広川 弘禅(ひろかわ こうぜん、旧字体:廣川 弘禪、1902年(明治35年)3月31日 - 1967年(昭和42年)1月7日)は、日本の政治家、僧侶、教育者。「弘禅」は曹洞宗の僧侶名で、本名は広川 弘(ひろかわ ひろし)。 衆議院議員。第12・14・16代農林大臣、国務大臣第6代行政管理庁長官、自由党総務会長・幹事長、民主自由党幹事長、財団法人青葉学園理事長、青葉学園短期大学初代学長を歴任した。正三位勲一等瑞宝章。 来歴・人物[編集] 福島県石川郡玉川村生まれ。生家は曹洞宗の寺院大安寺。苦学し曹洞宗大学(後の駒澤大学)仏教学部中退[1]。当時広川は、藤田俊訓らと共に同大学の単科大学昇格運動に積極的に参加していたため「風紀を乱す」として大学に目をつけられており、退学理由についても「当時の学長である忽滑谷快天の怒りを買った」ためとする説がある[2]。 その後道路人夫、郵便配達夫を経て東京市電職
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