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ブックマーク / hyoshiok.hatenablog.com (8)

  • Netscapeがすごい会社だった頃の話(1996年前後)。 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    夏休みなので、たまたま読んでいたCoders at Work プログラミングの技をめぐる探求というの中にJamie Zawinskiのインタビューが載っていた。このは著名なプロラグマを集めたインタビュー集で、Unixを創ったKen ThompsonやらDonald Knuthやらすごい人たちが登場している。 その中でJamie Zawinskiはそれほど著名でもなければ誰もが使っているすごいシステムを開発したというわけでもない。私が彼の名前を知ったのはNetscapeのソースコード公開時にMozilla.orgを仕切っていた頃なので、20年近く前である。 彼はxemacsの開発者としても著名で、当時GNU Emacsではなくてxemacsを日常的に使っていたので馴染みにある名前だった。xemacsとGNU Emacsはのちにマージされるのだけど前者が今で言う所のバザール型開発で、後者が

    Netscapeがすごい会社だった頃の話(1996年前後)。 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
  • 質問される力 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    セミナーとか勉強会で話をしていて、あるいはそのような勉強会を主催していてよくある悩みの一つが質問が出ないというのがある。 質問がでないのは、日人が奥ゆかしいのだとか、質問するのが恥ずかしいとか、文化的な何かにその原因を求める人もいれば、講師の発表がそもそも質問を前提としていないとか、セミナーの形式にその原因を求める人もいる。 原因はなんであれ、一方通行のセミナーより、インタラクティブな質疑応答が活発にあるものの方が、参加者にとっても講演者にとってもメリットが多いと思うのだが、なかなかその価値観が共有されていない。 その問題についてFacebookで話題になっていたので、ちょっと考えをまとめてみた。 なぜ質問が必要なのか。なぜ質問が重要なのか。 勉強会などで質問が求められるのはなぜなのだろうか。もちろん質問を受けることを前提としないセミナーや講習というものはある。そうではなくて自主的な勉強

    質問される力 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    kaos2009
    kaos2009 2015/02/19
  • 「角川インターネット講座2 ネットを支えるオープンソース」に「ハッカー精神とは何か」寄稿。 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    まつもとゆきひろさん監修の角川インターネット講座2 ネットを支えるオープンソース ソフトウェアの進化 角川学芸出版全集に「ハッカー精神とは何か」を寄稿した。 第一部、プログラミングがすべてを作った 序章、インターネットはソフトウエアでできている。まつもとゆきひろ インターネットを支えるソフトウェアを知る。法林浩之 プログラミングとは何か。久野靖 プログラミングと教育。阿部和広 ハッカー精神とは何か。吉岡弘隆 第二部、オープンソースが高めたネットの価値 ライセンスというプロトコル。やまねひでき オープンソース化が生んだ変化。瀧田佐登子 企業とオープンソース。鵜飼文敏 久しぶりの執筆だったので、七転八倒しながら書くことになった。 わたしのところは、60年代のハッカー達から70年代を経て、Richard StallmanのGNU Projectなどを紹介しつつ、OSSへの流れを歴史とともに解説し

    「角川インターネット講座2 ネットを支えるオープンソース」に「ハッカー精神とは何か」寄稿。 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    kaos2009
    kaos2009 2014/11/25
  • ソフトを他人に作らせる日本、自分で作る米国、読了 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    ソフトを他人に作らせる日、自分で作る米国を読んだ。 欧米の手法や技術を丸のみするとあたりを起こす。近代化に伴う適応異常とその対策が書の主題である。題材にコンピューターとその利用を選んだのは著者が三十年近く取材して来た分野だからである。 第一章【実態】経営と技術を巡る珍現象。1)ソフトを他人に作らせる日、自分で作る米国。2)金を払って人に会う米国人、タダでも会わない日人。3)トップがセールスする米国、表敬訪問する日。4)境界にうるさい米国、曖昧にしたい日。5)「協調性」を最重要視する世界各国、重視しない日。6)外資系に勤めるとなぜ”右傾化”するのか 第二章【総論】明治以来の何台に取り組む時 第三章【原因】「言葉のインフレ」は恐ろしい 第四章【対策】答えは三十年前からそこにある 各章の終わりに先達から学ぶというコラムがあって古典を紹介している。それがいい感じの読書案内になってい

    ソフトを他人に作らせる日本、自分で作る米国、読了 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    kaos2009
    kaos2009 2014/06/25
  • かつてオープンソースが当たり前じゃないころがあった - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    先日文明塾の修了生のみなさまとお話したときのこと(コミュニティとしての大学 - 未来のいつか/hyoshiokの日記参照)。ハッカー文化とかオープンソースのことをあれやこれやお話したのだけど、その中で現役の学生さんから「ゼミでIT係を担ってからよくソースコードを何気なく閲覧してしいました。しかし、自由にソースコードが見れる環境が衝撃的で素晴らしいことであることに吉岡さんのお話を聞いて学ばせていただきました。」という感想をいただいた。 そうだ。すっかり忘れていた。オープンソースが当たり前じゃない時代があった。とてつもない衝撃を受けた自分がいたことをすっかり忘れていた。 1998年1月。Netscapeが自社のブラウザのソースコードを公開するということを発表した。当時のシリコンバレー日記にそのことを書いている。http://web.archive.org/web/19990423102903/

    かつてオープンソースが当たり前じゃないころがあった - 未来のいつか/hyoshiokの日記
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    kaos2009 2014/04/26
  • 再利用できる画像の検索方法 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    プレゼン資料で画像を使いたい場合がある。 インターネットで検索して適当にコピペするというのは、その画像の著作権を持っている人の権利を侵害する可能性が高いので、よろしくない。 そこで、再利用可能な画像の検索方法が必要になってくる。 1) Image検索で、Search Toolsをクリック 2) Usage rightsをクリック。そのなかで権利関係で選ぶ。ライセンスでフィルターしない。再利用、変更可能。再利用可能。非商用、再利用、変更可能。非商用、再利用可能。のなかから選ぶ。 再利用可能な画像はいっぱいあるので、そこから選んで利用しよう。くれぐれも、自分が著作権を持たない、画像をぺたぺたはるのはやめよう。よく、マンガのキャラクタなどを分別なしに使っている人がいるが、おすすめできない。多くの場合は引用の範囲を超えているので、やめたほうがいい。 下記のサーチエンジンのリストも便利だ。 http

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    kaos2009 2014/04/17
  • 社内が英語化してよかったこと - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    なんだか、ネガティブなことばかり世間では書かれているので、個人的によかったことなど感想を一つ二つ書く。 どーでもいいことから 英語への抵抗感がなくなる。どっかで英語で話しかけられても怖くない。へらへら対応できる。切符を買えなくて困っている外国人とお友達になれる自信ある。 30分くらいの英語の会議だったら集中力が持続する。 外国籍の友達が増えた。会社に外国籍の人がいっぱいいるので、顔見知りがいっぱい増えた。英語で雑談するのが好きだ。仕事で絡みがなくても気さくに話しても大丈夫である。 海外情報がいろいろ回ってくるような気がする。翻訳される前の情報がいろいろ出回っているような気がする。(まあ、気がするだけかもしれないけど) インターネットで流通している技術情報のほとんどは英語であるということを確信した。日語の情報は遅い、古い、不正確で、量も少ない。ググるときに日語じゃなくて英語のページを見た

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    kaos2009 2014/03/19
  • 英語化の弊害 2012-10-03 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    タイムラインに英語化の弊害とかいうのが流れて来て『デキル人がダメ人間に見える』みたいなのを目撃する。 そーゆーのあるよなーとか思う。 でも、日という地域でデキルと思われていても、世界に出るとガラパゴスってのはよくある話で、結局だめなんじゃんということか。身も蓋もない話で救いがないなー。 とか思ったのだが、この気持ちを精密に言語化できないので、推敲なしに脳内の思いをだだ漏れしてみる。 わたしの英語の原体験はDECとかOracleとか米国系企業の日法人に勤めていたころにさかのぼる。DEC時代も米国社に出向する機会はあったのだけど、当のところはOracle時代、片道切符で米国社でぺーぺーのエンジニアで働いた経験だ。 当時はもちろんインターネットが商用化した前後で、欲しい情報も十分にあったわけではないし、Oracleの米国社でエンジニアとして働くということがどのようなことかの情報もまっ

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