晶子は1918年、高島屋が主催する新作着物の発表会「百選会」の顧問になった。「百選会」では、海外の視察員からの情報や国内の文化人の意見を基に、季節に応じたテーマや流行色、イメージ図案を決定。全国の染織業者に提示して反物や帯地などの和服製品を募り、入選作は展示即売され、人気を集めていた。 この流行色の名を19年から40年まで決めたのが晶子だった。初めて手掛けた19年の春の色、淡い緑に命名したのが「平和色」。スペイン風邪が流行し、米騒動が起きた18年を振り返り、穏やかな日常への願いを込めたらしい。 26年の秋には、顧客用の冊子「第28回秋の百選会グラフ」に、命名した色を詠み込んだ「紅鸚哥」という歌を寄せている。 紅鸚哥、紅鸚哥、 鳥の前には大空も、 青龍膽(あおりんどう)の色に晴れ 地は八束穂(やつかほ)の黄金(きん)を敷く。 題名に選んだ赤「紅鸚哥」に、黄金色の「八束穂色」、晴れた空を思わ