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2007年2月16日のブックマーク (5件)

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    kanototori
    kanototori 2007/02/16
    「まだ村川家が松島へ渡海して間がないころで距離についての認識が乏しく、幕府に対し渡海許可を願い出た一六五六年前後に描いたものではないか」と分析。
  • 文献に現れた述語形式と国語史の不整合性について

    メンテナンスの都合上、民間プロバイダ上に置きますが、科学研究費による成果です。 研究は、「口語性」と不連続・不整合を見せる語彙あるいは形態を積極的に取り上げ、その由来、発展の過程を明らかにすることを目的とする。 従来の国語史は、「口語性」という必ずしも実態の明らかでない尺度によって文献を恣意的に選択し、切り取ることによって成立している一面がある。研究はこれとまったく発想を異にし、文献の作り手が国語をどのように認識し、自らの表現を作り上げているかという観点に基づく研究であり、文献が来持っている主体性、表現性を中心とする語彙・語法研究である。また、今までは切り捨てられてきた資料に光を当てることによって、国語のより豊かな実態が明らかになるであろう。研究を押し進めることにより、日語の歴史的な流れは、より重層的・立体的に捉えられることになるはずであり、従来の硬直した国語観にも大幅な改変が迫

  • 疲れ目生活

  • 文字散策 - 生活記録

    今日一日歩き廻つて見掛けた文字を並べてみる。 「み」の字の形も氣になるのだが、最近は(特に書寫體の)文字の置かれ方も氣になる。 ラーメン屋で變體假名が遣はれてゐるのは珍しいかも。 これはやまかわと讀んでいゝのだらうか。 称名寺にて。篆書。 称名寺にて。鬼や卑で上の點がないのものは割とよくみる。

    文字散策 - 生活記録
  • オットーと呼ばれる日本人 : 書迷博客

    2007年02月14日00:00 カテゴリことば オットーと呼ばれる日人 白川静『中国の神話』(中公文庫)を斜め読みしていたら、途中でこういう文章にぶつかった。 <於兎は楚の語で虎を意味する。わが国で寅年生まれの人に於兎という名をつけることがあるのも、虎の異名であるからである。於兎はまた於択としるされることもあり、兎や択は楚の語で虎をあらわすのであろう。(略)>(P95) へえ、そうだったのかあ。 ひょっとするとあの人もかな。 私の知っている「於兎」といえばこの人しかおらず、森鴎外の長男、森於菟。 その森於菟の生まれた年を調べてみたら、明治二十三年。庚寅。 ピタリ、寅年だった。 さすが鴎外、わかっている。 鴎外の子供たちはそれぞれに父親の思い出をに書き残している。 そのどれを読んでも、鴎外が父親として子供たちを可愛がり、子供たちに愛されたことがよくわかる。 森於菟『父親としての森鴎外』