮名、作品ID:57442) 細雪 01 上巻(新字新仮名、作品ID:56698) 細雪 02 中巻(新字

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    kanimaster 2016/01/01
    パブリック・ドメイン入り。まずは『春琴抄』から。
  • 作家別作品リスト:江戸川 乱歩

    公開中の作品 赤いカブトムシ (新字新仮名、作品ID:57105) 赤い部屋 (新字新仮名、作品ID:57181) 悪魔の紋章 (新字新仮名、作品ID:57240) 悪霊 (新字新仮名、作品ID:57515) 悪霊物語 (新字新仮名、作品ID:58699) 「悪霊物語」自作解説 (新字新仮名、作品ID:59399) 暗黒星 (新字新仮名、作品ID:58333) 偉大なる夢 (新字新仮名、作品ID:57531) 一枚の切符 (新字新仮名、作品ID:57182) 一寸法師 (新字新仮名、作品ID:58053) 陰獣 (新字新仮名、作品ID:57503) 宇宙怪人 (新字新仮名、作品ID:56674) 江川蘭子 (新字新仮名、作品ID:58590) 黄金仮面 (新字新仮名、作品ID:57241) 黄金豹 (新字新仮名、作品ID:56678) 押絵と旅する男 (新字新仮名、作品ID:56645)

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    kanimaster 2016/01/01
    パブリック・ドメイン入り。
  • 伊丹万作 戦争責任者の問題

    最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつ

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    kanimaster 2014/10/21
    [hiso[war] 伊丹十三の父。
  • 寺田寅彦 学位について

    「学位売買事件」というあまり目出度(めでた)からぬ名前の事件が新聞社会欄の賑(にぎ)やかで無味な空虚の中に振り播(ま)かれた胡椒(こしょう)のごとく世間の耳目を刺戟した。正確な事実は審判の日を待たなければ判明しない。 学位などというものがあるからこんな騒ぎがもち上がる。だからそんなものを一切なくした方がよいという人がある。これは涜職者(とくしょくしゃ)を出すから小学校長を全廃せよ、腐った牛肉で中毒する人があるから牛肉をうなというような議論ではないかと思われる。 こんな事件が起るよりずっと以前から「博士濫造」という言葉が流行していた。誰が云い出した言葉か知れないが、こういう言葉は誰かが言い出すときっと流行するという性質をはじめから具有した言葉である。それは、既に博士である人達にとっても、また自分で博士になることに関心をもたない一般世人にとっても耳に入りやすい口触わりの好い言葉だからである。

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    kanimaster 2014/07/21
    昭和9年。
  • 岡本綺堂 半七捕物帳 冬の金魚

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    kanimaster 2014/01/26
    俳諧の宗匠と弟子たちをめぐるミステリ。岡本綺堂は俳句に造詣が深く、芭蕉の句がさりげなく引用されていたり、季語が作品のキーワードになっていたりするものが多い。
  • 岡本かの子 快走

    中の間で道子は弟の準二の正月着物を縫(ぬ)い終って、今度は兄の陸郎の分を縫いかけていた。 「それおやじのかい」 離れから廊下を歩いて来た陸郎は、通りすがりにちらと横目に見て訊(き)いた。 「兄さんのよ。これから兄さんも会社以外はなるべく和服で済ますのよ」 道子は顔も上げないで、忙がしそうに縫い進みながら言った。 「国策の線に添ってというのだね」 「だから、着物の縫い直しや新調にこの頃は一日中大変よ」 「はははははは、一人で忙がしがってら、だがね、断って置くが、銀ぶらなぞに出かけるとき、俺は和服なんか着ないよ」 そう言ってさっさと廊下を歩いて行く兄の後姿を、道子は顔を上げてじっと見ていたが、ほーっと吐息をついて縫い物を畳の上に置いた。すると急に屈托して来て、大きな脊伸びをした。肩が凝(こ)って、坐り続けた両腿がだるく張った感じだった。道子は立上って廊下を歩き出した。そのまま玄関で下駄を履(は

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    kanimaster 2014/01/18
    「おほほほほほほほほほほ」「あはははははははははは」 H26年度センター試験国語に全文が掲載された。
  • 夏目漱石 自転車日記

    西暦一千九百二年秋忘月忘日白旗を寝室の窓に翻(ひるが)えして下宿の婆さんに降を乞うや否や、婆さんは二十貫目の体躯(たいく)を三階の天辺(てっぺん)まで運び上げにかかる、運び上げるというべきを上げにかかると申すは手間のかかるを形容せんためなり、階段を上ること無慮(むりょ)四十二級、途中にて休憩する事前後二回、時を費す事三分五セコンドの後この偉大なる婆さんの得意なるべき顔面が苦し気に戸口にヌッと出現する、あたり近所は狭苦しきばかり也、この会見の栄を肩身狭くも双肩に荷(にな)える余に向って婆さんは媾和(こうわ)条件の第一款として命令的に左のごとく申し渡した、 ああ悲いかなこの自転車事件たるや、余はついに婆さんの命に従って自転車に乗るべく否自転車より落るべく「ラヴェンダー・ヒル」へと参らざるべからざる不運に際会せり、監督兼教師は○○氏なり、悄然(しょうぜん)たる余を従えて自転車屋へと飛び込みたる彼

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    kanimaster 2013/01/22
    面白い!漱石は自転車に乗れなかった。
  • 岸田劉生 ばけものばなし

    * これは怪談をするのではない、ばけものについて、いろいろと考えた事や感じたこと等、思い出すままに描いてみようと思うのである。画工である私は、ばけものというものの興味を、むしろ形の方から感じている。そんな訳で、私の百鬼夜行絵巻も文の間に添えておこうと思う。 君子は乱神怪力を語らず 孔子(こうし)様は、君子は乱神怪力を語らずといわれた。さすがに深い深い実感から生れた話だと思う。 乱神怪力を語るという事は、結局「嘘」という事に無神経だという事になる。 妖怪変化(ようかいへんげ)というものは、「無(な)」いといってしまっては曲(きょく)のないものにはちがいない。人間というものは、何事でも面白い方が好きなもので、ばけもの等も、当は、無いのだという事になる事はちと興ざめな話なのである。 元来妖怪等というものは、人間の神秘的要求、恐怖能、等から生れた空想を一層興味を以て潤色し工風(くふう)した一種

  • 芥川龍之介 谷崎潤一郎氏

    僕は或初夏の午後、谷崎氏と神田をひやかしに出かけた。谷崎氏はその日も黒背広に赤い襟飾りを結んでゐた。僕はこの壮大なる襟飾りに、象徴せられたるロマンティシズムを感じた。尤もこれは僕ばかりではない。往来の人も男女を問はず、僕と同じ印象を受けたのであらう。すれ違ふ度に谷崎氏の顔をじろじろ見ないものは一人もなかつた。しかし谷崎氏は何と云つてもさう云ふ事実を認めなかつた。 「ありや君を見るんだよ。そんな道行きなんぞ着てゐるから。」 僕は成程夏外套の代りに親父の道行きを借用してゐた。が、道行きは茶の湯の師匠も菩提寺の和尚も着るものである。衆俗の目を駭かすことは到底一輪の紅薔薇に似た、非凡なる襟飾りに及ぶ筈はない。けれども谷崎氏は僕のやうにロヂックを尊敬しない詩人だから、僕も亦強ひてこの真理を呑みこませようとも思はなかつた。 その内に僕等は裏神保町の或カッフエへ腰を下した。何でも喉の渇いたため、炭酸水か

    kanimaster
    kanimaster 2012/04/12
    裏神保町のカッフエで炭酸水を飲みたくなった。
  • 芥川龍之介 ポーの片影

    ◇ ポーとは、ヱドガー、アラン、ポーのことです。ポーは初めフランスに紹介された時分にはポーヱと呼ばれてゐました。英国人等にも、この読み方をするものがあります。けれども、ポーがたゞしいことは明かです。モ一つ名前についていへば、ヱドガーはいゝが、アランは決して彼が自ら持つてをつたものでないといふことです。つまり、アランだけは全然余計なものだといふことです。 ◇ ポーの父はヱドガー、デビツト、ポーといひ、ポーは二男でした。その父はポー等三人の子供を残して死んだのです。で已(や)むを得ず、ポーはジヨン、アランといふ煙学者(えんがくしや)に養はれることになりました。がポーは間もなくそこを離れてしまつたのです。だから、ポー自身は未だ曾て、アラン、ポー等と署名したことはないのです。 ◇ アランと呼ばれるやうになつたのは、ポーの全集を編纂したグリスボートといふ男が故意に書き加へたことによつて初まつたのです

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    kanimaster 2010/10/15
    「アランと呼ばれるやうになつたのは、ポーの全集を編纂したグリスボートといふ男が故意に書き加へたことによつて初まつたのです。」 E・A・ポーのミドルネームについて。
  • 新美南吉 蟹のしょうばい

    蟹(かに)がいろいろ考えたあげく、とこやをはじめました。蟹(かに)の考えとしてはおおできでありました。 ところで、蟹(かに)は、 「とこやというしょうばいは、たいへんひまなものだな。」 と思いました。と申(もう)しますのは、ひとりもお客さんがこないからであります。 そこで、蟹(かに)のとこやさんは、はさみをもって海っぱたにやっていきました。そこにはたこがひるねをしていました。 「もしもし、たこさん。」 と蟹(かに)はよびかけました。 たこはめをさまして、 「なんだ。」 といいました。 「とこやですが、ごようはありませんか。」 「よくごらんよ。わたしの頭に毛があるかどうか。」 蟹(かに)はたこの頭をよくみました。なるほど毛はひとすじもなく、つるんこでありました。いくら蟹(かに)がじょうずなとこやでも、毛のない頭をかることはできません。 蟹(かに)は、そこで、山へやっていきました。山にはたぬき

  • ディッケンス Dickens 森田草平訳 クリスマス・カロル A CHRISTMAS CAROL

    先ず第一に、マアレイは死んだ。それについては少しも疑いがない。彼の埋葬の登録簿には、僧侶も、書記も、葬儀屋も、また喪主も署名した。スクルージがそれに署名した。そして、スクルージの名は、取引所においては、彼の署名しようとするいかなる物に対しても十分有効であった。 老マアレイは戸の鋲のように死に果てていた。 注意せよ。私は、私自身の知識からして、戸の鋲に関して特に死に果てたような要素を知っていると云うつもりではない。私一個としては、むしろ柩の鋲を取引における最も死に果てた鉄物(かなもの)と見做したいのであった。けれども、我々の祖先の智慧は直喩にある。そして、私のような汚れた手でそれを掻き紊すべきではない。そんなことをしたら、この国は滅びて仕舞う。だから諸君も、私が語気を強めて、マアレイは戸の鋲の様に死に果てていたと繰り返すのを許して下さいましょう。 スクルージは彼が死んだことを知っていたか。も

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    kanimaster 2009/12/15
    「聖降誕祭お目出とうがちゃんちゃら可笑しいわい!」 1929年の翻訳。これは楽しい!
  • イワン・ツルゲーネフ Ivan Turgenev 二葉亭四迷訳 あいびき

    このあいびきは先年仏蘭西(フランス)で死去した、露国では有名な小説家、ツルゲーネフという人の端物(はもの)の作です。今度徳富先生の御依頼で訳してみました。私の訳文は我ながら不思議とソノ何んだが、これでも原文はきわめておもしろいです。 秋九月中旬というころ、一日自分がさる樺(かば)の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま煖(あたた)かな日かげも射して、まことに気まぐれな空ら合い。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思うと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧(さか)し気(げ)に見える人の眼のごとくに朗(ほがら)かに晴れた蒼空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上で幽(かす)かに戦(そよ)いだが、その音を聞たばかりでも季節は知られた。それは春先する、おもしろそうな、笑うよ

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    kanimaster 2009/10/24
    「これでも原文はきわめておもしろいです。」訳者序文(明治21年)。「形容詞 + です」では、今のところこれが一番古いかも。
  • 芥川龍之介 続文芸的な、余りに文芸的な

    一 「死者生者」 「文章倶楽部」が大正時代の作品中、諸家の記憶に残つたものを尋ねた時、僕も返事をしようと思つてゐるうちについその機会を失つてしまつた。僕の記憶に残つてゐるものはまづ正宗白鳥氏の「死者生者(ししやせいしや)」である。これは僕の「芋粥」と同じ月に発表された為、特に深い印象を残した。「芋粥」は「死者生者」ほど完成してゐない。唯幾分か新しかつただけである。が、「死者生者」は不評判だつた。「芋粥」は――「芋粥」の不評判だつたのは吹聴(ふいちやう)せずとも善い。「読後感とでも云ふのかな。さう云ふものの深い短篇だね。」――僕は当時久米正雄君の「死者生者」を読んだ後、かう言つたことを覚えてゐる。が、「文章倶楽部」の問に応じた諸家は誰も「死者生者」を挙げてゐなかつたらしい。しかも「芋粥」は幸か不幸か諸家の答への中にはいつてゐる。 この事実の証明する通り、世人は新らしいものに注目し易い。従つて

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    kanimaster 2009/10/14
    (言葉の誤用について)「誰も皆間違つてしまへば、勿論間違ひは消滅するのである。従つてこの混乱を救ふ為には、――一人残らず間違つてしまへ。」 これは名言。
  • 芥川龍之介 文芸的な、余りに文芸的な

    一 「話」らしい話のない小説 僕は「話」らしい話のない小説を最上のものとは思つてゐない。従つて「話」らしい話のない小説ばかり書けとも言はない。第一僕の小説も大抵は「話」を持つてゐる。デツサンのない画は成り立たない。それと丁度同じやうに小説は「話」の上に立つものである。(僕の「話」と云ふ意味は単に「物語」と云ふ意味ではない。)若(も)し厳密に云ふとすれば、全然「話」のない所には如何(いか)なる小説も成り立たないであらう。従つて僕は「話」のある小説にも勿論尊敬を表するものである。「ダフニとクロオと」の物語以来、あらゆる小説或は叙事詩が「話」の上に立つてゐる以上、誰か「話」のある小説に敬意を表せずにゐられるであらうか? 「マダム・ボヴアリイ」も「話」を持つてゐる。「戦争と平和」も「話」を持つてゐる。「赤と黒と」も「話」を持つてゐる。…… しかし或小説の価値を定めるものは決して「話」の長短ではない

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    kanimaster 2009/10/14
    芥川は谷崎を批判し、谷崎の誕生日に死んだ。
  • 平田禿木 趣味としての読書

    最近某大学の卒業論文口頭試問の席へ立(たち)会つて、英文学専攻の卒業生がそれぞれ皆立派な研究を発表してゐるのに感服した。主なる試問者は勿論その論文を精査した二三の教授諸氏であつたが、自分も傍(そば)から折々遊軍的に質問を出して見た。 「理窟は抜きにして、ディツケンスの何んなとこを面白く感じましたか、コンラツドの何んなとこに興味を覚えましたか」と訊くと、 「一向に面白くありません、少しも興味を感じません、論文を書く為めに、唯一生懸命に勉強しただけです」と云ふ。 「では、三年間に、別に何か読みましたか」と訊くと、別に何も読んでゐないといふ、如何にも頼りない返事である。これは一つには学生諸氏の英語読書力の薄いのに依るのであらうけれど、一つにはまた、今日の若い人達の間に如何に趣味として読書が閑却されてゐるかを示すものである。 今日ほど読書に不利な時代はない。自動車は走り、飛行機は飛び、映画、トオ

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    kanimaster 2009/09/17
    ウワアヅウワアス
  • 作家別作品リスト:田山 花袋

    公開中の作品 赤い鳥居 (新字旧仮名、作品ID:48809)     →田山 録弥(著者) アカシヤの花 (新字旧仮名、作品ID:48969)     →田山 録弥(著者) 秋の岐蘇路 (旧字旧仮名、作品ID:59179) 朝 (新字旧仮名、作品ID:4598) あさぢ沼 (新字旧仮名、作品ID:48811)     →田山 録弥(著者) 新しい生 (新字旧仮名、作品ID:48812)     →田山 録弥(著者) あちこちの渓谷 (新字旧仮名、作品ID:48995)     →田山 録弥(著者) 雨の日に (新字旧仮名、作品ID:48814)     →田山 録弥(著者) 或新年の小説評 (新字旧仮名、作品ID:48815)     →田山 録弥(著者) ある僧の奇蹟 (新字旧仮名、作品ID:43269) ある時に (新字旧仮名、作品ID:48816)     →田山 録弥(著者) ある

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    kanimaster 2009/09/01
    「作業中の作品リスト」の作品数が500点を超えている。
  • 堀辰雄 麦藁帽子

    私は十五だった。そしてお前は十三だった。 私はお前の兄たちと、苜宿(うまごやし)の白い花の密生した原っぱで、ベエスボオルの練習をしていた。お前は、その小さな弟と一しょに、遠くの方で、私たちの練習を見ていた。その白い花を摘んでは、それで花環(はなわ)をつくりながら。飛球があがる。私は一所懸命に走る。球(たま)がグロオブに触(さわ)る。足が滑(すべ)る。私の体がもんどり打って、原っぱから、田圃(たんぼ)の中へ墜落する。私はどぶ鼠(ねずみ)になる。 私は近所の農家の井戸端(いどばた)に連れられて行く。私はそこで素っ裸かになる。お前の名が呼ばれる。お前は両手で大事そうに花環をささげながら、駈(か)けつけてくる。素っ裸かになることは、何んと物の見方を一変させるのだ! いままで小娘だとばかり思っていたお前が、突然、一人前の娘となって私の眼の前にあらわれる。素っ裸かの私は、急にまごまごして、やっと私のグ

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    kanimaster 2009/07/06
    「お前はよそゆきの、赤いさくらんぼの飾りのついた、麦藁帽子をかぶっている。そのしなやかな帽子の縁が、私の頬をそっと撫でる。私はお前に気どられぬように深い呼吸をする。」 これはエロい。
  • 夏目漱石 文士の生活

    私が巨万の富を蓄えたとか、立派な家を建てたとか、土地家屋を売買して金を儲(もう)けて居るとか、種々な噂(うわさ)が世間にあるようだが、皆嘘(うそ)だ。 巨万の富を蓄えたなら、第一こんな穢(きたな)い家に入って居はしない。土地家屋などはどんな手続きで買うものか、それさえ知らない。此家だって自分の家では無い。借家である。月々家賃を払って居るのである。世間の噂と云うものは無責任なものだと思う。 先(ま)ず私の収入から考えて貰(もら)いたい。私にどうして巨万の富の出来よう筈(はず)があるか――と云うと、ではあなたの収入は?と訊(き)かれるかも知れぬが、定収入といっては朝日新聞から貰って居る月給である。月給がいくらか、それは私から云って良いものやら悪いものやら、私にはわからぬ。聞きたければ社の方で聞いて貰いたい。それからあとの収入は著書だ。著書は十五六種あるが、皆印税になって居る。すると又印税は何割

  • 樋口一葉 さをのしづく

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    kanimaster 2009/05/12
    晩年の随想。「賣文の徒とか人のいやしがる物からこれをこがねにかへらるゝならばわれは親の爲妹の爲はた我が衣食のため更にいとはじ」