天皇陛下の御即位二十年を祝して、今日、皇居(宮内庁庁舎前の特設記帳所)では午前9時半から一般参賀者の記帳が始まり、また、午前11時半からは宮殿の「松の間」で祝賀行事が開催され、天皇陛下は皇太子殿下御夫妻や秋篠宮殿下御夫妻など皇族の方々からお祝いを受けられました。 そして、午後からは東京都千代田区の国立劇場で、政府主催による「天皇陛下御即位二十年記念式典」が天皇皇后両陛下をお迎えして開催され、午後2時からは、都心の内堀通りや鍛冶橋通りなどで祝賀パレードや奉祝渡御(御神輿の練り歩き)が行われました。午後5時からは、皇居前広場にて、民間の御即位二十年奉祝委員会が主催する「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」が盛大に開催され、政界・財界・芸能界・スポーツ界など各界から著名人がお祝いに駆け付ける事になっており、今日は一日中、祝賀ムードに包まれます。ちなみに、御即位二十年奉祝の各行事が今日行われ
「過去の歴史知り未来へ」=即位20年、平和へ思い−両陛下が会見 「過去の歴史知り未来へ」=即位20年、平和へ思い−両陛下が会見 天皇陛下の即位20年を祝う政府式典が12日、開かれる。これに先立ち、天皇、皇后両陛下は皇居・宮殿で記者会見された。陛下は「心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということ」と述べ、先の大戦への道のりに触れ「過去の歴史的事実を十分に知って未来に備えることが大切」と、平和への思いを語った。 天皇陛下は「この20年、長い天皇の歴史に思いを致し、国民の上を思い、象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ、今日まで過ごしてきました」と振り返った。 20年でまず頭に浮かぶこととして、ベルリンの壁崩壊などを挙げたが、「その後の世界の動きは、残念ながら平和を推進する方向には進んでいきませんでした」と指摘。米同時テロに続きアフガニスタン、イラクで戦争が起き、今も
新井白石も悩んだ。本居宣長も大いに首をひねった。明治になってからは学者たちの議論が一段とかまびすしく、謎解きに憑(つ)かれた郷土史家や考古学ファンは今も数知れない。女王・卑弥呼が治めたという邪馬台国の所在地論争である。 ▼罪作りなのは古代中国の史書「魏志倭人伝」ではあろう。なにしろその記述は女王の国への道程があやふやだ。南へ南へ「水行十日陸行一月」などと書いてあるから正直にたどると列島のはるか南海上に出てしまう。先人はこれを誤記だ、方角の勘違いだと様々に解釈し、畿内説と九州説の対立に輪をかけてきた。 いや、これは正直に読めばいのですよ、つまり、「列島のはるか南海上に出てしまう」が正解ですよ。実際読むとわかるけど、同地は南方的な民俗の記載が多い。沖縄のハジチなんかも書かれている。南方が意識されている。まあ、鵜飼のような内地的な記載もないわけではないけど。 位置的には台湾かそれより南方に位置し
「憲法のようなものに文学書みたいなものが書いてあると思って、大いにびっくりした」。現行憲法の制定時、マッカーサー司令部の草案にある「象徴天皇」の規定を見た法学者の松本烝治(じょうじ)国務相が語った皮肉だ▲法律家から見れば「象徴」はあいまいな文学用語で、一般にも分かりやすいとはいえない。しかし当時の世論調査で「象徴天皇」への支持が9割以上に及んだところを見ると、国民はむしろその含みのある文学的薫りに好感を持ったらしい▲ただ憲法を見ても象徴天皇のあるべき姿は分からない。「わたくしはこの20年、長い天皇の歴史に思いをいたし、国民の上を思い、象徴として望ましい天皇のあり方を求めつつ過ごしてきました」。即位20年の会見で天皇陛下はこう話された▲91(平成3)年、雲仙・普賢岳の災害地を訪れた天皇、皇后両陛下が被災者の間に分け入り、腰を沈め、ひざを床について話に聴き入る姿を覚えている方は多いだろう。当時
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