・寄生獣 ・魔界塔士Sa・Ga ・ダークナイト あと一つは?
1989年に公開され、スタジオジブリの初期作品として、いまも絶大な人気を誇る『魔女の宅急便』。原作者の角野栄子は、35歳で作家デビューし、同作を出版したのは50歳の時だった。アニメ化された映画を初めて観た時には、原作と大きく異なる内容に戸惑ったというが、その後、自身の作品が国民的・世界的作品に成長していく様をどう感じていたのか。物語の誕生秘話や同作が愛され続ける理由を聞いた。 着想も映画化もきっかけは「娘」 “宅急便”がヤマトの商標とは知らず、あわや大惨事? ――『魔女の宅急便』は、どのようにして着想されたのでしょうか? 角野栄子私は大学時代、アメリカ大使館の図書館に行って海外の雑誌をよく見ていました。その時、雑誌『LIFE』に載っていた『鳥の目から見たニューヨークの風景』という写真を見て、すごく物語性を感じたんです。それから何年も経って、娘が描いた魔女のイラストを見て「魔女の話を書いてみ
機械じかけのオレンジって何が凄いの? https://anond.hatelabo.jp/20180113204136 ここで書くこと『時計じかけのオレンジ』は凄いけど、聖書を読まない日本人にとってはピンとこないテーマを扱ってるので、「何が凄いの?」という疑問が生じるのももっともだ。という話を書く。 『時計じかけのオレンジ』のテーマは何か『時計じかけのオレンジ』のテーマは、キューブリック監督曰く、以下の通り。 本作のテーマは、自由意志の問題と関係がある。もし善悪の選択ができなくなれば、私たちは人間性を失うのではないか?タイトルが示すように、時計じかけのオレンジになってしまうのではないか? それってどういうこと?この説明を読んだとき、多くの人はもっともらしい顔をして「ふんふんなるほどね」と思うのだけど、その実ぜんぜん分かっていない。何故かと言えば、説明中の「自由意志」という言葉の意味が分かっ
原作者は大激怒。 小説家にとって、自身の作品がハリウッド映画化はうれしいこと。知名度が飛躍的に上がり、新たなファンも生まれ、当然お金にもなるはずです。しかし、原作と全く異なる内容にされてしまったら? 今回はCheetSheetがピックアップした、興行的には大成功したにもかかわらず、原作者が不満を抱いている映画をご紹介します。 「シャイニング」 スタンリー・キューブリック監督の本作はホラーの名作として広く知られていますが、原作者のスティーブン・キングから激しく嫌われているというのは有名な話。 キングは何度も批判的なコメントをしており、特にメインキャラクターの性格を変更したことに大きな不満を抱いているようです。 つい先日も、ローリング・ストーンに対してキング氏が不満の理由を語りました。 小説ではジャック・トランスのキャラクターアークがしっかりと描かれています。 彼は善人になろうと葛藤したのです
2013年6月26日、NHK朝の連続ドラマ『あまちゃん』での話。 ヒロインの母・春子(小泉今日子)が少女期の1984年に、TVのオーディション番組で松田聖子の「風立ちぬ」を歌った。 春子は聖子ちゃんファンという設定である。 この時代の春子は有村架純が演じているのだが、この場面が話題になったのは、その歌声を小泉今日子があてていたからだ。キョンキョンが聖子ちゃんの大ヒット曲を歌うというだけで、白飯が3杯くらい喰えてしまったオールドファンもいたかもしれない。 しかし宮崎駿監督作品『風立ちぬ』のプレス試写を翌日に控えた私はTVを見ながら、またべつのことを考えていた。 宮藤官九郎がこの時期(1984年ではなく、2013年6月下旬に)春子に「風立ちぬ」を歌わせたのは、ジブリ新作の公開に合わせたのではないか? ……ま、ただの偶然だと思いますが、最晩年のナンシー関がたしか、最も深読みされている男、と呼んだ
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日直のボウシータです。お暑うございます。 6月から7月にかけて、さるところで、「文学作品とその映像化」というお題をいただいて、3回にわたってお座敷をつとめた。 私は映画リテラシーがなくて、映画好きの人から見たら、ほんとうに「映画の観かたがわかってない」と憫笑されてもしかたがない。 そんな私が文学作品と映画の関係について、DVDを操作しながら話をする。リモコン操作というのがまた私の苦手なもの。自宅でも、エアコンのタイマー設定からTVの画面サイズ調整まで、やるたびにおたおたしてしまう。いろんな意味でスマートさのかけらもないお座敷だった。 しかもそれはある自治体の生涯学習関連のリレー講座で、受講者は60代から80代なので、はっきり言って私のほうが子どもである。だから、毎回、私の話が終わると、みなさんが盛大な拍手をしてくださるのだが、なんだか 「たいへんよくできました」 と褒められているようで面映
■越境する知〜ジャンルを超えていろいろなモノを摂取することの喜びを知る ひさしぶりにこのブログの本義に戻って「一つの視点から様々なジャンルに共通するモノを」取りだして楽しむ方法を紹介する、ということをしてみたいと思います。海燕さんのオフ会で何か喋ろうと考えていたのですが、せっかくなので、ブログを書く上でのもともとのコンセプトに帰ってみたいと思います。 僕は数年前に、このブログを好きな映画を紹介しようと立ち上げました。仕事が忙しくなったり子どもが生まれたりで、映画を見る余裕がなくなったので、通勤時間に読む漫画と小説の感想にシフトしてしまいましたが、もともとは、媒体やジャンル、世代、年代を超えて、自分にとっておもしろいと感じるものの「共通性」という視点を出すことで、「より物語を楽しむため」のヒントになれば、と思って、そのコンセプトのもとに文章を書いています。 いろいろな「そんな小難しいこと考え
昭和19年の作品。登場人物のセリフには、戦時下らしい勇ましい言葉が出てくるが、映画全体はのんびりしていて、「戦意高揚」の色合いは少ない。 映画のあらすじは、出兵している友人(江川宇礼雄 )に代わって、婚約の話を進めるため、相手の女性の家を訪問した主人公(河野秋武)が、その婚約者の妹(高峰秀子)に恋をしてしまう、という牧歌的な作品。 ★ 原作は、太宰治の「佳日」という短編。読んだ記憶がないので、太宰治がこんな国策映画になるような原作を書いていたのだろうか、とおもって、ネットの青空文庫を検索して読んでみた。 太宰の原作は、映画よりもさらに国策映画の色合いは少ない、というより、ほとんどない、といっていい。 よくぞ、こんな呑気な小説を戦争の真っ只中に書いたものだ、と感心してしまうくらいだが、検閲に対する気配りをしていのはわかる。 ★ 長女=入江たか子 次女=山田五十鈴 三女=山根寿子 四女=高峰秀
映画『ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜』公式ホームページ ストーリー:戦後の混乱期、酒飲みで多額の借金をし浮気を繰り返す小説家・大谷(浅野忠信)の妻・佐知(松たか子)は、夫が踏み倒した酒代を肩代わりするため飲み屋で働くことに。生き生きと働く佐知の明るさが評判となって店は繁盛し、やがて彼女に好意を寄せる男も現れ佐知の心は揺れる。そんな中、大谷は親しくしていたバーの女と姿を消してしまい……。 土曜日の11時からの上映で鑑賞。 観客は30人くらいで、こういう「文芸もの」としては、けっこう入っているな、という印象でした。 主演の松たか子、浅野忠信のふたりをはじめとして、キャストはけっこう豪華ですし(広末涼子さんや妻夫木聡さん、堤真一さんも出てたんですね、観てはじめて知ったのでちょっと驚きました)、根岸吉太郎監督が「モントリオール世界映画祭、最優秀監督賞」を受賞したことも追い風になっているのでしょう。
2009年度作品。日本映画。 日本が太平洋戦争に負けた年。結核療養のため山里の健康道場に入った青年ひばりは、年齢や境遇も異なるキャラの立った仲間たちに囲まれ、「新しい男」になることを目指す。竹さんとマア坊、生命力に溢れた二人の看護婦さんへの甘酸っぱい気持ちや、結核による突然の仲間の死などなど、日々の心の揺れを、親友宛ての手紙にこまめに書き続ける。 監督は「パビリオン山椒魚」の冨永昌敬。 出演は染谷将太、川上未映子 ら。 結論から書くが、個人的にこの映画は合わなかった。 太宰治の原作はなかなか良かったのに、残念ながら映画の方は、原作の良さを殺しているように見えるからだ。 もちろん、その理由は演出に帰するほかない。 小説の映画化においては、映画化に向く作品と、向かない作品というものがあるものだ。 たとえば、原作となる小説のおもしろさが、プロットにはなく、場の雰囲気の描き方だとか、文体だとかの、
母親とパリにやって来た少女ザジは芸人の叔父に預けられるが、彼女の楽しみは地下鉄に乗る事。だがストで地下鉄が動いていないと知ったザジは、ひとりで街へくりだしてしまう……。ザジがパリを離れるまでの36時間の冒険をスラップスティック調で描いたコメディ。 WOWOWで放送された「地下鉄のザジ」を見ました。HV放送に惹かれて急遽WOWOWに加入して見たんですが、DVD版と比べて極端に画質が向上していた、ということはありませんでした。しかしザジの口癖である「Mon Cul」の字幕が「ケツ食らえ」になっていたのは良かった。 この「Mon Cul」は直訳すると「私の尻」。原作の訳者である生田耕作はこれを「ケツ食らえ」と訳した。うまい!以前見たVHS版でも「ケツ食らえ」になっていたが、なぜか現在流通されているDVD版では「うんざり」と訳されていて批判が多かったのだ。 ザジが「Mon Cul」とつぶやく度に大
「文体練習」で有名なクノーのこれまた代表作。 オウムの「緑」の口癖である『喋れ、喋れ、それだけ取り柄さ』という言葉を待つまでもなく、印象としては「これって落語みたいだなあ」といったもの。フランス文学だってのに、読んでいるそのときの気分は紛れもなく落語のそれなのだ。 急に始まるもったいぶった言い回しや、「マルスリーヌはおしとやかに」という決まり文句、主人公ザジを軸として目まぐるしく立ち位置を変える登場人物たち、ところどころにしれっと挿入されるメタな語りなどなど、小気味よい言葉遊びがちりばめられていて、いちいちニヤニヤしながら読み進められる。 訳がうまいせいもあるのか、そういったことばに対する思い入れみたいなものがひしひしと感じられて嬉しくなってしまう。日頃からおもしろおかしくことばというものを観察しあるいは追求しているような人には、まず間違いなく、うずうずするようなワクワク感*1を感じていた
ジジェクさん、それ書き間違い‥‥? スラヴォイ・ジジェク著の『ラカンはこう読め!』(鈴木晶訳、紀伊國屋書店、2008)は、ラカンの理論を駆使して映画や小説、時事的話題を分析していくもので、ラカン入門書というよりは「(あらゆる事象を)ラカン*で*こう読め!」的な内容である。小咄がたくさん盛り込まれていて読み物として面白い。 冒頭に、1951年のベネチア映画祭でグランプリを獲った黒澤明の『羅生門』についての分析がある。さすがジジェク、日本語版の序文には、ちゃんと日本映画をもってきている。 で、一回目に読んだ時はうっかり見落としていたのだが、こないだ再読して「んん?」となった。『羅生門』の内容説明が、微妙におかしい。というか、間違っています。 映画『羅生門』の原作は芥川龍之介の『藪の中』で、一つの事件を複数の人がそれぞれの視点から語るという形式を取っている。 舞台は平安時代。主な登場人物は、盗賊
1962年製作の映画を見ました。しかも描かれている時代は、製作年のずっと前の、戦前のお話。 島崎藤村の本を映画化した「破戒」っていう映画です。 内容ご存じの方も多いと思います。暗い映像です。テーマも重い。 被差別部落に生まれた主人公がその出自を隠して生きることに耐えられなくなって告白するお話ですね。本は大昔に読みました。でもこの映画は、私がその本読む前にできています。 教育映画として作られたわけじゃないのに、こんな時代にこういうテーマで直球映画を創るというのは、結構すごいことなんじゃないかと思いました。 客はお金払って映画館にこれを見に行くわけですよね、それって、かなり文化度高くないとできない気がします。 7−8年前かな、被差別部落名のリストを購入した企業があるとかの新聞記事を見ました。 なんだかなあ、という感じです。この前、京都に行ったときに、タクシーの運転手さんが“本籍地って好きに変え
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