『梶川氏筆記』の読み方 田中光郎 はじめに いわゆる赤穂事件とは、元禄14年3月14日の浅野内匠頭刃傷事件と翌15年12月14日の赤穂浪士討入事件を指す。さらに細かい事件が派生しているが、中心になるのがこの2件であることに異論はないであろう。赤穂事件について今なお多くの解明されていない問題があるが、最初の刃傷事件についても分らないことだらけである。そもそも、この事件の根本史料たる『梶川氏筆記』の読み方についてすら、いまだ精緻な検討がされたとは言い難い。もちろん、多くの研究者がこれを読んでいるには違いないのだが、不十分な点があるように思われる。浅学を顧みず『梶川氏筆記』の解読に取り組む所以である。 まずは刃傷事件そのものとは関係のない、当日の梶川の動きから。 (1)事件前の梶川の行動 一、十四日。今朝五ツ時、例の通登城、御広敷へ参る。「拙者儀今日御使に参り候に付、御口上の趣も可承、并に包