豊臣秀吉築城の伏見城があった「桃山陵墓地」(京都市伏見区)の二の丸中央部に、城郭としては不自然な直径十数メートル、高さ4~5メートルの小高い土盛りがあることが20日、宮内庁の許可に基づく日本考古学協会などの陵墓調査で確認された。 城郭を描いた絵図などには記載がないため、研究者からは「未発見の古墳では」という声も上がり、今後の研究に向けて大きな謎が浮かび上がった。同志社女子大学の山田邦和教授(考古学)は「築城時になぜ壊されなかったのか不明な点も残る」と指摘した。 調査では他に、二十数メートル四方の天守閣の土台(高さ6~7メートル)も見つかった。 伏見城は関ケ原の戦いに伴う戦争で焼失し、徳川幕府が再建したが江戸時代初期に廃城となった。明治天皇陵、昭憲皇太后陵がある桃山御陵内に位置するため、本格的な調査が行われたことはない。 この日は奈良市の「日葉酢媛(ひばすひめ)陵」(佐紀陵山古墳)でも調査が