まさか3回にわたるとは思わなかった……。前回のつづき。 6歳で舞台に立ち、芝居に魅入られた長谷川一夫は、大正7年(1918)中村鴈治郎の門下に入り、林長丸を名乗る。女形だった。18歳で松竹下加茂(京都ですな)に入社、林長二郎に改名する。新たな若手スターが欲しい松竹は、長二郎を大々的に売りだした。 ……芸熱心な長丸は主に女形で活躍、そんな彼に目を付けたのが当時松竹社長の白井松太郎であった。 長丸は雁治郎から「長二郎」という名と成駒屋「蝶花菱」の紋をはなむけに弱冠18歳で映画界入りをはたす。松竹はデビューに向け一大キャンペーンを実施する。マスコミはもとより、風呂屋へはのれん、料理屋へは箸袋、花街へは扇子・手拭い、と林長二郎の名と蝶花菱を染め抜いて配布する。これは映画宣伝史上初の試みであった。 ――「銀幕を彩ったスターたち 作品略説」(京都文化博物館 映像情報室たより「Material of C